正しいアンコールの求め方は、拍手(手拍子)とスマホライトなのかの考察

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ライブってアンコールがある。

わりとライブに行っている人だと、それが「当たり前」に感じていることも多いと思う。

もちろん、アーティストによってはアンコールをしない主義の人もいるが、多くの人はアンコールはする想定としてセトリを組むし、フェスとか複数アーティストが集うイベントではない限り、アンコールは用意している場合が多数だとは思う。

特に大きな会場でのライブだと、アンコールでもしっかり仕込んだ演出の中でライブをやることが多い。

そのため、一旦ステージに退いてから再びステージに出てきて「アンコール」としてパフォーマンスすることも、ひとつの演出として捉える人も多いように思うのだ。

そっちの方が”当たり前”のことが多いから。

そう思っても差し支えないと思うし、そう思う方が当たり前だとも思う。

でも、基本的にアンコールはアンコールであって、実は予定調和のものではない。

だからこそ、求める、という姿勢がとても大事なケースもある。

本編のライブをみて、そのパフォーマンスが素晴らしかったから、もう少しそのライブを観たいという気持ちが噴出してしまい、”気がついたら”観客が演者にアンコールを求め、それに呼応する形でステージに戻る、という流れも往々にしてあるわけだ。

ということを考えた時に、スマホライトでアンコールを求めることの意味性も変わってくる。

というのも、最近はアンコールの際、スマホライトで会場を照らす、というパターンが増えている。

これはこれでとても綺麗だし、実際にスマホライトで会場が照らされている映像をみると、ぐっとくることもある。

一方で、アンコールの定番、は拍手(手拍子)の繰り返しである人も多い。

そして、時に拍手(手拍子)派とスマホライト派でバトルを交わすこともある。

これって、なぜそのアクションをしているのか、の考え方で捉え方が変わってくる。

もちろん、アーティストごとに慣習のルールや、決まりごとがあるため、それに従っているのであれば、アンコールのやり方なんて自由にしたらいいとは思う。

でも、拍手(手拍子)派がスマホライトをあまり好まず、頑なに音を出してアンコールを求めるのは、アンコールは”あって当たり前のもの”と思っていないから、というのがわりと土台としてあるのかなーとは思うわけだ。

ステージを去った人に「おまえのライブがよかった、もっとライブが観たい」を伝ようとしても、スマホライトではステージ裏にひいたアーティストには、届かない。

だからこそ、ひいた場所まで届くくらいの音を鳴らし、伝え、求めるために拍手(手拍子)にこだわる、という背景があるように思うのだ。

小さいライブハウスなどでライブを見ることが当たり前の人であれば、この「音で相手に感情を届ける」のリアリティーが、よりはっきりと伝わるし、そういうアクションの重要性を痛感することも多いのかなーと、勝手ながらに思っている。

もちろん、別に、どっちが正しい、というものではない。

でも、アンコールって”あって当たり前のものではない”という温度感のライブの本気度にぐっとくるよなーと思う自分がいる。

それに、アンコールって決まった回数起こるというものでもない。

アンコールは一回だけというケースもあれば、それが3回続くということもある。

予定調和が崩れたアンコールをみると、ドキドキする自分がいる。

演者と客の本気度がぶつかりあう中で、生まれるエネルギーだと思うし、ライブの予定調和が崩れたときほど、ライブの興奮って大きなものになると思うからこそ、そういう予定調和を崩す可能性がある、拍手(手拍子)のアンコールって、とても尊いものだよなーとも思う自分がいるのである。

まとめに替えて

正しいとか正しくないとかではないと思うけど、アンコールにもいろんな背景があるし、色んな背景を頭に入れたうえでアクションをしている人もいるから、たまにここで論争が起こるんだよなーという話。

とはいえ、本当にアンコールって、アーティストによってスタンスが違うので、アーティストごとのスタンスの違いを楽しむのが一番いいのかもなーと、そんなことを思うそんな次第。

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