前説

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コミックバンドという言葉を聞くと、どのバンドを思い浮かべるだろうか。

人の数だけ答えがあると思うけれど、四星球の名前を挙げる人もきっと多いはず。

そんな四星球のインタビューを敢行。

色んな意味で難しかった今年を振返っていただきながら、来年に向けての話までを伺わせて頂きました。

本編

今年の状況について訊ねてみた

──まずは、今年一年の良かったと悪いところをお伺いをしたいです。

康雄(シンガー)「(悪かった点でいうと)ワンマンツアーがなくなりました。予定していたものが延期になって」

U太(ベース)「上半期に予定していたツアーは、四星球的にはけっこう背伸びしている場所を押さえていたというか、「さあ、いくぞ」っていう感じやったので、(全てが中止になって)状況がわからんくなりました」

──わからないというのは具体的にどういうことですか?

U太「ちょっとずつ(キャパを)広げていったライブハウスで、どれくらいの人が四星球のライブに来てくれるんだろうというのが、なかなか見えなくなったなーと」

康雄「曲作りをしているだけの活動だったら、さほど影響はなかったと思うんですけど、ずっとライブをやっているバンドなので、目の前の人との関わり方が変わったというか、ライブのやり方が変わってしまったというか」

──そうですよね。

康雄「ライブのやり方が変わったのは良い部分もあるのかもしれないですけど、今まで通りのことがやれなくなったという時点で、マイナスなのかなーと思いますね。あと、最近思うのは禁じ手を使う面白さみたいなのができなくなったじゃないですか。いきなりお客さんの方から出てきちゃうみたいなのはやったらあかんとか、制限があるなかでの形に変わってしまったというのは、今年のきつかったところだと思いますね」

──完全な自粛期間があって、その後、少しずつ有観客でライブができるようになったときってどんな心境でしたか?

U太「それまで週一くらいで配信ライブをしていて、いよいよ(当初予定していたツアーの代わりの)配信ライブも終わるぞ、この次どうしようか、何もなくなってしまうのもなんかなーみたいなときに、アスティ徳島っていうアリーナのめちゃくちゃでかいところを借りて(有観客のライブを行う)っていうのがまずあって。ただ、僕としては不安の方が大きかったですね。対策の面で、ですけど」

まさやん(ギター)「ただ、お客さんの前でできるっていうのは嬉しかったですね。やっぱり配信と全然違うなっていうのは、僕らもそうでしょうけど、お客さん側にもあったなっていうのはライブしながら思いましたし。コミュニケーションがとれないんですよね、問いかけても向こうは応えられないというか、ライブ中にお客さんと会話みたいなことができないっていうのはありましたので」

康雄「完全に、お客さんとライブを作るみたいな意味がもう変わってきました。昔でいうお客さんとライブを作るっていうのは、1時間の中でお客さんと作っていくみたいなことだったんですけど、それがもうその日に向けて、単純にイベントを成功させるっていうことを、お客さんと一緒にやってもらうみたいな。そこは大きいかなーと思いますね。コロナ前っていうのは、演者とお客さんっていう関係性だったんですけど、夏以降はもうイベントを一緒にやる同志みたいな感覚に、なってたかもしれないです。ともに模索しているというか。楽しみ方を一緒に作ることを楽しんでいるっていうことをその頃よく言ってましたけど。この前、PANと一緒だったんですけど、(そのときのライブも)そういう空気だったんで、まだその状況は続くのかなーと思いますね」

──ちなみに今年って何本くらい有観客でライブを行ったんですか?

U太「四国ツアーをやって。大阪城野音でキュウソとやって、PANと2本やって、あとは自分らのツアーが10箇所あるんですけど、それも2DAYSに増やしたりだとか。なので、本数ってなってくるとわかんなくなってきますね、今年は」

康雄「今年行けた街とかで数えると21箇所とかじゃないですかね」

──少ない本数の中でも相撲場でのライブなどがあって、そこに四星球のユーモアみたいなものを感じたのですが、これは何か狙いがあったんですか?

