スピッツ「みなと」の歌詞の意味は?解説と解釈と考察!東日本大震災との関係
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スピッツおよそ3年ぶりとなるニューシングル「みなと」の歌詞の意味を考えたいと思います。
(配信シングルでは1年前に「雪風」がリリースされているので、この言い方は語弊がありますが)
作詞:草野正宗
作曲:草野正宗
船に乗るわけ〜で立ち止まる
最初して最大のポイントは「港」とは何を指しているのかということである。
もちろん字面通りの港ではなく、何かの比喩である可能性がとても高い。
ファンサイトなんかでは、港とは震災のあった東北の街を指しているという意見が多い。
元々、死の香りのするスピッツの歌詞だから、震災とリンクしやすいことは間違いない。
特に近年は草野さんが年々「変態濃度」を薄めている歌詞を書くことが多く(だから、最近のスピッツは爽やかになったという意見が多い)「穏やかな死の香り」が残り香となった歌詞が多いから、なおさらそう感じるのだろう。
次のフレーズの、知らない人だらけの隙間とは、避難施設で避難生活をしているようなイメージともリンクする。
震災のことを歌った歌である、と取れるような気がする。
が、実際のところ、どうだろうか。
続きのフレーズをみてみよう。
遠くに旅立った君に〜ひとつ 携えて
遠くに旅立つとは、まさしく天国へ旅立つ人のイメージに繋がる。
縫い合わせてできた歌とか、届けたい言葉を集めてというフレーズがあるが、この歌は簡単に作ったのではなく、時間をかけて作ったということがよく伝わる言葉である。
名作「チェリー」なんかは自転車こぎながら、思いつくように書いた歌らしいが、それとは真反対で、時間をかけて、メロディーも歌詞も何度も再考してこの歌を作ったことが想像される。
そして、港にいるはずの僕は、苦労して作った一曲だけを携えて、向かうという。
一体、どこに向かうというのか。
まだこの段階ではよくわからない。
サビをみてみよう。
汚れてる野良猫にも〜錆びた港で
向かったのはどうやら港のようだ。
というか、歌をひとつ携えて、今日も僕は港にいる、という読み方をするべきだったのだろう。
Aメロの歌詞は順番を変えて捉えたら良い、というわけである。
さて、サビでは「野良猫」とか「ユニバース」とかスピッツの過去の曲にもよく出てきた単語が登場する。
ちなみにユニバースの意味は宇宙とか世界とかそんな感じ。
ここではひとまず「世界」という感じで解釈しておく。
汚れてる野良猫みたいな誰からも忘れられたようなちっぽけな存在の生き物にも優しいような世界に、ここもいつしかなるのだ、と言っている。
逆に言えば、今いる世界は「正直、そこまで優しくない世界」なわけである。
まさしく復興しようとしている震災の街、ともいえそうではある。
ここで気になるのは、今は旅だったはずの君と見た「謎の光」の正体である。
それこそ謎である。
ここではまだ情報が少ないので、ひとまず置いておこう。
サビの末尾では、君ともう一度会う、と言っている。
歌わなければ君に会えないということは、ここしばらく(おそらくは長い年月)君とは会えていないというわけだし、lineで連絡を取れたら会えるような状態ではないことはわかる。
もしかすると、それなりの別れ方をしたのかもしれない。
今日も歌う、ということはいつもこの歌を歌っているわけだ。
しかし、いつも歌っているけど、それでも君には会えていないわけだ。
優しいユニバースという言葉とも少し関係しそうなポイントである。
つまり、君と会えないから今いる世界は優しくない世界であり、君と会うことができたら「ここは優しい世界」になるのではないか、ということだ。
なぜ、今僕が歌っている港のことを「錆びた港」と表現したのかもポイントではあるが、この理由についてはもう少し後で考えてみよう。
ここで、スピッツの歌詞を考察したことがある人なら一度は考えてしまう想像がめぐる。
僕が待っている君は、もう会えない場所、つまりは天国に旅立ってしまったのではなかろうか、と。
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謎だらけのまま、2番の歌詞をみてみよう。
勇気が出ない時もあり〜綿雲の意味を考える
ずーっと港にいる僕。
旅だった君とはえらい違いである。
それでも、僕は港にいるという。
さて、この「港」という言葉。
ここまで執拗に使用するということは「港」というワードは、この歌では相当に大事な役割を担っていることがわかる。
歌のタイトルでは平仮名表記をしているのに、歌詞中ではすべて漢字表記をしているのもすごく不気味な話である。
ところで、勇気が出ない時、という言葉がさらっと登場しているが、僕は何か決心する必要があることが迫られているわけである。
どちらかというと、毎日港で歌を歌うだけの放牧的な人物という印象を受ける僕であるが、一体勇気を出して決心しなければいけないこととは何だろうか。
誰かに告白でもするのか?まさか?
