前説

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日本にはたくさんのバンドがいる。

そのバンドをもし二つに大きく分けるとしたら、こういう分け方ができるのではないか?と思う。

ルーツが見えるバンドとルーツの見えないバンドだ。

例えば、メロコアバンドの多くはハイスタのルーツが見えることが多いし、あるいは内向的要素の強いバンドは、BUMPにルーツがある場合が多い。

仮に日本のバンドにルーツはなくても、海外まで視野を広げたら、ルーツを発見できるバンドは多いし、なんとなくこのバンドに影響を受けたんだろうなーというものが分かったりするものだ。

けれど。

雑食すぎて、びっくりするほどルーツが見えないバンドもいくつかいる。

その代表が、Fear, and Loathing in Las Vegasなのである。

この記事では、そのことを取っ掛かりしながら、話を進めていきたい。

裏技みたいな音楽の数々

Fear, and Loathing in Las Vegas(以下、ベガス)の音楽の特徴って色々あるけれど、平たく言えば、ハードコアなサウンドに、エレクトロやダンス・ミュージック的な要素を織り交ぜたところにあると思う。

ただ、ここでポイントになるのは、ハードコアもエレクトロも、ベガスを構成する音楽のひとつでしかないということだ。

ベガスの音楽をきちんとジャンル分けで示そうと思ったら、無数の単語が必要になる。

それは、彼らのwikiのページを見てもらえたら、わかるかと思う。

彼らの音楽は、ひとつやふたつのジャンルではくくれないわけだ。

それだけ複雑で、特異な音楽を鳴らしているというわけだ。

なんとか頑張って、先代たちが作った過去の音楽ジャンルの言葉を使って、彼らの音楽を説明しようとしてみるが、実際のところ、それはほとんど意味を成していない。

本質的にあるのは、ベガスの音楽って唯一無二であるという事実なのだ。

一時期、ベガスの音楽と表層だけ似ているバンドがいくつもいた。

ピコピコしたサウンドや、オートチューンをかけまくったボーカルなど、そういうわかりやすい部分でベガスと似ているバンドがいくつもいたのだ。

でも、そのような表層がベガスと似ているバンドのほぼ全てが、大成することなく、シーンから姿を消している。

その理由はいくつもあるのだろうが、音楽的な観点から言えば、ピコピコやオートチューンはベガスの音楽における「一つの構成要素」でしかなかったことは大きいと思う。

だから、そこが同じだとしても、ベガスと全然違うわけだ。

ベガスがやっていることは、もっとその先にあったと言ってもいいかもしれない。

というか、ベガスは色んな音楽をごちゃ混ぜにしていて、その全てを自分のものにしてしまう部分=唯一無二性にこそ強みであったわけだ。

だからこそ、表層が似ていようが似てなかろうが、まったく関係なかったわけだ。

だってさ、ベガスの音楽って、仮にピコピコやオートチューンを取り除いても、まだまだ唯一無二感があると思うのだ。

例えば、リズムテンポの変化のさせ方とか、サビに至るまでの目まぐるしく変化する曲構成とか。

言ってしまえば、音楽を作るすべての要素がトリッキーなのである。

畑違いのサウンドを貪欲に取り入れてきて、それを拝借したとしても「ベガスっぽくなる」という凄さがあるのだ。

例えば、イントロがゲームのサントラっぽかったとしても、それがベガスの音楽だったら「あ、なんかベガスっぽいなー」と思うことが多いのだ。

極端な話、バンドサウンド始まりじゃなくても、ベガスっぽさを感じさせることが多い。

音もジャンルも、楽曲を構成する全ての要素をベガス色に塗り替え、発展させる。

すべての要素を「自分の音楽」に塗り替えてしまう凄さが、ベガスにはある。

そういう、ブラックホールのような底なし感。

これこそが、僕が思うベガスっぽさ=唯一無二性なのだと思う。

今でも、ベガスを聴くと思うもん。

こういう感覚を与えてくれるのは、ベガスしかいないよなーって。

人によってはわベガスって激ロック系なんでしょ?ツーステする奴らばっかりなんでしょ?と思う人もいるかもしれないが、その見方は安易だと思う。

音楽の雑食性、底なし感、良い意味でのルーツのなさ、曲展開の予測のつかなさは、ベガスでしか体験できないものだし、好き嫌いはともかく、ベガスの音楽を鳴らせるバンドは他にいない。

ベガスは、唯一無二のバンドなのだ。

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バンドとして色々あった

メンバーが固定されてからずっと同じバンドで切磋琢磨するバンドもいれば、随所随所でメンバーの入れ替えが発生するバンドもいる。

ベガスは、後者だ。

バンドを牽引していた主力メンバーが抜けることもあったし、唐突なる訃報に見舞われたこともかった。

この記事では、そのひとつひとつを語ることはしないけども、ひとつだけ強調しておきたいのは、そういうことがあっても、ベガスは前に進み続けているということだ。

それがすごい。

前の項目で述べたように、ベガスはかなり特殊なことをやっているバンドである。

代わりの人を入れるとなっても、ルーツのない音楽にいきなり首を突っ込むわけだから、「演奏の上手い人を入れたらそれで終い」というわけにはいかない。

でも、一方で、ベガスはどんなバンドよりも柔軟さを持ち合わせているバンドでもある。

バンドってこうあるべきとか、ロックってこうあるべきみたいな、大人が持ち合わせがちな一般的な価値観に対して、良い意味で無知であったからこそ、自由な発想で、何事にもトライし、変化させてきたバンドでもあった。

こういう発想のバンドだからこそ、困難を乗り換え、今も活動しているのかなーと思うし、今もひたむきに活動を続けていることが、ベガスが誰よりも何よりも良い意味で、自由であることを示しているのではないかと思う。

音に対しても、楽曲構成に対しても、困難に対しても、メンバーの役割分担に対しても、良い意味で柔軟であったからこそ、ベガスはここまでこれたし、未だに進化し続けているのだろうなーと思う。

自分たちは柔軟であるということを、サウンドとバンドの歴史で、ここまで溌剌と示しているバンドは、ベガス以外にいないと思う。

そして、そういうバンドだからこそ、10年以上、第一線で活躍しているのだろうなーと思うわけだ。

まとめ

ただ、そんなベガスにもしひとつ隙があるとしたら、どんなジャンルも自分色に染めてしまうことにあるのかもしれないなーとは思う。

そのせいで、人によっては、どの曲も一緒に聴こえてしまうかもしれないからだ。

でも、もしそのモードにあったとしても、もう一歩踏み込んでベガスの音楽を聴けば、少しずつ、ベガスの凄さに気づくはずだ。

少なくとも、単なる激ロック御用達バンドだなーという認識は、どこかで改めさせられることになると思う。

だって、こんなにスリリングで予測不可能なバンドがいるなんて!と、ハッとさせられる局面がどこかに生まれるように思うから。

この夏から、ベガスは新体制になって、バリバリライブをやることになっている。

今からでも遅くない。

いや、むしろようやくサブスクが解禁された今こそ、ベガス沼に浸かるべきかもしれない。

ベガスのことなんてよく知らんという人ほど、是非是非聴いてほしいなーなんて、僕は思う。

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