価値観が違うファンが、好きなアーティストの中にいたときに、考えること

スポンサーリンク

バンドの規模が大きくなると、それだけのファンの数が増える。

ファンの数が増えたら、色んな価値観のファンが出てくる。

楽曲そのものが好きな人もいれば、いわゆる”顔ファン”と言われる人もいることだろう。

好きなアーティストを好きになったきっかけや重視するポイントは各々違うのかもしれないが、そのアーティストが好きということは同じはずだ。

であれば、適切な距離感の中で仲良くすればいい。

・・・理想を言えば。

でも、なかなか理想を実現することは難しい。

そりゃあそうだ。

好きな音楽がたまたま一緒だっただけで、きっとそれ以外の価値観はまったく異なる人だってたくさんいるわけだ。

大切にすることも、優先することも、場合によってはどういう風に音楽を楽しんでいるのかということすらも違うことがある。

カテゴリー化すると同じグループに見えるアイコンも、よくよく考えたら自分とはまったく違う界隈だったということはよくある話だと思う。

しかも、SNSが日常生活において当たり前の存在になって、色んな人の考えが可視化されるようになることで、そういう違いがよりわかりやすく可視化されることが増えていった。

場合によっては、違いが鮮明になることで、ファン同士がいがみあうというケースも起こっているようだ。特にライブのように、共通のスペースで価値観の違う人たちが集ってしまうと、多少なりとも衝突が生まれてしまうケースだって、あるように思う。

どうみても善悪つけることができる揉め事ならともかく、微妙なラインの揉め事だったりすると、話がややこしくなる。そういうケースも増えていく。

でも、思うのだ。

そりゃあ、アーティスト視点に立てば、みんな仲良くが1番良い。

さらに音楽が好きな人間の一人として言えば、少なくとも「好きなアーティストに泥を塗るような振る舞い」はしないようにしないとなーとは思う部分が強い。

でも、だからといって、仮に好きなアーティストは同じであり、カテゴリーでいえば好きなアーティストのファンという点では「同じグループ」に分けられる人だとしても、自分とまったく価値観が違う人間がいれば、無理して仲良くする必要なんてないように思うのだ。

好きなアーティストの触れ方が、自分的にむむむむと思うケースがあるのであれば、心の中ではむむむむと思っていいのではないかと思うわけだ。

とはいえ、そのむむむむを過剰に表明して、SNSでVS構造を作るべきかという点は難しい。

どうみても、道理的に反した行いであれば「叩く」ということもあり得るのかもしれないが、まあそれは個々の自由かなという案件であれば、過剰に反応せずに「まあ、そんな人もいるか」くらいのテンションが精神衛生的にいいのかなーなんてことを思うのだ。

ただ、その中でもあえて軸として何かを据えるとするならば、「好きなそのアーティストに泥をぬらないようなあり方」。ここは大事にするのがいいのかなーなんてことを思う。

価値観が違う人は過剰に仲良くする必要なんてない。

推しに泥を塗るような振る舞いはしないのであれば、色んな価値観をもっていいし、自分の好き/嫌いは勝手に判断しつつも、その価値観自体は「認める」スタンスでいればいいのではないか。

最近は、わりとそんなことを思っている自分。

まとめに代えて

人気なアーティストほど、ファン同士で急に衝突が起こることもあるように思うからこそ、じゃあそういう時、どうすればいいんだろう・・・と、なんとなくぼんやりと自分なりに考えてみた際に答えを出してみた次第。

まあ、理想を言えば仲良くできるのがいいんだろうけれど、別に必要以上に無理しなくていいし、「軸」はファン同士の部分で据えなくてもいいのではないか。

そんなことを思った、そんな夜。

スポンサーリンク

LINEで送る
Pocket