BUMP OF CHICKENの「Sleep Walking Orchestra」に震えている

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BUMP OF CHICKENの「Sleep Walking Orchestra」を聴いたんだけど、やっぱりBUMP OF CHICKENって良いなあとなっている自分。

なんで、BUMP OF CHICKENの音楽って良いなあってなるのかなあって考えてみると、一言でいえば、他の音楽では代価できない魅力があるから。これに尽きる。

この点については、いくつかの要素で言葉にすることができる。

ただ、ふとBUMP OF CHICKENのこれまでのキャリアを振り返ってみると、毎回サウンド的にチャレンジしてきたバンドであるよなーということに思い至る。

「FLAME VEIN」と「THE LIVING DEAD」は、己のロックサウンド剥き出しで、”青臭い”の言葉が似合うようなソリッドなサウンドを展開していた。

このソリッドな装いに惹き込まれたBUMP OF CHICKENファンは多いと思う。

しかし、BUMP OF CHICKENのキャリアで考えてみると、このソリッドなバンドサウンドを軸にしていた期間って、そこまで長くない。

シングル曲で言えば、4曲目にはアコースティックギターのシンプルな音色が印象的な「スノースマイル」をリリースすることになるし、『ユグドラシル』のアルバムでみると、マンドリンを取り入れて民謡音楽色を強めた「車輪の唄」を収録していたりする。しかも、やがてそれはシングルカットすることになる。

そこからどんどんBUMP OF CHICKENはサウンドのバリエーションを広げっていた。

初期のリスナーからすると、特に『RAY』のアプローチは衝撃が大きかった印象で。

この頃になると、EDMやエレクトリックな色合いのものをはじめ、それまでのBUMP OF CHICKENのサウンドの個性を完全に塗り替えるような、意欲的なアプローチの作品をどんどん取り入れた印象であった。

そのため、リスナーによっては、BUMP OF CHICKENって、アルバムごとの好みが分かれやすい印象を受ける。

・・・しかし、だ。

サウンド面で意欲的なアプローチを取り入れるバンドにしては、BUMP OF CHICKENって楽曲の核が変わらない印象を受けるのだ。逆説的に聴こえるかもしれないが。

で、それってなぜなのかを考えると、結局のところ、そもそも藤原基央が生み出す音楽とその歌声が好きだから、という部分が大きいから、という点に行き着くし、ここの核の良さはずっと変わらなかったからこそ、サウンドの変化とは別の部分で、BUMP OF CHICKENの音楽の良さが変わらなかったとも捉えることができる。

もっと言えば、BUMP OF CHICKENって確かにサウンドアプローチの幅は大き。

いけれど、それは「やりたいサウンド」が先にあるのではなく、今回藤原基央が生み出す音楽に彩りを与えるうえで、どういうアプローチが良いのか、という解を見つける中で、前とは違う場所に行き着いただけ感があるから、とも言える。

なので、結果として、新しい試みのサウンドも、やがて多くのリスナーの身体にすーっと入り込むことが多い印象なのだ。

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「Sleep Walking Orchestra」の話

少し話がそれたが、「Sleep Walking Orchestra」は、自分の感触としては、新しさもあるし、懐かしさもある楽曲、という印象だった。

というのも、歌詞をみると、どこまでも藤原基央の言葉選び感があったからだ。

モノの捉え方とか、視座とか、眼差しとか、希望と絶望のバランス感とか、単語のチョイスとか、センテンスでみた時の言葉の繋ぎ方とか、そのどれもが「藤原基央感」で構成されているように感じたのだった。

この歌って一人称も二人称も登場せず、誰の視点なのかわかりそうでわからない絶妙な描写の中で進んでいて、でも、間違いなく聴いている人の特定の感情に刺さる言葉が残されていて、その感じにどこまでも秀逸さを覚える。

安易に一人称の言葉を使わず、「肺が吸い込んだ 続きの世界」というフレーズで、この人の一人称の存在を意識させてみたり、二人称は登場しない代わりに「床に作った最初の友達」というフレーズを用いることで、きちんと一人称と二人称のコミュニケーションの中で、歌の物語が進み、やがて歌が持つひとつのフラストレーションを解放する流れも素晴らしいと感じた自分。

そして、こういう言葉で構成された歌詞を、藤原基央が優しくも力強い歌声で歌うので「ああ、BUMP OF CHICKENの音楽、やっぱり良いなあ」という感情が惹き起こされて、そこには懐かしさも入り混じった新しい刺激を覚えることになったのだった。

サウンド面においても、これまでのBUMP OF CHICKENの要素を丁寧織り込みながら、今のBUMP OF CHICKENの地表にたどり着いたアレンジ、という印象を受けた。

今作では、イントロ部分はケルト音楽っぽい装いで組み立てているが、今の地点でBUMP OF CHICKENを振り返ると、確かにこういうアプローチで魅せるときもあるなあの懐かしさと、でもパターンとしてはまた違うものをもってきた感じもあった。

特に、イントロからAメロへの以降の流れで生まれる、音の足し引きの絶妙さ。

イントロで軸を握っていた音は一旦表舞台から退場して、代わりにドラムをはじめ、別の音たちがその場所の軸を握るのだ。

また、ドラムは規則的にリズムを刻み、ゆっくりと空気感を作り、Bメロでは少しごわっと感のあるベースが合流して、サビに向けて楽曲の盛り上がりのお膳立てをする。

サビではそこから複数のサウンドが足されて楽曲が盛り上がりを迎えるわけだが、2番に入ると、藤原基央のボーカル以外のトラックに、一気にエフェクトをかけたかのように特定の範囲の音をざっくり切っているようなサウンドメイクになっている。

4人のサウンドの個性を発揮しまくるんだ!というマインドのバンドではなく、楽曲という軸があって、そこに相応しいサウンドを彩っていくんだ、というマインドのバンドだからこその鮮やかなアプローチ。

この辺りの音の押し引きや、音へのエフェクトのかけ方に、今作だからこその新しさを自分は感じた。

また、メロディー部分で話を追加すると、今作ってメロ部分はわりとケルト音楽というか、民族音楽感の色合いを残すような雰囲気があって、なので、いわゆる近年のJ-ROCKっぽくない雰囲気でメロディーを積み上げていく。

一方、サビはタイアップソングということもあって、このタイミングで少しポップス的な歌メロ色を強めていき、よりキャッチーにメロディーが響くように向き直している印象を受ける。

このメロディーの変化と、サウンドの変化と、歌詞が紡ぐ物語の向き方に絶妙なシンクロがあって、それが「Sleep Walking Orchestra」をどこまでも、BUMP OF CHICKENの音楽の良さとして集約している印象を受けたのだった。

まとめに代えて

「Sleep Walking Orchestra」。

また、BUMP OF CHICKENのディスコグラフィに、存在感のある楽曲が生まれた。

そんな印象をもった、そんな感想。

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