Enfantsの『Q.』から感じる、松本大の美学みたいなものについて

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リリースしてから少し時間が経ったけれど、Enfantsの『Q.』を最近よく聴いている。

もしかしたら、この記事を目を通している人の中で、Enfantsというバンドのことを知らない人もいるだろうから、冒頭で簡単な紹介しておくと、Enfantsは、2021年末に活動を終了したLAMP IN TERRENの松本大が、新しく始めたバンドである。

Enfantsの指導当初は、正体を明かさずにバンド活動を行っていた。

が、『Q.』をリリースするタイミングで正体を明かすことになった。

そこから、他の音楽メディアなどでは松本大の口からどういう想いで、そういう活動をしてきたのかということがわりと赤裸々に語られている。

なので、Enfantsの作品を語るうえでは、松本大がどういう想いでEnfantsをはじめ、『Q.』という作品を作ったのかということや、LAMP IN TERRENで生み出した作品との違いを軸にしながら話を進めるケースが多い印象。

でも。

自分はせっかくなので、そういうバックグラウンドみたいなものは傍に置いた上で、Enfantsの作品にぐっときた話をしたいなーと思う。

“流行り”のバンドとは違う手触りで突き進むEnfantsの音楽

『Q.』という作品においては、リードトラック的な立ち位置である「Play」。

この楽曲ひとつとっても、Enfantsの音楽って今のバンドの流行りとは違う地平線を歩んでいるというか、まったく違う目的意識をもって音なり言葉なりを構成している印象を受ける。

例えば、今の音楽って、もっとカジュアルに聴かれることを意識して音を組んでいるし、SNSなどで反応しやすくなるような刺激を楽曲内にまぶすケースが多い。

それが、例えばイントロなしのボーカル始まりの歌い出しになったり、サビでわかりやすい振り付けをつけたり、”エモい”恋愛ソングと等身大の歌詞で言葉を組み立てたりすることに繋がるのだと思う。(作品によっては、意図的ではない部分もあるとは思うが、そういう視点の音楽が脚光を浴びやすいという事実は確かにある)

で。

でも、Enfantsの「Play」には、そういう要素がないように感じる。

別に売れなくてもいいなんてことは思っていないだろうが、優先すべき内容として「なんでもいいからとりあえず話題になりたい」ではなく、「己の美学を大切にする」を感じさせる楽曲になっている印象は受けるわけだ。

それが、音にも言葉に現れている。

「Play」のサウンドって良い意味でザラザラしているというか、昨今の大きいフェスによく出るようなバンドではあまり聴くことのないダークさを随所に感じさせてくれる。

なぜEnfantsがそういう音を鳴らしているのかという話は、松本大がEnfantsでやりたいこととリンクする部分が大きいのだろうが、リスナーという視点でEnfantsの音楽に触れて感じるのは、あ、このサウンド、かっこいいなあということ。

Enfantsが生み出す硬派なバンドサウンドが、シンプルにかっこいいのである。

激しさと優しさを同居させたような、不思議なヒリヒリ感を覚えるEnfantsのソリッドな音づかい。

そこに、ぐっと引き込まれてしまうのだ。

しかも、単にサウンドが硬派なのではなく、松本大の耳心地の良くて、でも鋭さも隠し持った独特の温度感のボーカルが、耳馴染みの良いメロディーにのせながらパンチのある言葉を組み立てていくので、そこにもぐっとくるのである。

「HYS」もまた、そういうテイストを持ち合わせた楽曲であるように感じる。

こんなことを書くと、『Q.』という作品は、暗くてちょっと前のオルタナ感を際立たせたギターロックな楽曲ばかり構成された作品になっているのか、と思われるかもしれないが、実はそんなことはなくて。

例えば、「Drive Living Dea」は、前2曲よりもポップで明るい雰囲気をもった楽曲である。

突き抜けた明るさ・・・というわけではないんだけど、メロディーに寄り添うギターのサウンドに光の雰囲気が差し込む心地がするし、ボーカルの躍動感にも意図的に白い雰囲気が漂っている。

そして、『Q.』という作品は、最後「Autopilot」というアコースティックな楽曲で終わるため、松本大の美しい歌声だったり、澄み切ったメロディーラインを体感する作品にもなっているのだ。

ヒリヒリしたロックもあるけれど、上質なメロディーを体験できる弾き語り調の楽曲もある、ということを認識してもらえたら良さそうである。

ただ、作品を通して聴いて感じるのは、結局のところ、音楽への拘り方に並々ならぬものである、ということだ。

LAMP IN TERRENの活動を終えて、Enfantsとして楽曲を生み出す中で、きっと色んなことを考え、色んな試行錯誤を果たしたうえで、生み出された4曲だからこそ、楽曲に込められた濃度に強烈なものを覚えるし、サウンドの質感が本当に素晴らしいのだ。

結果、こういう音楽体験ができるのは松本大が軸になって生み出された楽曲だからなんだろうなーという結論に行き着く次第なのである。

まとめに替えて

なLAMP IN TERRENを好きだった人が、Enfantsの音楽を聴くと、どう思うのかはなんとも言えない。

人によるのが結論ではあるんだろうが、きっと刺さるところはあるんだろうけど、でも、LAMP IN TERRENにしかないものを求めていたのだとしたら、その隔たりが埋まることはない・・・そんな感じになるのかなーなんてことをぼんやりと考える。

でも、松本大の音楽的感覚の素晴らしさを間違いなく感じられる作品であることは確かだ。

やっぱり、この才能って尊いものだなーと感じられることは確かだ。

なぜなら、Enfantsの作品でも、眼差しやベクトルは異なるものの、否応なくその嗅覚が発揮されていることを実感するからだ。

それが流行とは違う地平で生み出されたこだわりを随所に感じられることにも繋がる。

結果、刺さる人にはとことん刺さる不動の音楽として、君臨するんだろうなあということを感じるのである。

自分もまた、『Q.』という作品がめちゃくちゃに刺さっている一人である、という言葉だけを残して、この記事を締め括ろうと思う。

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