“ラシュボ”ことRUSH BALL 2023に行ったら、あの頃ばりにセキュリティーがスタンバイしていた件

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2023年のRUSH BALLは3日間の開催となっていて、自分は後ろの二日で参加する予定でチケットを買った。

で、昨日、二日目のRUSH BALLに行った。終わった。

あっという間だった。

天候も良かったし、どのバンドもライブがかっこよかったのだ。

なので、その感想を書いてみたいと思う。

ところで、今年はRUSH BALLが25周年ということで、ブッキングにも25周年だからこその気合いの入り方があった。

少なくとも、自分はそのように感じた。

二日目でいえば、トリはDragon Ashというところに、25周年であるところの想いが凝縮されているように感じた。

というのも、Dragon Ashといえば、ストレイテナーと並んでRUSH BALLにおいては「外して語ることがとても難しいバンド」である。

なんせ、ほぼ、どのRUSH BALLにもいるからだ。

RUSH BALLは年度によって回数日数が変わるフェスなんだけど、ツーデイズ以上の開催であれば、アナウンスされる前からその姿がうっすら見えるほどには、出演回数が多いバンドである。

特にDragon Ashにおいては、「Dragon AshがいなければRUSH BALLは成立しなかったかもしれない」と言えるほどのキーパーソンのバンドである。

・・・なんて嘯いてみたけれど、RUSH BALL初年度の自分は義務教育の真っ只中だった当時の自分にとって、ライブやフェスはまだま遠い世界の話でしかなかった。

なので、当時のRUSH BALLがどういうものだったのかは正直なところよく知らない。

んだけど、後からインタビューなどを読んでみると、Dragon AshがいかにRUSH BALLにおいて重要なバンドだったのかは克明に記述されていたので、そうだったんだなーと思って受け止めている。

確かに自分が初めてRUSH BALLに行ったときもDragon AshはRUSH BALLにいた。

なんか、ほぼ、いつもいた。

かつ、記念日的なRUSH BALLの開催であれば、いつもDragon Ashが大事なステージを任されていた。

ということで、おそらくこの日のブッキングもDragon Ashを軸にしたブッキングになったんだろうなあと想定できたし、BRAHMANや10-FEETの名前が並ぶのは納得だなあと思う一方で、ここでまさかRUSH BALLに出ることになるとは!!!という山嵐の名前があったり、ASIAN KUNG-FU GENERATIONがしれっと19年ぶりにRUSH BALLに出演していたり、25年開催していながらようやく初出演することになったマキシマム ザ ホルモンの名前があったり、クロージングにはSPARK!!SOUND!!SHOW!!を任せる辺りにも、並々ならぬ気合いと文脈を大切にしている感じみたいなものが、透けて見えた気がしたのだった。

確かに、Dragon AshがトリのRUSH BALLは何回も開催されている。

でも、今年のDragon AshがトリのRUSH BALLは、ちょっといつもと違う感じがしたし、それがブッキングに現れているように感じたのだった。

あえて言えば、よりラウドだったりミクスチャーロックのかっこよさを鮮やかなものにするための並びであった、そんなふうに感じたのである。

まあRUSH BALL側の思惑は主催者にしか知らないので、そういう勝手な推察は遠くの方に置くとして、誰がトリを務めたって申し分ないんだろうなあというこの日のラインナップのライブは、そりゃあかっこいいの連発だったわけである。

かつ、自分は予定の都合で、Northern19からライブを観ていたんだけど、この日はどのバンドのライブも、良い意味でライブハウスの延長線上で続いている印象を受けた。

バンドがでかい音を鳴らして、それに呼応するように拳を突き上げたり、時にはモッシュをしたり、サークルを作ったり、ダイブをしたりする。

そういう営みをみていると、ここってフェス会場である一方で、とてもライブハウス的な楽しみ方が展開されている良さを感じる瞬間が多かった。

もちろん、ダイブ・モッシュというのは人によって考え方の分かれる楽しみ方ではある。

が、少なくともこの日のRUSH BALLのブッキングは、そういうものを敬愛する人とバンドをリスペクトするための並びになっていたのは確かだった。

だからこそ、もう何回か聞いたかわかんないくらいのはずなのに、Kjが「百合の咲く場所で」で、「サンキューサークルモッシュ」「よく見えてんぞ」というMCにぐっときている自分がいた。