そして、消えそうな綿雲というフレーズも、どこか死を予感させるフレーズである。
いや、「消えそう」と言っているのであり、「消えた」わけじゃないところがこの歌のポイントな気がする。
消えそうなものを探しているからこそ、勇気が出たり出なかったりすることとも繋がるような気がする。
とりあえず、歌詞の続きをみてみよう。
遠くに旅だった〜百までやり直す
君がいなくなってそれなりの時間が経過していることがわかる。
結局、僕にとって君とは何者なのか、実はこの段階でよくわかっていない。
君は僕にとって恋人なのか、友達なのか、それ以外の別物なのか。
ただし、ぼやけ始めるということは別れてからそれなりの歳月が経っていることがわかる。
ところでこの「証拠」という言葉。
スピッツの歌詞には珍しい言葉だが、この証拠って何にかかっているかおわかりだろうか。
君、にかかっているのか、遠くに旅立った、にかかっているのかで大きく意味が変わるわけだ。
つまり、君の遠くに旅立った証拠、なのか、遠くに旅立った君の証拠、で変わってくるわけだ。
君のことはしっかり覚えているが、遠くに旅立ったことが記憶からぼんやりしてきているのか、君という存在そのものが記憶からぼんやりしてきているのかの違いというわけだ。
だって、ずっと君に会いたくて歌っているはずの僕が、君のことを忘れそうになりかけているなんておかしな話ではないか。
ゼロから百までやり直す、なんてますます変な話である。
しかし、旅立ったという事実に対して、ゼロから(ところで、ゼロを0ではなくカタカナ表記したのもポイントである)百までやり直すならば、繋がるのではなかろうか。
君が旅立ったのは証拠としてあるが、最近は記憶が薄れて「そうではなくて、別のことをしている」と思い始めてしまうときもあるので、記憶を一から洗いなおす、みたいな意味合いに捉えなおせば意味が繋がるわけだ。
ちなみにゼロを0としなかったのは、完全に0ではないからであろう。
便宜上、ゼロという言葉を使うが、当然、少しは記憶が残っているので、カタカナで表記したわけだ。
ゼロだけど、0じゃないことを強調したくてカタカナ表記にしたわけである。
先をみてみよう。
すれ違う微笑たち〜一人港で
すれ違う微笑とはラブラブのカップルのことを指した言葉かもしれないし、仲のよさげな家族のことなのかもしれない。
カップルであれば、君は恋人になるわけだが。
いずれにせよ、人と同じような幸せを信じていたのに、それが叶わなくなったことがよくわかる。
そして、僕はそれに嫉妬している。
君は死んだのだろうか。
もし君が死んでいたとして、ひとつ気になるのは、僕が港でずっと歌を歌っていることである。
妙に能天気な感じがするわけだ。
ましてや、この歌を東北の歌と考えれば、僕の軽さが妙に際立ってしまう。
しかし、やはり微笑たちをみて、己もああなれる信じてたと夢想するということは、僕は今「微笑たち」になれていないわけだ。
そして、朝焼けがちゃちな二人を染めていた、のフレーズに出てくる二人は一番の歌詞に登場してきた「黄昏にあの日、謎の光を眺めた二人」=僕と君のことなのだろう。
黄昏は夕暮れ時で、朝焼けは太陽が昇る前の時間帯なわけだ。
つまり、二人は一晩中、そこにいたわけである。
朝焼けが染めたのだから、おそらくは野外で。
あくびをするくらいだから、オールをしていたのかもしれない。
だけど、今はそこに君がいなくて、それを強調するように、2番のサビは「今日も歌う 一人港で」というフレーズで締めくくる。
そんなことを考えているうちに最後のサビ。
汚れてる野良猫にも〜錆びた港で
最後に「港で」という言葉をリフレインするわけだが、それは今回は割愛しておこう。
さて、ここでひとつ頭をかすめることがある。
汚れてる野良猫とはまさしく、僕のことではないか、と。
猫とは自由気ままに振る舞う生き物の象徴で、港で歌を歌い続ける僕と妙に重なる部分がある。
要は、僕はなんとなく猫っぽいというわけだ。
そして、それはつまるところ、君といる間、僕は「飼い猫」だったことを意味する。
けれど、君はいなくなって、僕は「野良猫」に戻った。
野良猫の自分にとって、微笑みながらすれ違うのカップルは疎ましく、嫉妬の対象である。
そんな世界は、まさしく厳しい世界そのものである。
けれど、また「飼ってくれる人」が現れたら、この世界も「優しくなった」と言えるわけだ。
