ライブの現場と回転寿司に共通するもの
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最近、回転寿司界隈が大変なことになっている。
一部のお客さんが勝手にレーンに流されているお寿司にわさびを追加で混入したり、テーブルにセットされている醤油を舐めたりするなどの”悪戯”や”悪ノリ”をした動画を上げたことが、発端となっている。
こういった悪質な行為や迷惑動画が拡散された結果、回転寿司に対する信頼が損なわれることになってしまい、しばらくは回転寿司に行けない・・・となっている人たちが増加している状況である。
そもそも、回転寿司というのは、その場にいる人たちが「きちんと食事をしている」という前提のもと、行われた形態である。
しかし、この「きちんと食事をしている」の前提が崩れてしまうと、サービスの提供が困難になってしまうようになる。
これは何も回転寿司だけに限らず、様々なサービスでも言えることであり、もし「きちんとできない」の人が増えていくと、提供することができなくなるサービスというのは増加することになるのだと思う。
ところで、ライブの空間もある種、似たようなものがあるよなーと思うのである。
というのも、基本的にライブに参加しているほとんどの人が「きちんとしている」だとは思うが、もしそこに一人でも「きちんとしていない人」が混ざってしまうと、そのライブにある秩序は崩壊して大変なことになってしまう。
よくライブの感想なんかで、参加していた別の人に苦言を呈している人がいて、その苦言を呈していた人に対して「他の人のことなんて気にするな」という言説もあるが、たった一人でも「きちんとしていない人」がいると、そのライブ空間の秩序って大きな変動を余儀なくされるから、ある程度は他人に対する目配せが出てくることもありえるのかなーと、最近の自分は思ったりするのである。
おそらく、どんなアーティストだって、基本的に「自由」を設けてライブをしたいと思っているはずなのだ。
でも、「自由」のままで放置をしていると、もしかしたら秩序が崩れる恐れがあるかもしれない・・・・となったとき、そこにルールを設定する必要が生まれる。
さらに単にルールを設定するだけで収まりがきかなくなってしまったのだとすれば、ルールの厳重化であったり、ルールを破った際の罰則が強くなるような措置をとることになる。
要は、どんどん自由を犠牲にして、ルールで縛っていく方向に運用しないといけなくなってしまうわけだ。
人によってはルールがある方がわかりやすくて気楽だしのびのびできる・・・という人もいるのかもしれないが、自由とルール設定はトレードオフになりがちというのはあると思うし、ルール設定の比重が強くなっていくと、いつしか自分が欲しい自由すらも縛っていく自体だってありえるのかもしれない。
なんにせよ。
回転寿司であれ、ライブであれ、一度そこにある確かな信頼が崩れてしまうと、回復するのは難しいし、その対策として講じることは=それまでの自由は放棄することになる、ということだけは確かだと思うのである。
今、コロナ禍で制定されていたルールが少しずつ取っ払われて、コロナ前は「自由」だったことが行えるライブに戻ろうとしている(もちろん、アーティストごとによってこのルールの制定は異なるけども)。
それは喜ばしいことだと思う。
ただ、お客さんごとに”文化”が異なると思うし、アーティストごとにも”文化”は異なるので、そこは事前にきちんと理解していくのが大切なのかなーとは、ふと思うのである。
・・・というのと、音楽の場においては”建前のルール”と”本当に守らないといけないモラル”というのが確かに存在していて、そこをきちんと貫くことが大切だとも思うのである。
そういうことを間違えると、冒頭の回転寿司の話じゃないけれど、えらいことになってしまうと思うから。
まとめに替えて
なーんてことを、ニュースを見ながらふと思った、そんな次第。
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