SUPER BEAVERの「儚くない」が、SUPER BEAVERの新時代な感

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自分が好きな音楽のパターンのひとつとしてあるのが、普段はアップテンポの楽曲を歌うことが多いアーティストが、ここぞのタイミングで歌う渾身のバラード。

これが、とても刺さるのだ。

アルバムなんかだと、作品の後半のここぞのタイミングでそういう楽曲が収録されていたりする。

そして、その楽曲がそのアルバムのハイライトのひとつになるということがよくあるのだ。

ただ、これ、アルバムだけの話ではなくて、(配信も含めた)シングルリリースでも言えることで。

例えば、数年かけて合計5曲シングルをリリースするとする。

事前にリリースされた4曲はバチバチのアップテンポで、ライブを盛り上げるキラーチューンになりそうな曲だったとする。

で、そんな歌が連続してリリースされるから、今作もきっとアップテンポな感じの楽曲だろうと油断したタイミングで、ふいに放たれたりするのだ。

渾身のバラードが。

これが、たまらなかったりするし、こういう歌の歌詞がめちゃくそに良かったりするのだ。

なんでこんな話をしているのかというと、この記事で紹介する楽曲も、これまでの振りが効いているからこそ、どこまでも深く突き刺さるバラードになっているように思うからだ。

そう。

今回紹介するSUPER BEAVERの「儚くない」もまた、そういう渾身のバラード曲であるように感じるのだ。

SUPER BEAVERの「儚くない」が刺さる理由

「儚くない」は、これまでのSUPER BEAVERのシングル曲と少し様相が違う。

歌もサウンドも楽曲のテンポも、アレンジも異なるように思うのだ。

まず、今作はSUPER BEAVERのこれまでのシングル曲とは異なるような”入り”をみせる。

今までの楽曲であれば、SUPER BEAVERらしい真っ直ぐなバンドサウンドを鳴らすことがほとんどだった。

でも、この歌は違う。

鍵盤の音が鳴り、ギターはアルペジオをしっとり奏で、ストリングスも合流してゴージャスなアレンジを展開するのだ。

言葉だけ並べてみると、まるで90年代のミスチルのような仕立て。

きっと少し前のSUPER BEAVERであれば、あまり選択しなかったようなアレンジではないだろうか。

確かに事前にリリースされていた「グラデーション」でも、SUPER BEAVERのバンド以外の音を効果的に使うアレンジにはなっていた。

そのアレンジもこれまでのSUPER BEAVERの歌と比較すると、新しい感じがあったが、今作ではよりその新しい部分をより鋭くした印象を受ける。

というのも、「グラデーション」は外野の音を入れつつも、もっとバンドのサウンドが入ることを想定したうえでのサウンドだった気がするからだ。

でも、「儚くない」はもっとバンド外の音の存在が強くなっている印象を受けるし、バンド外の音が与えているイメージは「グラデーション」より大きいように感じる。

もしかすると、ちょっと前のSUPER BEAVERがこれをやっていたら、あまりにも”変わってしまった感”が際立っていたかもしれないくらいには、けっこう大胆なアレンジを行なっているように思う。

それでも「儚くない」においてはそういうアレンジを意図的に選んで見せるし、実際、そのアレンジが効果的に響いている。

それは、「儚くない」という楽曲そのものが持っている骨太さに起因しているように思うし、色んなフェーズを乗り越えた今のSUPER BEAVERだからこそということもあるのだろうし、渋谷龍太の真っ直ぐかつ存在感の強い歌声が強く響くから、どういう仕立てをしたとしても真っ直ぐな印象がどかーんと響くから、ということもあるのかもしれない。

実際、外の音を強めに加えたところで、SUPER BEAVERの魅力がブレることはない。

というよりも、「儚くない」はこのアレンジにするからこその感動を引き立たせているように思う。

きっと鍵盤がなくて、ストリングスがなくて、サウンドとして加わる音の種類がもっとすくなかった場合、きっとギターやベースが鳴らす旋律は変わっていたように思う。

ギターはもっとコードの部分の音を担うようになっていたのだろうし、ベースももっとソリッドかつシンプルな音の運びになっていたかもしれない。

でも、バンドサウンドはこういうバランスにして、他の部分は外野の音に担わせるという信頼関係のうえで音を組み立てているからこそ、SUPER BEAVERの各パートも違う音を選んでいくことになり、それが歌の持つ感動の部分を際立たせることにもなるのである。

より壮大感が際立っているし、歌の持つインパクトが強くなっているように思うし。

ただ、単にバンドの存在感が弱まったかというとそんなこともなくて、間奏では華やかな歌を炸裂している中で、エッジの効いたギターソロを軸に置いている構成にしている。

そのコントラストも良い。

バンドの音が前に立つ必要があるパートの場合はしっかりそれで魅せていく流れが秀逸なのだ。

ちなみに、この間奏でちょっと曲の表情を変えたあと、次の歌入りではさらにもう一段階歌の表情を変える。

バンドの音をぴたりととめて、鍵盤と渋谷龍太の歌声が結託して切ない雰囲気を生み出すのだ。

この部分が圧巻だし、この曲のハイライトのひとつのようにも思う。

まとめに替えて

・・・というのと、やっぱりこの歌を聴くと、柳沢亮太と渋谷龍太の信頼関係がえげつないよなあと思う。

こんなにも「お前、曲書いてないんかい」な温度感で、熱量あるボーカルを紡ぐ歌い手もそういないと思う。

そして、柳沢亮太が紡ぐ歌詞って、渋谷龍太が歌うことでイキイキしまくるよなーとも改めて感じた今作。

本当にこの二人のタッグって素晴らしいなあというのが、行き着いた感想のひとつであり、「儚くない」という歌の凄みを示すひとつの要素でもある。

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