個性がぶつかり合うフジファブリックとフレデリックとSmithの話

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世の中には混ぜたら危険なものがある。

有名なところでいえば、コーラとメントス。

コーラの中にメントスをぶちこむと、コーラが爆裂な噴水のようになって、溢れてしまうのだ。とても危険だ。

あるいは、塩素タイプと酸性タイプの洗剤を混ぜると有毒な塩素ガスが発生してしまうので、「混ぜるな危険」と注意喚起していることが多い。本当に混ぜたら危険なやつである。

そう。

このように、世の中には混ぜたら危険なものがある。

こと、音楽でも混ぜてしまうと、なんとなくヤバそうな心地のバンドというのがある。

まあ、こういう書き方をすると色んな意味で捉えられそうではあるが、「仲が悪い」とか「トラブルを起こしそう」とか、そういう視点ではなく、ここではもっと音楽に寄せた話として書き進めていきたい。

例えば。

めっちゃ個性が際立っているバンドがいたとする。

で、そのバンドは他の人に楽曲を提供しても「この俺たちの歌ですよ」という強い主張を行ってしまうとする。

その結果、クレジットをみるまでもなく、「あ、この歌、きっとあのバンドに提供されたに違いない」、そう思わせることになるのである。

そういうバンドが、安易に他のバンドとコラボした楽曲をリリースしたら、そのバンドの個性がもう片方のバンドの個性を塗り潰してしまう可能性がある。これは、とても危険なように思うわけだ。

しかし、事件は起こる。

とある個性が強いバンドは、とある楽曲で他のバンドとコラボすることになるのだ。

ただし、懸念していたことは懸念していた通りには起こらない。

なぜなら、コラボした相手もとんでもない個性のバンドだったから。

そう。

ぶつかった個性はとんでもない衝突を繰り返した先、まったく違う次元へと昇華されることになる。

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フジファブリック×フレデリック 「瞳のランデヴー」の話

くどい前置きをしてしまったが、個性の塊であるフジファブリックとフレデリックがコラボ曲である 「瞳のランデヴー」をリリースした、という話なのだ。

で、この歌がすごいのだ。

なぜなら、マジで初めて楽曲を聴いた際は、どれが楽曲を書いたのか、まったくわからなかったからだ。

というのも、その混ざり方が本当に絶妙なのだ。

最初は、あ、これフレデリックのそれやん・・・と思ったのだが、楽曲を聴くと、いや、これフレデリックじゃなくてフジファブリックのそれやん、となってしまうのである。

個性が際立つバンド同士のタッグ故、不思議とどちらのバンドの個性も楽曲中に随所に感じてしまうのである。

例えば、冒頭のイントロの「踊り出したくなる感じ」はフレデリックの真骨頂のように感じた。

そのビート感に、嫌というほど三原康司の高橋武の顔を思い起こすことになるのだ。

特に小刻みにビートを刻みながら疾走感を喚起させるアプローチ高橋武のドラムアプローチのそれなのである。

でも、普段のフレデリックの楽曲にはないタイプの音色も感じる。

その音の先に、不思議と金澤ダイスケの指先を思い起こすことになってしまうのだった。

よく考えると、フレデリックにはキーボードがいないし、フジファブリックにはドラムがいない。

お互いのバンドにはいないパートに”個性”が宿るバンドだからこそ、アレンジが生み出す個性も熾烈を極めることになるのである。

ちなみに、歌が始まってもその様相は変わらない。

最初は山内総一郎がボーカルを取る。

山内が歌うと、確かにこれはフジファブリックの歌だなあ、と感じることになる。

しかし、次に三原健司がボーカルをとると、いっぺんしてその歌はフレデリックの歌になってしまうのだ。

まるで、攻防の激しいオセロの盤面のよう。

さっきは黒だと思ったら、すぐに白に入れ替わる。

どちらかがメインでどちらかが招かれた・・・という感じが一切しない。

お互いの個性が楽曲の中で美しく溶け合うのである。

で、Bメロの流れは自分的にフジファブリック濃度を強く感じたし、サビの最後のフレーズの感じはなんとなくフレデリックっぽいものを感じたので、さてはこの歌、共作だな、クレジットはずばりフジファブリック×フレデリックだな!!!!と思って、ちゃんとクレジットをみると、もういっぱい食わされることになる。

作詞は、金澤ダイスケ・山内総一郎。

作曲は、金澤ダイスケ。

ばばばばばばばかな〜、楽曲的にフジファブリック濃度100%~~~~?????????

絶対に三原康司のエッセンスもあると思ったのに〜〜〜。

と思いつつも、確かにアレンジは共作で作られた楽曲であるため、おそらくアレンジをしていく中で楽曲の表情が変わっていったこともあるのだろうと察するし、曲が完成していく中で、どんどんフレデリックのエッセンスが足されたんだろうなあと思う。

っていうのもあるし、今作はSmithがMVを取っているんだけど、よく考えたらどちらのバンドのMVも手がけたSmithなので、映像的な観点からみても見事のお互いのバンドの個性が交錯するような仕上がりになっているのだ。

世代によって、SmithのMVといえばの観点は変わるのかもしれないが、両方知っている者からすれば、不気味に見える独特のダンスが織りなす映像展開は、二つのバンドの音楽を際立たせるエッセンスになっている はず。

でもね、楽曲を聴いていると、どっちがどうのという話は、マジでどうでもよくなる。

というのも、2番のサビが終わったあとの間奏、それぞれのパートがソロをプレイするところがめちゃくちゃにかっこいいからだ。

加藤慎一の大人びたベースプレイも、赤頭隆児のトリッキーなギターフレーズも効果的に響くことになり、最終的に二組のバンド「だからこそ」のグルーヴが生まれる秀逸さ。

その美しいダイナミックさに鳥肌が立ち、そこで胸がいっぱいになるのである。

まとめに替えて

今まで、色んなバンドのコラボ曲を聴いたけれど、これほどまでにそれぞれのバンドがそれぞれの個性を剥き出しにしつつ、結果この二組にしか生み出せないサウンドを生み出しているコラボ曲は、そうはなかったように思う。

改めて、フジファブリックもフレデリックも、無二性のサウンドを響かせるバンドだと感じた、そんな次第。

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