ユニゾン「春が来てぼくら」の歌詞について書いてみたい。
[ad]
前置き
この歌はアニメ『3月のライオン』のOP曲だし、曲のテイストとしてあるのは、ユニゾンが『3月のライオン』に寄せて曲を作ったらこんな感じになったってものだと思う。
だから、ポップ色が強い歌になっているし、いつものように言葉を詰め込むのではなく、歌詞がしっかりと追えてフレーズが耳に入るような歌メロになっている(そのことを指して、本人たちはこの歌をバラード曲と称していたりする)。
そんな歌の歌詞について考えるとなれば、『3月のライオン』を抑える必要があるんだろうけれど、この記事では、そういうアプローチは面倒くさいので、割愛していく。
単純に歌詞に記述された言葉を拾いながら、こういう読み方をしたら面白いかもね、というような切り口で書いていくので、その受け取り方が正しいとか正しくないとか、そういうのは一旦わきに置いて読んでもらえたら幸いである。
季節が見えるということは風景が見えるということ
ユニゾンには、季節を扱った歌がいくつかある。
「スノウシリーズ」でもいいし「2月、白昼の流れ星と飛行機雲」でもいいし、「静謐甘美秋暮抒情」でもいいんだけど、歌の中核に季節があって、その季節感を表現しようとすれば、風景を描く必要が出てくる。
「オリオンをなぞる」はちょっと微妙かもしれないけど。
今回の歌なら「たんぽぽ」とか「雪になりきらない雫」とか「追い風」とか、そういう風景的なフレーズに取り込むことで、描かれた風景がなんとなく見えがちだし、風景が見えてくることで、そこにいるであろう僕と君もよりリアリティをもって浮かび上がるようになっている。
だから、この歌のテーマにもなっている「人間ドラマ」とか進路を選ぶうえでの葛藤みたいなテーマも、よりリアリティーさが増すのだと思う。
ただ、これだけ丁寧に風景や僕の気持ちを描いているくせに、この歌には「君」という人称が登場しない。
「僕ら」という言葉が登場するのだから、当然僕の近くには君がいるはずだし、僕は君がいるから喜びも感じるし葛藤もあるという話をしているのに、「君」という単語は一切使われることなく、「君」という人物を描写する。
僕と君の物語に収斂しているのに、「君」という単語を使わない歌、というのは珍しいのではないかと思う。
まあ、「君」という言葉を入れようが入れなかろうが、この歌詞のテイストに大きな変化はないのかもしれないが。
この歌詞を読んでいくと、この二人はおそらく「それぞれの理由を胸に僕らは間違ってないはずの未来へ向かう」のだろうし、「だから見守っていて」という言葉や「新しいと同じ数これまでの大切が続くように欲張ってしまう」という言葉もあるように、この春でお互い別々の道を歩んでいくことが示唆される。
そんななかで、ちゃんと迷いや葛藤を強調している言葉運びがいいなーって思う。
「小さな勇気 前に進め」も「ちぐはぐなら ナナメ進め」も「夢が叶うそんな運命が嘘だとしてもまた違う色混ぜて また違う未来を作ろう」なんか優しい感がする。
不安感がすごくリアルだからこそ、この歌に安心して寄りかかれるというか。そういう温度感の作り方が田淵はにくいなーって思う。
[ad]
僕らが「ぼくら」である理由
ところで、歌詞中はすべて「僕ら」と漢字表記なのに、なんでタイトルだけ「ぼくら」という平仮名表記にしたのだろうか?
個人的にはそこが一番引っかかるので、個人的な仮説を勝手にたててみたい。
結局のところ、この歌は「僕ら」が「ぼくら」になる歌だからだと思うのだ。
どういうことか?
春にありがちな別れを描くこの歌。
別れの理由は進学なのか就職なのかはわからないけれど、進路を決めていくなかで色んな葛藤をしている。
やがて、人生という名の一方通行な道で、片道切符を手にして、次なる未来へ向かうなかで、(おそらくは)それまで笑いあったりケンカしたりした君とも違う道に進む決意をする。
この歌は絵の具の比喩が多いので、それにあやかって言うならば、それは、一度塗りたくったキャンバスをもう一度真っ白に戻すような作業にも近いと思うのだ。
だって築き上げた人間関係を一度ゼロにして、大切な君とも別々の道を進んで、新たな人間関係を築く決意をするのだから。
そういう「新しい風を吹かせる変化」こそがこの歌のキモだから、歌詞は「僕ら」なのに、タイトルでは「ぼくら」という変化を与えたのではないか?
歌詞にある「僕ら」は僕も君もまだ同じフィールドにいるけれど、タイトルにある「ぼくら」は、もう僕も君も違う道を歩んだ後みたいな。
僕らの距離が変わったことを「ぼくら」で示すというか。
ほら。漢字表記の「僕ら」って、なんかたくさんの色が塗られている感じがするし、平仮名表記の「ぼくら」ってキャンバスが真っ白になってる感じがするでしょ。しない?
まあ、だから、この歌は「僕ら」から「ぼくら」になる歌なのかなーって勝手に思うわけです。
本当はユニゾンにも同じことがあるんだろうなって
ユニゾンって楽曲もライブパフォーマンスも己の哲学もシャープにしがちなバンドである。
結果、淡々と良い曲を作る⇒ライブをやる、っていうサイクルを繰り返すイメージだけがユニゾンに宿る。
そのせいで、良くも悪くもより淡白に映る。
とはいえ、デビューしてちょっとぐらいの時期は「暗黒期」なんて呼ばれていたこともあったわけで、もちろん多大なる苦労もあっただろうし、この歌詞に描かれているような葛藤だってたくさんあったはずで。
もしかしたら35歳が見えてきて、最近身体がバキバキになってきたわー的な悩みもあるかもしれないし。(聞くところによると、35歳あたりからさらに身体の老いを感じるようになるらしい)
だから、この歌はある種のユニゾンの本音であり、普段は声にしない白状の歌という部分もあるのかなーと勝手に思ったりして。
そして、「ごめんね 欲張ってしまう 新しいと同じ数これまでの大切が続くように」こそが、ある種のユニゾンの本音であり、だからこそ歌の末尾は「見守ってて」
なんて言葉で締めちゃうかなーなんて思ったりして。
この歌もまた、ユニゾンから’物好き,という名のファンに向けた言葉なのかなーなんて思ったりして。
いや、知らんけどね。
[ad]