好きなバンドがいざ「売れる」と、素直に喜べないこともあるよなーという話

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応援しているバンドは売れてほしい。

その気持ちに嘘はない。

でも、いざがっつり売れてしまうと、嬉しいとはちょっと違う感情が胸に宿ることがある。

そういうことって、わりとあるように思うのだ。

その感情の正体って何だろう、と思う。

寂しい、に似た類の感情なのだろうか。

そういう場合もあるのかもしれない。

あるいは、なんだか嫌だなあと思ってしまう感情が湧き起こることもある。

その背景には「バンドが遠くに行ってしまう」という感情がある場合もあるし、自分とはあまりにも感性が違うファンふぁライブにたくさん来ることになる未来にちょっと嫌気がさすケースもあるのかもしれない。

特に「自分が思っていたような広がり方」と違うような広がり方をして、売れたなーって感じてしまうと、何とも言えない感情を胸に抱いてしまう。

そんなこともある。

「売れる」に限った話ではない。

あるいは、サブスク解禁とかでも、そういう感情を持つケースってあるのかもしれない。

ファンであるならば、どうせなら、たくさんの人にその音楽が聴かれる機会が増えた方がいいと思う。

そもそも、その音楽がどういう形で流通しようが、ファンの一人なのであれば、本来は関係がないはずだ。

でも、ずっとCDとして大切にしていた音楽が、CDという形だからこそ「手にすること」ができた音楽が、あるタイミングでサブスクで解禁されてしまい、あまりにもカジュアルにその音楽が消費されるようになってしまうのだとしたら、不思議と嬉しいとは違う感情が胸に宿ってしまう。

そういう人も、いるように思うのだ。

確かにファンであれば、そのバンドが売れることを阻害するような態度を示すのはよくないと思う。

そういう動きに対しても、応援するのがファンの正しいあり方なのかもしれない。

でも、広がる動きをみせると、全てに肯定できるかといえば、そうではないケースもあるし、「これ」はいいけど、「これ」は嫌だと感じてしまうだって、時と場合によっては、あるのだと思う。

別に、これは正しいとか、正しくないとかの話ではない。

仮にそう思ってしまったのであれば、自分はそういう風に思う「側」の人間なんだという、そういう話でしかないと思うのだ。

音楽に対して、好きなバンドに対して、どういう想いを持っているのか。

その違いの話でしかないのだと思うし、それは理屈とか道理とかとはまた違う話なのだ。

ただ、ひとつ思うことがあって。

そういう視点の人だからこそ、他の人には気づくことができない類の感動を、音楽から見つけることができているんだろうなーと思うこともある。

そして、その人にしか見つけることができないそういう感情とか、体験とか、想いって、何よりも尊いものなんだろうなと思うのだ。

誰かに何かを言われて、変えることができるものでもないし、別に無理して変える必要だってない。

まとめに代えて

例えば、好きなバンドが売れたとする。

売れることを素直に喜べる人がいたとする。

それは、とても素敵なことだ。

でも、仮に、売れることを素直に喜べない「側」なのだとしたら、そう思うのであれば、それはそれでいいんじゃないか、という話。

そう感じてしまう類の「側」にはそう感じてしまう「側」なりの視点があって、想いがあって、それらはとても尊いものだと思うから。

SNSによって、そういう「意見」は時と場合によって、変な視座を向けられることもある。

あまりにもファンの意見を直接演者がみて意見を言うことができるがゆえに、ファンの「本音の部分では自分はこう思う」は、邪険に扱われるケースもある。

確かに、色んな立場の人の、それぞれの言い分はわかる。

でも、個人の意見に集約して考えるならば、色んな人の色んな意見があっていいと思うし、お互い「音楽が好き」が起点になっており、誰かを傷つけるために尖らせた意見ではないのであれば、それは尊い感情のひとつである。そんな風に思うのだ。

それだけ、その音楽に、そのバンドに、思い入れがあったという証なのだから・・。

何かあったわけではないけれど、ふいにそんなことをそんな風に思う、そんな夜の一幕。

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