めっちゃ人に広めたい曲、サブスクにないために布教できんやん!な時
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そういうとき、あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜くそ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!ってなりがちだと思う。
サブスクにその音源があれば、もっとたくさんの人にこの曲を聴いてもらうことができるのに、と。
間違いなく素晴らしいこの名曲に、もっとたくさんの人が出会ってくれるはずなのに、と。
確かに、自分もそう思うことがある。
サブスクにこの音楽があれば、もっと違う需要のされ方をしていたのかもしれないのに、と。
とはいえ。
サブスクで音楽を聴く人における<サブスクがあれば聴いていたのに>という言葉って、<お金を払うまでしてこの音楽を聴くことはないけれど、無料で聴けるなら聴きたいなあ>という言葉が接頭につく可能性はあるよなーと思っていて。
なんせサブスクにすでに課金している人にとって、サブスクにその音楽が配信されることは<無料で音楽が聴ける>ことを意味するわけだから。
まあ、別にそう思うこと自体は別に良いとか悪いとかはないと思う。
どんな人だって使えるお金に有限はあるわけだし、何にだったらお金は払えるくらいお金があれば苦労しないけれど、現実はそういうわけにいかないのだから。
なので、お金を払える払えないの線引きはあって然るべきだと思うわけだ。
ただ。
往々にして<無料だから>という理由で何らかのコンテンツを手に取る場合、そこで交わされる言葉は、必ずしも望まれたものにはならない可能性はある、というのは勝手ながらに自分が思うことであるし、少なくとも<有料だったとしても>で手に取る場合に紡がれる言葉との間で、明確な違いがあることは確かだと思うのだ。
音楽に限らず、どんなコンテンツだってそうだと思う。
敷居が低いことでたくさんの人に手が届くコンテンツは、場合によって手軽がゆえに人に届きすぎてしまい、本来だったら届かない方が良かったような人たちにまでそれが届いてしまう恐れがある。
世の中、全員が<良い人>ではないし、少なくとも自分と同じような感覚で生きているわけではないからだ。
同じ文脈を共有しているもの同士で需要していれば、絶対に「炎上」しなかったようなトピックも、ひとたび外に出てしまうと突然<炎上案件>に様変わりすることは、ネット社会において、よくある話である。
まあ、ここで言いたいのは、<炎上>するとかしないとかの話ではない。
ただ、<届きすぎる>ということは、場合によっては必ずしも良いことではない、そういう可能性はあるのかなーと自分なんかは思ってしまうということだ。
というよりも、適切なスピードを持続しながら適切に届ける範囲を広げていくことが、結果的に一番良い結果を生むということは、ありえると思うわけだ。
その<適切>を考えるうえで、あえて<触れることができる場所>をコントロールすることは、必ずしも悪手ではないのではないか、ということ。
サブスクが普及した今だからこそ、あえてサブスクの俎上にはのっけない、というのもまた、場合によっては価値があるのかもしれないし、それが良い形を継続して広げることに繋がる可能性もあるのかなーと。
そんなことを、ふと思うのである。
まとめ
別に、これが正しいとか間違い、という話ではない。
ただ、見方によっては、こういう考え方もできるのではないか。
そういうお話である。
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