バンドが解散するというニュースに対して、あまりライブに行ってなかったリスナーが「ライブに行きたかった」と言ってはいけないかの考察

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バンドでもアーティストでも、活動が終わるアナウンスをされると寂しいものがある。

「寂しい」という表現が正しいのかはわからないし、そのバンドなりアーティストなりがどれくらいに好きだったかで、受けるダメージは異なるわけで、「寂しい」とか「悲しい」では済まないダメージを受けるケースもあるわけで、この辺りの表現は難しいところだなーと思う。

とはいえ、活動を終える側だって、色んな事情で「活動を終えること」を選んだんだろうなーということを考えると、安易に「悲しい」とか言えないケースも多い。

自分がみてきた範囲だと、複数で構成されたチームの場合だと、それでもなんとかして続けていた人と、もうやりきったからここでピリオドを打とう、の派閥がいって、度重なる話の中で「活動を終える」の結論を出すケースが多いように感じる。

その理由がお金のなのか、音楽性の違いなのか、単純に仲が悪くなったからなのか、別にやりたいことができたからなのか、家族なり大切な人を守るための決断なのか、は当事者にしかわからない話だけど、結成した頃にはなかった何かしらの理由があって、それぞれがそれぞれの主張を繰り返しながら、何を折れて何を折れないのかの選択の中で、悩みながらも導き出した答えとして、「解散」なり「活動休止」なりを発表することになるんだろうなーと思うわけだ。

それはきっと、聴き手では想像がつかない話だとは思う。

なので、「悲しい」とは思っても、「続けてほしい」とはなかなか言えない自分がいたりするのだった。

ところで、解散をすると、「ライブを観たかった・・・」と解散を発表したアカウントにメンションするケースが散見される。

きっと辞める側からすると、そう思ってくれた人が全員ライブなんかに足を運んでくれていたら・・・と思うから、何とも言えない気持ちになることもあるのかなーと思う。

確かに、そのバンドのことを好きな人が、毎回ライブハウスに足を運んでいたら、確かに違う未来がありえた。そういうバンドもいくつか見てきたので、この辺りは難しいところだよなーと思う。

でも、その一方で、色んな事情でライブにはなかなか足を運べないけれど、リリースされた音楽を大切に、大切に、聴いているリスナーだって確かにたくさんいるのだとは思う。

そういう人にとって、その音源は何よりも大切なものだし、そのバンドが活動を続けてくれることが生きがいだったというケースもあると思うのだ。

確かに音楽においては「ライブに行く」が1番、そのバンドが好きであり、そのバンドのための可視化にはなるとは思う。

でも、リスナー視点に立ったとき、そのバンドの活動の接点って、きっと想像以上にたくさんあって、可視化されない部分で想像以上にそのバンドのことを大切に思っている、というケースもあるわけで、だからこそ、いつか然るべきタイミングで「ライブが行きたかった」という本物の気持ちもあるんだろうなーなんてことを思ったりする自分。

自分もわりとそういうタイプだったから、SNSにおいては、公式にリプライするかはともかく、そういう気持ちもきちんと発露して、受け止められる場であればいいなーなんてことを思う自分がいる。

もちろん、そのファンがいたから活動を続けることができた、というファンの存在は大切だと思うが、それは演者目線の話であって、ファンそれぞれの視点を向けるのであれば、個々の「大切な想い」を大切にしたらいいのではないかなーなんてことを思う自分。

色んな意見が交わる世の中で、色んな意見がダイレクトに伝わる世の中で、演者の想いさえも直線距離で届く時代だからこそ、そういう想いも尊重されたらいいなーなんてことをふと思った、そんな夜。

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