奥田民生の音楽がどこまでも響く理由の考察
そういえば、ブログの過去記事を遡ってみると、奥田民生の記事を書いていないことに気づいた。部分的には触れていたけど、本題としては扱っていなかったようだ。自分もそれなりに奥田民生の音楽を聴いてきた人間なので、今日は奥田民生の話をしてみたいと思う。
ところで、なぜこのタイミングで奥田民生なのか。
というのも、先日、ブログでMr.Childrenの記事を書いたんだけど、昔何かのテキストで(確かベストアルバムのテキストで)桜井和寿が「奥田民生のボーカルのモノマネをすると似ていると言われる」みたいなやり取りがあったなーと思い出したことと、プラムチャウダーのイベントといえば、奥田民生は外せないなーなんてことをぼんやりと思い出したので、そうだ、今日は奥田民生の話をしようと考えた次第である。
世代的に言うと、自分が物心がついたときにはUNICORNは解散しており、奥田民生はすでに不動のアーティストとして君臨していた。そのため、UNICORNの初期からリアルタイムで追いかけている人とは、見え方や捉え方が異なっているかもしれない。
ただ、後追いながらも奥田民生の音楽を追いかけるようになった。フェスを中心に奥田民生のライブを何度も目撃した。そのたびに、心が惹かれたことは、昨日のように記憶に残っている。
では自分的に、奥田民生の何に心惹かれたのか?ということをこの記事で話してみたいと思う。
サウンドの渋み
奥田民生の音楽って、明確に己の美学がサウンドに落とし込まれていると感じる。
こういう音色を自分はかっこいいと思っている。だから、こういう音色にしている。
そういう背景が、サウンドの中に現れている印象を受けるわけだ。しかも、どの楽曲もそのかっこいいの軸がぶれない。
「愛のために」のような初期の楽曲から、2010年代以降のリリースの楽曲まで、本当にぶれていない。
確かにどのアーティストだって、サウンドそのものにこだわってはいると思うが、時には「自分はそれがかっこいいと思う」の美学よりも、流行りとかそういう別の要素を優先して、アレンジするケースはあるように思う。
あるいは、時期に応じて趣向ががらりと変わるアーティストも多い。(特にこれは洋楽のアーティストに多い印象を受ける)
でも、奥田民生って、そこの軸が一切ぶれていない。だから、奥田民生のアーティストとしての良さもぶれないし、何十年経っても奥田民生のアーティストとしての不動さも揺れ動かない。
その音色の正体を言葉にするとすごく難しいんだけど、楽器のチューニング具合とか、どういうエフェクトで音を歪ませるか、みたいな色が本当にひとつの軸で繋がっているわけだ。
どんな色のサウンドが鳴っているか、ということに意識を向けて聴いてもらうと、そのあたりは感覚的に納得してもらえるとは思う。
そして、音色へのこだわりが強く、そこにぶれがないからこそ、「愛のために」然り、「さすらい」然り、「イージュー★ライダー」然り、「息子」然り、「コーヒー」然り、「The STANDARD」然り、時代が経っても色褪せない輝きを放っている印象を受ける。
ボーカルの際立ち
近年の日本の音楽は細かく情報を詰め込んだ楽曲が多い。
おそらく、いっときも飽きさせないようにするためのサービス精神からきているものだと思うが、とにかく次々に変化を繰り返す楽曲が多い。
最近の楽曲は転調が多いとか、すぐにサビが始まるとか、そういう指摘をされることが多いのも、そういう背景が理由だと思う。
一方、奥田民生の楽曲って、近年のそういう楽曲と比べると、展開がゆったりしているし、変化がなだらかな歌が多い。
でも、どの歌も冗長かといえば、そんなことはない。グイグイ引き込まれる。
その理由は複合的にあるんだけど、やっぱり軸としてあるのは、ボーカルがあまりにもボーカル然としているからだと思う。端的に言えば、ボーカルの存在感が強いから。
世の中にいるバンドの音楽を聴いていると、ボーカルよりもサウンドの方がインパクトがあるなーと感じるケースも一定数いる。ライブで聴くと、サウンドの激しさにボーカルが飲まれてしまっている、というケースにも出くわす。
でも、奥田民生の歌って、そういうことが絶対にない。
どれだけバンドサウンドが仕上がっていても、なんならスキのないバンドサウンドでありながらも、ボーカルが上から己の色に塗り替えていく。
だからこそ、奥田民生の歌には独特の緊張感がみなぎる。
音源でもそうだし、ライブならその迫力がよりダイレクトに伝わる。
だから、楽曲側で多彩な変化を要せずとも、ぐっと歌に入り込める。なんなら、そんな変化があろうものなら、奥田民生の歌においては蛇足になってしまいそうな空気感もある。
というか、仮にそういう歌を奥田民生が歌ったとしても、奥田民生の歌になるんだろうなーという気もする。譜面的には複雑な歌も、奥田民生の歌い回しやメリハリが加わることで、奥田民生っぽい変化の歌になるというか。
結局のところ、これこそが奥田民生の楽曲における、大いなる魅力のひとつだと思うわけだ。
だから、他のアーティストには替え難いものになるし、不動のものとして数十年の間、君臨しているわけで。
歌がそこにあることで成立させる圧倒的なエネルギーが、奥田民生の歌にはいつも宿っているわけだ。
まとめに替えて
奥田民生の歌って、やっぱり好きだなーなんてことをふと思っていた中で、なぜ自分は奥田民生の音楽が好きなのかを振り替えながら、その思考を言葉にした次第。
つくづく思う。
奥田民生の歌は、どの歌も良いなあ、と。
時代を超えても、どの歌も胸の奥底に響くよなーとしみじみ感じる、そんな夜。