U太「全然考えてなかったですね。ゆったら、ライブハウスだけじゃなくて、色んな施設が影響を受けてたじゃないですか。それは飲食店然り、飲み屋さん然り、で、最初のアスティ徳島でライブってなったときに、どうせやったら四国をツアーでやった方がおもろいんじゃないだろうかっていう話をメンバーでして。一本やるっていうのは、それだけでも大変なんやけど、うちらみたいなバンドはツアーとしてやるインパクトも含め、なんかそういうのをやった方がええんちゃうかなってなったときに、広くって、外やったらなお良くて、人が入れるところを探してもらったんですよ。DUKE(四国のイベンター)とかに。そのなかで、各県のそういう場所を提示してもらって・・・。(そこで施設側から使ってくださいと出してもらった)相撲場は、即決でしたね」

まさやん「そういうのが、(先ほどの質問の)良かった点としてあがるんじゃないですかね。相撲場とか大きいホールとかって、こういう状況になってなかったら、やってないと思いますし、そこでやろうみたいな発想もあんまりなかったと思いますので。そういうところで有観客でライブができたっていうのは良かったと僕は思うんですけどね。相撲場とかは360度、お客さんに観られながらライブをやるっていう、バンド史上初でもありましたので」

康雄「この期間にライブを観に来ようとしてくれている人に、やっぱり特別な気持ちになってもらおうと思うと、場所も自然と変わったところになってくるのかなーと思いますね。ライブハウスは厳しいっていうのが前提であるなかでは。ライブハウスでお客様がいっぱい入ってもらえない、じゃあどうしようかってなったときに、だったら味わえない場所で、せっかく来てもらえるんだったら、それくらいした方がいいんじゃないかっていう考えた方になるかなーって。あと、僕ら、四国っていうのが良かったですね。周りがすごく応援してくださいました。四国のライブハウスとか」

U太「まずは地元四国のライブハウスと助け合いできたら・・・という考えから、ライブ当日は音響機材を各県のライブハウスからレンタルし、配信撮影も各県のライブハウススタッフに協力してもらい少しでも経費をお支払いさせて頂くことにしました。結果、ライブハウスでのライブではないものの、ライブハウスと一緒に作ったツアーになったかなと思います」

康雄「ライブハウスでやらないのに、ライブハウスの人がちゃんとホールとか相撲場とかにも来てくださったりして。で、力を貸してくれたりとかして。四国でずっといた良さが確認できたというか。(毎年、良さを)確認できるときっていうのが、年に何回かはあるんですよ。MONSTER baSHに出させてもらったときとか。ただ、今年は(例年以上に)それをごっつい感じましたね。徳島のライブハウスでもずっと配信をしていたんで、徳島のライブハウスの結びつきも濃くなったし。綺麗な言葉を使うなら<絆>みたいなものが生まれた気はしますね。夏はお客さんともそういう時間を作る。で、ライブハウスの人ともそれを確認し合う。で、新しいところでもやれるっていう、最初に訊いてもらった良いところはっていうのは、そういうところになってくるんですね」

曲作りについて訊ねてみた

──ちなみに、コロナ禍によって曲作りも変わりましたか?

康雄「17年とか18年バンドをやってるんですけど、今までは曲作りの始まりがほぼほぼ歌詞始まりだったんですよ。9割以上歌詞先行で曲を作ってたんですけど、俗に言うステイホーム期間中に曲を作り出すと、歌詞がどんどんどんどん奥にいっちゃうというか、鋭利なものになりすぎるんですよね。で、これはちょっとあかんなーって思って。(そういう曲を)お客さんの目の前でやってもお客さんが戸惑うなーと思ったりしたので、歌詞からいくのやめよってなったのは自分の中で大きいですね。曲のフォーマットっていうか、種類とかアイデアとか、こういうので作りたいっていうぼんやりとした状態で止めておいて、先にメロディーをもらって、言葉をその中にハマるようにまろやかにしていくっていう作業に変えたのは、自分の中ですごく大きかったですね。今までだったら、歌詞を渡してこれにハマるメロディーを・・・だったんですけど、データ上で音をもらって、そこに歌詞をハメていく・・・に変わりました。」

U太「(ただ、データでのやり取りに関しては)去年くらいから、かじっていた気がするんですよ。去年、120本くらいライブをやって全県行ってたりしてたので、ただ単に集まって何かするみたいな時間があんまりなかったんですよね。(その中でも制作をするために)データを作ってやり取りしだしたのが、去年の末とか後半からとかで」

──ちなみにそういうデータのやり取りで作った曲だったり、メロディー先行で作った曲って、どの曲になるんですかね?

