ライブにおける自由について思うこと
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ライブって自由であるべきだと思う。
音楽の楽しみ方って変な形で制限されるべきではないと思う。
こういう楽しみ方が普通だよ、という指摘があったとしても、そんな普通に引っ張られないような広さが、ライブの空間にはあって然るべきだと思う。
そういう意味において、ライブは自由だと思う。
でも、自由だからといって、何でもやっていいのかと言えばそんなことはもちろんない。
ここで言われる自由には、制限がついたものがある。
よく言われるのは、他人に迷惑のかからない範囲で自由に楽しむべき、という言葉だ。
誰かのための自由を保障するために、守るべきマナーというものも存在するわけだ。
たくさんの人が集う場だからこそ、この自由を楽しむために守るべきルールやマナーというものが存在するわけである。
ライブを自由の場にするためにこそ、そういう取り決めを守ることは重要なわけだ。
もちろん、参戦したライブにおいて、守るべきルールやマナーが少し変容することもある。
ジャンルが異なったり、演者が異なったりすると、共有するカルチャーが異なるわけだ。
サッカーでは反則な技も野球ではあり、みたいなことが音楽という現場でも存在するわけだ。
一方で、スポーツであれば絶対に守らないといけないルールというものもあるだろう。
音楽においても、ライブであればどんなジャンルのライブでも絶対に守らないといけないものはあるわけで、そういう最大公約数的なマナーも確かに存在する。
ルールやマナーを考える場合、この二つをきちんと切り分けて考えるべきだよなーと思うし、ここを理解することで、自由の解像度も上がっていくのかなーと勝手ながらに思うのである。
そう、ライブは自由な場である一方で、守らないとならないものも確かに存在している。
そんなふうに思うわけだ。
そして、守るべきものって何なの?と問われた場合、他人の自由を守るためのもの、というような回答になるのではないかと思う。
たまに、この自由を守るために守るべきものが揺らいでしまうことってある。
極端なルール違反じゃないとしても、やっている当事者からすると些末なものだったとしても、それが他の人にとって、大きくそれぞれの持つ自由をおびやかしているケースってあると思うのだ。
例えば、演者がピックを客席に投げてそれを取り合う、というようなちょっとしたシチュエーションであったとしても、そういうことって起こりがちだ。
もしピックを投げる、ということで何かしらのトラブルになってしまったとしたら、ピックを客席に投げるということができなくなってしまって、そこにあったはずの自由がなくなってしまうというケースもあるよなーと思うし。
別に何が言いたいというわけではないんだけど、自由な場であり、自由を維持するべき場であると思うからこそ、より他人や周りを思う気持ちって大事になってくるし、そうじゃないと成立できないことってあるんだよなーと、そんなことをふいに思ってしまった、そんな水曜日。
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