前説

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楽曲をリリースするたびに「え、前作と全然テイスト違うじゃん。そんな一面もみせるの?」と思ってしまうアーティストがいる。

日本の音楽シーンで圧倒的に存在感を放っている人は、そういうタイプの人が多い気がする。

星野源もまた、そういうアーティストの一人だと思う。

今年発表された楽曲だけに絞っても、そのことを強く感じさせる。

今年2月に発表された「創造」は、疾走感のあるアッパーなナンバーだった。

星野源らしい鮮やかなアイデアと引用とリスペストに包まれた心地よさ。

星野源にしかできないユーモアで彩られていた。

そんな星野源が、2021年4月に発表したのが「不思議」という楽曲。

ちょっと聴いただけでも、「創造」とまったくカラーが違うことがわかる。

ボーカル、サウンド、歌詞、メロディー、リズム。

すべてが違う力学で作られているようにすら思う。

なにより「創造」はとにかく情報量の多い楽曲なのだとすると、「不思議」はすごくシンプルに整った楽曲の印象を受けるのだ。

こういう振り幅を軽やかに提示するところが、星野源の良さだと改めて思うわけである。

「不思議」の魅力について

不思議と響く妖艶な歌声

サウンドがミニマムな構成になっている分、星野源のボーカルそのものの存在感が強まっている「不思議」という楽曲。

イントロもなく、いきなり歌から始まる点でも、ボーカルの存在感を強めている。

で、そこで響く星野源のボーカルの絶妙な憂い。

なんというか、クールかつシックに響くグルーヴ強めの楽曲時の星野源のボーカルって、独特のエロさを解き放っているように思うわけだ。

<エロさ>と言ってしまうと、ちょっと俗っぽい響きになってしまうかもしれない。

が、シンプルなメロディーラインも星野源が歌うことで官能的な響きを宿らすような心地を覚えるのだ。

というよりも、星野源のボーカルって明るく振る舞うことだってできるけれど、ボーカルの奥底にはそういう艶をいつも隠し持っていて、こういうサウンドになると、その隠していた爪をがっと見え隠れする・・・・とでも言えばいいだろうか。

なんにせよ、星野源が持つ妖艶さが「不思議」の楽曲では炸裂している。

そのように思うわけだ。

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不思議と揺らぐ言葉の切なさ

「不思議」はボーカルの存在感が強い歌だと述べた。

イコール、それは歌詞のメッセージが鋭くなる歌であるとも言えると思う。

「創造」の場合は、<歌詞を聴く>というよりも、あとから歌詞カードをみたときにフレーズ単位の仕掛けに気づいてニヤリとしてしまう、みたいなタイプの楽曲だったように思う。

しかし、「不思議」は楽曲と同じテンポの中で、ダイレクトにメッセージが届く歌であるように思うのだ。

だから、歌を聴きながら言葉の鋭さを体感することができる。

メッセージ性の強度に触れることができる。

というのも、星野源の最近の歌は、他者との距離感に対して慎重な歌が多い。

単純に<音楽でひとつになろうぜ>みたいなことを言うことは絶対にしない。

<みんな一緒だ>みたいなことも絶対に言わないし、むしろそういうメッセージに対して懐疑的な言葉を投げかける。

それぞれが違うことを強調し、その違いを包み込むことの重要性を楽曲の中に忍び込ませる。

カルチャーを通して、グローバルな視点で<他者>をみて、自分たちのことを見つめてきたからこその星野源の視座が、いつもそこにはある。

「不思議」もまた、そういう星野源ならではの眼差しを感じられるのではないかと思うのだ。

幼い頃の記憶 今夜食べたいもの
何もかもが違う

こういうフレーズを楽曲に忍ばせる。

ここにあるのは自分と君に対する違いの明確化だ。

でも、単に違うことを言うのではなく、違うことそのものを肯定し、包み込むフレーズをその後に続ける。

こういうテイストの歌でも、変わらない他者の眼差しを歌に忍ばせるのが、星野源の良さのひとつだと思うわけだ。

“好き”を持ったことで 仮の笑みで
日々を踏みしめて 歩けるようにさ

何気ないフレーズの中で、悲しみの色を落とし込むのも、星野源の楽曲の特徴だ。

某アンミカみたいにフルスロットのポジティブで向き合うようなことはしない。

実際、今の世の中は、色んな意味でそこまで軽くやり過ごせるものではないからだ。

でも、星野源は仮にネガティブな事象があったとしても、それはそれとして受け止めつつ、違う何かに解釈しなおす優しさを提示する。

「不思議」も、文脈こそ違うものの、星野源のそういう価値を感じることができる。

そして、この歌を最後まで聴くと、最終的にこの歌は愛を否定する。

というよりも、愛に似た何かだったり、勇気に足るものという言い方をして、それそのものを表現するようなことは避けていくのだ。

ここも、実に星野源らしい眼差しだと思う。

愛とか勇気と同じではないということを歌のメッセージの中に忍ばせ、むしろ、その違いこそが大事だと言わんばかりのメッセージを忍ばせているわけだ。

でも、それそのものは否定しつつ、確かに違うけれどそれとは近い何かは生まれるはず、というメッセージを歌にする。

そういう距離感が、星野源らしくて素直に良いなあと思うわけである。

まとめ

星野源の歌がなぜぐっとくるのか。

きっとそこには、楽曲ごとにまったく違うアイデアを提示しつつも、変わらない優しいまなざしがあるから。

枝葉や触り心地は楽曲ごとにまったく違う。

でも、根底は変わらない。

「創造」だったり「不思議」を聴いて、改めてそのことを感じるのである。

星野源の不思議な魅力を「不思議」を通じて、改めて感じることができる。

だから、この楽曲がどこまでも尊く、響くのである。

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