U太「曲でいうと「薬草」っていう曲は、けっこうデータでやった気はするかなー」

康雄「「薬草」ははじめバンドでばーっと合わせて、それを使ってデータで調整するっていう作業で作ったんですよね。そこで、徐々にデータからやれるようになった感じかな」

まさやん「今年でいうと、「ライブハウス音頭」は歌詞先行でやってたんですよ。で、それ以降はメロディー先ですね。ただ、音源にはまだ全然なってないっていう」

康雄「「トレジャーハンター」っていうのがコロナ禍で作った曲なんですけど、「トレジャーハンター」を作るに至ったのは配信ライブとかするのもいいけど、結局動いている感じをみんなにわかってもらうのって新曲を発表するのがでかいなって話になって。で、新曲をビデオありきで作ろうみたいな。新曲を作ってしまって、ミュージックビデオを作ってって話になって。で、曲作りもやっていこうってなったときに「情熱の薔薇」みたいな曲、ないかなーってまさやんに言ったんですよ。で、出てきてもらったデータに歌詞をのせて、いじくって、っていう作業ですよね。ただ、結果、「情熱の薔薇」みたいな曲にはなってないんですけどね」

まさやん「(笑)」

康雄「お客さんの前でライブができるようになったとき、新曲も聴いてもらいたいけど、これまでに新曲も覚えといてもらいたいなみたいなのもあったんですよ。その当時、よく言ってたのは、難しい曲、作らんとこって。難しい曲を作って、久しぶりにライブしたときに、難しい曲をやったら嫌やろって。ライブが再開できたときに、時間をもてあましてたから、めっちゃテクニカルな曲を作りまくったりとか、めっちゃ思想の強い曲を作って、ライブを再開できたときにごっついコアなライブやったら、観る方は嫌やろうなっていう・・・。(なので)すごいわかりやすい曲を作りませんか?っていう提案したのは覚えてます。そこから「トレジャーハンター」にいったと思うんですよ。データでやりとりして作った歌がストレートな歌だったというのは、僕は良かったと思いますね。ちなみに、ぼくともりおかくん(モリス)はパソコンが使えないんですよ」

モリス(ドラム)「はい」

康雄「四人中ふたりしか使えないんで、結局、スタジオで合わさないと曲作りにはなっていかないんですよ。そういう意味では、徳島のバンドでよかったなーとは思いますね。これが東京のバンドだったら(なかなか)スタジオに入れてなかったと思いますし。四国は東京や大阪のバンドに比べて、会いやすかったですし」

来年に向けての展望について訊ねてみた

──では、来年を含めてこれからの目標を伺えたらと思います。

U太「ツアーをしたいですね。(今年は行けなかったところが多いので)そういう人たちの街にも行きたいです。あと、ツアーを回る理由みたいなものも作った方がいいなとも思いますね」

まさやん「この前、PANと対バンで2箇所まわって、対バンめっちゃいいなってなりました。(なので、)来年、対バンをやりたいなって思います。他のバンドを観て、刺激を受けるっていうのを久しくしてなかったので」

モリス「来年は、お客さんもそうやし、色んな人に会いたいです」

康雄「・・・僕、2、3年くらい前にライブハウスの人に、四星球って色んな感情があるけど、怒りだけないよねって言われて、あーって思ったんですよ。知らん間になくなってたというか、19とか20のときはガンガンにあったんですよね、怒りが。ただ、30を超えて、確かに色んな感情でライブをやっているのに、怒りだけはなくはないけど、あまりライブに出てなかったと思ってて。でも、今って僕らちょっと怒り(をライブに)入れられてるなーって思って。この状況に対する怒りの感情があるので、ライブの幅としてはすごく広がったと思うんですよ。3年前よりも(今のライブは)ステージ上での内容は良いものになってるんかなって思ってて。で、それをとりあえず今年行けなかった街の人に観てもらうのが一番の目標ですね」

──なるほどです。

康雄「それともう一個、その怒りの理由は何だったのかっていうのを考えてたんですけど、例えば、ゲームにおいてソフトを開発するのか、ハードを開発するのかみたいなのがあって。バンドってふつう、ソフトを開発するんですよね。曲を書いたりとかライブの楽しみ方(を提示する)とか。もはやライブをすること自体がハードみたいなもんやから。でも、コミックバンドはハード自体を作るジャンルやと思ってて。(自分としても)ライブごと作ってきた自負があったのに、コロナ禍によって勝手にハードを作られたみたいな感じなんですね。(今の怒りって)そこに対する怒りやなと思ってて。勝手にハードを作られて、そのハードで遊ぶためのソフトを作らされている感覚なんですよ。そこの悔しさみたいなのがあるので、2021年は、もう一回、ハードごと遊べるような活動ができたらなーと思いますね」

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