カネヨリマサルの「わたし達のジャーニー」が最強旅お供ソングな件

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バンドを応援していると、”メジャーデビュー”を果たすフェーズを目撃することがある。

これ、応援している側からすると嬉しいニュースである。

その一方で、メジャーデビューを大々的に発表した後、そのバンドが生み出す音楽にどのような変化を与えるのかが気になるケースもあると思うのだ。

インディーズ時代からのファンで、そのバンドの<荒削りな部分>が好きだった人からすると、メジャーデビューすることで生じる変化、しかも清潔感が増大すると思われる変化に対して、不安を思ってしまうケースもあるわけだ。

当然、より良いものがリリースされるという前提はある。

その音楽がよりたくさんの人に届くと思われる可能性だってワクワクはする。

でも、その過程で生じる変化がどのようなものなのかで不安に思ってしまうリスナーは一定数いるように思うわけだ。

だって、その変化が必ずしも自分好みのそれになるのかはわからないし。

場合によっては、尖っていた個性がマイルドになってしまうケースだって考えられるからだ。

もちろん、これは好みの話なので、正解不正解があるわけではない。

ただ、メジャーデビューを発表してからリリースされるシングルが、どういう色合いのものになるのか、どういう変化を身に纏ったものになるのか、”当時”からファンの人にとっては、それがとても気になるトピックだという事実は間違いなくあるように思うわけだ。

カネヨリマサルもまた、バンドが進化する中でメジャーデビューを発表したバンドである。

もともと、ビクターエンタテインメント「Getting Better Records」×「TRUST RECORDS」による共同インディーズレーベルからミニアルバムをリリースしていた、独特の立ち位置のバンドであるが、2023年のフルアルバムのリリースで「メジャーデビュー」をはっきり発表したわけだ。

それによって、楽曲がどのような変化を持つのか、は気になる部分であったはずだった。

音源を聴くと、確かに、それによって変わった部分もあったのかもしれない、と思う部分もある。でも、それ以上にカネヨリマサルの持つ、変わらない魅力が炸裂して増大していることを実感している自分がいたのだった。

新しく発表された、「わたし達のジャーニー」を聴いて、改めてそんなことを思うのである。

そこで、この記事では、カネヨリマサルの「わたし達のジャーニー」の話をしてみたい。

カネヨリマサルの「わたし達のジャーニー」の良さ

この歌、何がいいって歌の眼差しとボーカルのトーンがすごくシンクロしているところなのである。

<わたし達のジャーニー ずっと夢を見ていけ>というフレーズでこの歌は始まるんだけど、このフレーズが持つ温度感と、ボーカルの温度感が綺麗にシンクロしている印象を受けるのだ。

・・・と言っても、よくわからないかもしれないが、あえていえば、変に創作感を覚えない、とでも言えばいいだろうか。

アーティストによって、自分が経験したことを歌にする人もいれば、妄想で歌を作る人もいる。

カネヨリマサルのこの歌、どこまでも歌の主人公が地に足をついて存在している印象を受けるのだ。

だから、最初から最後まで歌詞が、すーっと入ってくる。

なんなら歌がすーっと入りすぎてしまうので、歌の中で出てこないはずのワードすら、歌の景色の中で脳裏をよぎる。

歌を聴いていると、不思議と夕焼けにも似た景色が見えてくるし、不思議と電車の中でガタンゴトンと揺れる主人公の映像が見える瞬間もある。

歌のトーンは異なるし、歌の中で描いている内容も違うけれど、歌の解像度が高くて、歌の主人公の視点から色んな映像が見えてくるという意味で、自分的には、くるりの「ハイウェイ」に通ずるものがあるような印象を、勝手ながらに覚えた。

不純なものが入っていない感じ

バンドの音楽って、サウンドの足し引きが難しい。

例えば、バラードだからストリングスを入れようとか、カラフルにするために鍵盤を入れようとか、色んな判断がある中で、音の足し引きをしていくと思う。

ギターの音色でみても、何本のギターの音を入れるのか、どれくらいトリッキーな技法やアクセントのつけたエフェクトをかけるのか、といった選択の中でサウンドを固めていくように思う。

何が正しくて、何が間違いないのか、ということはわからないし、結局のところ、サウンドなんて好みの部分が大きいと思う。

ただ、そんな中で「わたし達のジャーニー」で選んだカネヨリマサルの音がめっちゃ良いなあと思うのだ。

なんというか、歌の世界を描くうえで、とにかく余計なものが入っていない心地を覚えるのだ。

すっぴんモードのバンドサウンドというか。

等身大の歌詞視点に、変なブレを与えない音を響かせているというか。

Bメロのギターのブリッジミュートの使い方も絶妙だし、サウンドが織りなすアンサンブルも絶妙なのだ。

バンドサウンドだけでありながら、いっぱいの足し算をしたどんなサウンドよりも、歌世界と鮮やかにシンクロしているし、サウンドの響きが叙事的な心地を与えてくれる。

いしはらめいのベースと、もりもとさなのドラムが織りなす、シャープだけどポイントを的確についた音づかいが、「わたし達のジャーニー」の歌世界の解像度を上げているように思う。

そして、ちとせみなが寄り道のしない歌とギターを響かせることで、克明に楽曲に命を吹き込むのが、よても良いなーと思うのである。

メロディーの美しさ

「わたし達のジャーニー」で屈指のポイントといえば、その美しいメロディーにあるように思う。

特にサビでみせる、音符を伸ばしながら瞬間的にファルセットを披露するメロディーラインは天下一品であるように思う。

例えば、冒頭の「ジャーニー」というフレーズの部分。

ここで、早速、それを披露する。

<わたし達の>が比較的淡々としたメロディーでありながら、「ジャーニー」の「ー」のタイミングで、スマートかつ切なげにファルセットを披露するのが良い。

これだけで、歌の解像度がぐっと上がっている印象を受ける。

さらに、次に出てくるサビでも巧みなファルセットを三件できる。

例えば、「ブルー」のところの「ー」の部分。

ここのファルセットも、鮮やかでめっちゃ良い。

というのもあるし、ファルセットを駆使しながら階段のように上り下りするメロディーラインが、カネヨリマサルっぽくてぐっとくるのである。

メロディーの良さも、このバンドの楽曲の魅力を示しているなと感じる瞬間が、何度もでくるのであった。

まとめに替えて

結論、カネヨリマサルの「わたし達のジャーニー」、想像以上にぐっとくるぞ、という話。

今作は初めてのドラマタイアップということらしいが、カネヨリマサルの変わらない部分が鮮明で、色んな景色を感じさせる楽曲になっているなーと思った自分。

もし今旅をするなら、ぜひお供にしたい一曲だなーと感じた、そんな夜。

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