その一方、野良猫が意味することは文字通り「家がなくなった」ことを指しているのかもしれない。
なぜ、家がなくなったのか。
震災という言葉がここで重くのしかかるわけだ。
仮設住宅で日々を過ごさざるを得なくなった僕は、文字通り汚れた野良猫になったわけである。
そんな野良猫の僕はお金や力があるわけでもなく、できることと言ったら、ただただ歌を歌うことくらいなわけだ。
だから、僕はひたすら歌うことを選んだのかもしれない。
そして、理由は判然としないが、君がいなくなったことだけは明白である。
もしかすると、君が旅立った=天国へ行った理由は、震災ではないか、と想像することできる。
君の旅立ちがあまりにもショッキングだったからこそ、君の旅立った証拠をゼロから百までやり直して、整理しないとぼやけてしまい、受け止められることができない、と想像することもできるわけだ。
震災さえなければ、己もああなれると信じてたと、微笑たちを見てしまうのも仕方ないのかもしれない。
ただし、そんな想像を膨らます前にひとつ考えておきたいのが、謎の光というフレーズだ。
こいつの正体に迫りたい。
これが具体的に何なのかはわからないが、港という言葉から考えると、灯台のイメージとリンクする。
もし、港に夜通し君といて、何らかの光を見たのだとしたら、それは灯台の明かりである可能性が高いわけだ。
そして、それが灯台の光であるということを認識していなければ、灯台の光が謎の光に見えてもおかしくないわけである。
もしかしたら、そのときは謎に見えた光の正体が灯台の明かりだと気づいたらからこそ、毎日のように港にきているのかもしれない。
僕と君は港の近くで当時は謎の光と思っていた灯台の明かりを見つめながら一夜を過ごし、そこでカップルになったのかもしれない。
すれ違う微笑に嫉妬しているのだから、もしかしたらそこで、プロポーズをしていたのかもしれない。
けれど、そんな思い出の港で生きていた二人の街は震災に襲われ、波が君をさらい、遠くに旅立ったのかもしれない。
遺体はみつからず、君がいたはずの家が流されたという事実があるだけ。
だから、証拠はぼやけ始める。
でも、現実から目は背けず、ゼロから百までやり直して、君が旅立ってしまったことを受け止めようとしているのだ。
家が流され、仮設住宅で日々生きている僕は、まさしく野良猫のようになった。
飼い主もいなくなり、家もなくなったわけだ。
そんな僕からすれば、この世界は優しくないユニバースである。
けれど、いつまでもうつむいているわけにはいかない。
君に告白をしたときに見ていたあの時の光を思い出し、心を奮い立たせるわけである。
この世界はいつしか優しくなると信じて、生きていくことを選ぶわけだ。
君と会うために作った歌、とは、僕なりの決心の言葉だったのかもしれない。
港、とは君と僕が出会う記憶の世界の比喩なのかもしれない。
この歌詞では7回、港という言葉が出てくるが、これは文字通り場所としての「港」を指すこともあれば、心の世界、君との思い出の記憶の世界の比喩としての「港」としても登場させているのだろう。
だから、君なしで生きていくことに勇気が出ないときにいた港はおそらく比喩の港で、冒頭の港は場所としての本当の港なのではないかと思うのだ。
港が錆びているのは文字通りのこともある一方、記憶が風化する、というニュアンスも込められているのではなかろうか。
震災があって、死者の数ばかりが注目されるが、亡くなる方がいる一方で残される人が必ずいるはずである。
そんな残された人にとって、生きる活力というのは、風化していく思い出だったり、あの日見た不思議な景色だったり、君ともう一度会うための縫い合わせた歌だったりするのだろう。
歌う以外に僕が次に何をするのか、この歌では明言されないが、記憶の中に港を作り、そこで歌を歌いながら、復興のため、優しくなるユニバースに作り替えるため、日常へ戻ろうとしているのである。
復興を支援、とか日本がんばれ!とかそんなチープな歌じゃないけど、それでも震災について、残された人のために言葉を紡ぎたかったから、この歌が出来上がったのかもしれない。
そんな妄想で、この歌を読み解いてみました。いかがだったでしょうか。
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