ここでこういう盛り上がり方がするのはわかっている歌で、Kjがこの場面でこういうMCをするのもわかっている歌でありながらも、その光景とシーンにぐっときている自分がいたのだった。

また、TAKUMAはたくさんの人がいることに対する気遣いを見せながらも、ちゃんとその場にいる”みんな”が楽しくなるような煽り方と配慮をもって、ライブをアゲていく姿が見えて、そういう場面にもぐっとくるものがあるし、客入りは比較的穏やかなはずなのにセキュリティーの数だけは容赦ない布陣になっているBRAHMANのライブもなんだかぐっとくるものがあった。

フェスである一方で、ライブハウス的でもあるなーと、そういう盛り上がり方とかシーンをみて、感じる自分がいたのである。

また、自分が学生の頃から「人気バンド」だったDragon Ashやマキシマム ザ ホルモンやASIAN KUNG-FU GENERATIONが渋さを持ちながらも不動のかっこよさを解き放つ一方で、WANIMAのような自分と同世代のバンドも負けず劣らずの温度感で、キラーチューンを炸裂している姿にもぐっとくるものがあった。

なんというか、25年の中で受け継がれているものもあるなー的な感じというか。

そういえば、WANIMAがラシュボのサブステージであるATMCのトリだったときはBRAHMANがトリを務めていたことを思い出す。

この日もメンツはラウドな流れだったけれど、Ken Yokoyamaのライブの時に色々あって凄い空気になっていたな・・・・・・とか、そんなことをぼんやり思い出しつつ、あの頃のWANIMAはノレるけど”軽さ”も際立つバンドだったけど、気がつけば良い意味でどっしりとした空気のあるライブをやっていて、色んな舞台を経験したからこその安定感や貫禄があって、率直にすげえなあ・・・と感じる瞬間を何度も目撃することになるのだった。

近年はコロナがあって、色んな制約のある状況が続いたこの2~3年。

RUSH BALLはそれでも止まらずに開催し続けてきた数少ないフェスだけど、きっと主催者側からすれば、しんどいとか不安の連続だったんだろうなあとは思う。

そんな中、今年はようやく「規制」という面での配慮はしなくていい空気で開催できた、ようやくのフェスだったはずで、きっとRUSH BALLが大阪でやりたかったことの結晶が、この1日に詰まっていたんじゃないかなーと勝手なことを考えながら、ライブを楽しんでいる自分がいたのだった。

だからこそ、ラウドだったりミクスチャー色が強いこの1日の、ライブハウス的なノリで盛り上がるオーディエンスの空気が、とても自分的にぐっときてしまうのだった。

単純に、自分の青春時代のバンドが連なるタイムテーブルだったということもあって、なんか色んな意味で懐かしい気持ちにもなれる1日で、より童心に近い心持ちでライブを楽しんでいる部分も、大きかったのかもしれないと、ふと思う。

・・・・・・・なんてことを書き出すと話が取り止めなくなってしまうので、勝手に話を終わらせようと思うけれど、二日目のRUSH BALLにもらった刺激は強烈なものが多かったというのが、今回の記事の結論。

きっと記事的には、もっと誰がMCで何を喋ったか、こんなマニアックな曲をやっていてここがヤバかったとか書く方がいいんだろうけど、そういうのはきっとTwitterにいっぱい落ちていると思うので、自分はRUSH BALLの二日目、凄い刺激に満ちていたということだけを述べて、この記事のまとめに代えようと思う。

この土曜日もRUSH BALLに行くので、そこでもどういう景色が展開されるか、今から楽しみで仕方がない。

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