前説

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バンドって生き物である。

なので、どうしても好きだった頃と少しずつ形が変わっていくことが多々としてある。

仮にバンド側がほとんど変わらないとしても受け手側の自分が変わるということもよくある。

それについては良いも悪いもない。

そういうものなのである。

なので、どこかのタイミングで「前のほうが良かったな〜」なんて思ってしまうわけである。

んだけど、変わっているんだけど、変わっていない魅力を放ち続けているバンドもいて。

自分の中では、スピッツがまさしくそういうバンドに当てはまる。

新曲となる「紫の夜を越えて」を聴いて、改めてそのことを感じた。

そこで、この記事では「紫の夜を越えて」の感想みたいな記事を書いていきたい。

本編

世相を描いたスピッツ

今作を聴いた自分の最初の感想が、スピッツ、えらく切り込んだなーというものだった。

というのも、スピッツの歌って良い意味で妄想的でファンタジーのニオイが強い。

けれど、今作はどこまでもリアリティーを帯びた歌な印象を受けたのだ。

具体的に言えば、コロナ禍になった世の中を描いた歌のように感じたのだ。

「紫の夜」をどう捉えるのかを考えるまでもなく、

画面の向こうの快楽

一緒にいて欲しいありがちで特別な夜

少し動くのも恐れてた日々突き破り

といった、コロナ禍の今だからこそ、特別な意味を帯びていく言葉が随所に散見される。

直接的にコロナ禍の世の中を歌詞にしたのかはともかく、この歌は妄想の世界でしかない遠い世界の歌ではない印象をはっきりと感じるわけである。

「君」という人物がこの世界にはいない、どこか遠い偶像なのではなくて、もっと素朴で近くにいる人物な印象を受けたのである。

そういう意味で、ここまでスピッツの歌詞でリアリティを感じたのは、はじめてだったということである。

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でも、不思議と感じないきな臭さ

ただ、スピッツが社会派に寄り添う、という変化を生んだことで、今までのスピッツの良さが崩壊したかといえば、まったくそんなことはない。

変な言い回しになるけれど、ある意味とてもスピッツらしい歌にもなっているのだ。

透明感のある優しい草野の歌声。

繊細で切なく響く三輪のアルペジオ主体のギターアプローチ。

躍動感も保たせながら、スピッツのサウンドを立体的に膨らませていく田村のベース。

そんな三者の音をどっしりと支えていく、安定感のある屋台骨のような崎山のドラム。

そうなのだ。

聴けば聴くほど、そこで展開されるのは、いつものスピッツの、いつもの感動なのである。

言葉だってそうだ。

確かにフレーズを紐解けば、ある種のリアリティーを覚える。

けれど、「惑星」「紫の夜」「メモリーズ」などなど、単語単位でも、もう少し広げてフレーズ単位でみても、草野らしい言葉選びを随所に感じるのである。

直接的に世の中を描くのではなく、あくまでも草野のフィルターを通して言葉にしているような、そんな心地にさせれるのだ。

だからこそ、他のスピッツの楽曲から極端に浮くことはなく、スピッツらしい切なさとワクワクを楽曲からひしひしと感じられるのである。

30年間、ずっと同じメンバーでコンスタントに楽曲を生み出し、ライブをしてきたスピッツだからこその安定感と言えるのかもしれない。

美しいメロディー

あと、スピッツがどこまでもスピッツらしく、素敵に輝いているのは、メロディーの綺麗さにあると思っていて。

上手くいえないんだけど、一見するとシンプルな構成なんだけど、誰にもマネできないソングライティングの美学が草野の歌には漂っているのだ。

変に技巧的ではなく、頭をこねくり回して曲を作るというよりは、思いついたものをさらっと形にしていく天然さがあるからこそ、そういう聴き心地を覚えるのかもしれない。

トータル、「紫の夜を越えて」を聴いて感じるのは、スピッツは良い意味で変わらないから(変わっていったことも含めて変わっていないから)良いんだよなあーという妙な落ち着きだった。

スピッツはきっとバンドが終わる最後の最後まで、良い意味でスピッツらしく、切なくてドキドキする音楽を生み出してくれる。

改めて、そのことを感じたのである。

まとめ

特にまとめることはないんだけど、こういうご時世を<紫の夜>と形容し、それを超えていく歌を作るところが良いよなーと改めて思った。

押し付けがましくない希望に触れられるからこそ、何度も何度もこの歌が聴きたくなる。

・・・のかもしれない。

そんなことを思う。

スルメ曲、の見本みたいな心地よい聴き心地。

この曲を鬼リピートする理由が、ここに詰まっている。

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