日本武道館までの道のり

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パスピエとは顔を出さないバンドとして大胡田なつき(以下なっちゃん)のアートワークと共に話題となり、世に広まったバンドである。

初期のMVはなっちゃん自身によって描かれたイラストで構成されており、本人たちの面影すらも出さぬバンドであった。

その後1th フィーバーにて本人たちの姿が公の場に公開。

2013年に出された1thフルアルバム”演出家出演”を皮切りに日本のロックシーンの前線へと舞い降りた。

フェスやライブを意識したこのアルバムは今でこそ信じられないが、ダイバーやサークルモッシュを出現させる。

その後初の全国ワンマンツアー”印象日の出”は全公演sold out。急遽”印象 日の出 外伝”として追加公演まで決定。

そんな印象日の出のファイナル、東京公演で成田ハネダ(以下成田さん)がある言葉を放った。

「お前らフィーバーできんのか?オレら、このまま終わらねーからな。」

今では本当に言ったのか?と疑うほど衝撃的な言葉である。

彼女らはこのあたりの時期を”パスピエというバンドを世に知らしめた時期”と話す。

この時期を経て、パスピエというバンドの土台を作った彼女たちは今後どういうライブを届ければいいのか?と試行錯誤の末に世に放たれたのが「とおりゃんせ」と「MATATABISTEP」。

この2曲は5年経った今でもパスピエの核として成り立つ曲だ。

なっちゃんは「とおりゃんせ」について”パスピエを描いているうえで一番しっくりきた。

これが私の好きなパスピエだ。”と言った。

確かにこの曲以降、オリエンタルな雰囲気を持つ曲が多数出てきた印象を受ける。

その後、当時ROCK IN JAPANの2ndステージであったLAKEステージに立ち、CDJではGALAXYステージのトリを務めるなどめまぐるしい飛躍を遂げたパスピエは2015年に出された”娑婆ラバ”でオリコンウィークリー8位を獲得。

見事日本武道館単独公演まで上り詰めた。

僕はこの2011年〜2015年をパスピエとしての第1章と捉えている。

音楽と真摯に向き合い、自分たちらしいステージとは何か、そこを突き詰めた末の結果がこの日本武道館公演だったのではないだろうか。

顔出し解禁

そして武道館を終えたパスピエが次にどうアプローチを仕掛けるのか?

その答えがこれまでライブ以外で顔を隠してきたパスピエの”顔出し解禁”だ。

顔を出して晴れて”普通のバンド”となったパスピエはよりメッセージ性の強い楽曲を世に送り出すようになったような印象を受ける。

後の&DNA以降では、ほとんど自分の内面を描かないなっちゃんが自分のことを歌詞に乗せるようになった。(かざぐるまも体験のことではあるが)

例えば”ヨアケマエ”は武道館を経て、ここで終わりじゃなくて、ここからまた演るぞという意味が込められているし、ハイパーリアリストなんかも、歌詞はこれまでのパスピエとはまた違った1面を魅せてくれる。

デビュー5周年を飾った”メーデー”、”救難信号”は、バンドを続けていく中で離れてしまったモノに対して、それは人であったり、環境であったり、”もし出会えたなら 何を伝えられるだろう”、”もう一度心を通わせたいだけ”と謳っている。

パスピエってアルバムごとに曲の色が違う分、人それぞれこの曲が好き!というのがあると思うのだが、僕はアルバムごと、というよりは2016年のパスピエが本当に本当に大好きだ。

上記で挙げた楽曲も勿論だが、特に”永すぎた春” は自分の人生を変えたと言ってもいい歌である。

この曲は先に述べた”オリエンタル”な要素を含み、パスピエらしさを演出しつつ、歌詞はどこか切なくて、これまでのパスピエとはまた違った別次元の世界に引き込んでくれる。

“行かないで 永すぎた春よ 4分の1の永遠よ
等身大の自分なんて どこにもいなかった”

AメロBメロCメロもさることながらサビのこの部分に惹かれた。

まさに大胡田なつきだけの世界観を象徴していると思う。

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キンプレ卒業とやおさんの脱退

さて、2017年に移り、&DNAがリリースされ、DAN DAN AND DNAツアーが開催されたがそのツアーの中でパスピエがレギュラー番組を務めていた”THE KINGS PLACE”(以下キンプレ)の卒業が発表される。

パスピエが務めていたのは2年半、キンプレ史上最長となる期間であっただけあって、自分を含めて多くの人が卒業に対して名残惜しんだであろう。

キンプレを通してそれまで謎が多かったパスピエの生身の部分をたくさん知ることができたし、”顔出しNG 正体不明の謎バンド”から徐々に人間らしい部分が明らかとなっていったのだから、キンプレという番組はパスピエメンバーとファンを繋げてくれたと言っても間違いないはず。

番組エンディングで流れた”最終電車”で大粒の涙を流したことを今でも覚えている。

その次の日に行われたパスピエ、suchmos卒業ライブでは1年しかレギュラーを務めなかったsuchmosが人気的にトリであったが、アンコール含めてもパスピエが一番曲数を演っていたことは、J-WAVEの粋な計らいだったと思っている。

この日は普段最後を飾ることが多い”最終電車”を1曲目から放ち、卒業を匂わせるセットリストでのライブとなり、ラストは”続きはまた今度”と謳う”トキノワ”で締めくくられた。

MCで多く語らず、曲でJ-WAVEやリスナーにメッセージを届けるという今までのパスピエにはなかった演り方に、パスピエチームからの暖かさを感じたことはずっと忘れることはないだろう。

さて、満員のNHKホールにてDDADツアーを終え、ここからどう魅せてくれるのか楽しみにしていた矢先、人生で初めて愛するバンドのメンバー脱退というものを経験した。

パスピエのムードメーカーであるやおさんの脱退はファンにとって苦しすぎる出来事であった。僕個人としては1週間ほど立ち直れず、友人に心配される程 笑。

けれど、公式が発表してくださったメンバーのやおさんに対するコメント、特になっちゃんのコメントに、ここからも続いていくパスピエに、勇気付けられた。

その時のなっちゃんのコメントがこちら。

“たまたま同じタイミングでたまたま同じライブハウスで我々はドラマーを探して、やおさんはバンドを探していて……驚くほど運命的な出会いをしましたね。あれが運命なのだから、これも運命なんでしょう。”

この言葉にどれだけ救われたことか。多分、というかきっと皆さんも同じだと思う。

各してそれぞれの道を歩み始めたパスピエが、この後とんでもない”化け物バンド”となって帰ってくることはこの時の自分はまだ知る由もなかった。

パスピエ”第2章”

心機一転、4人で進み始めたパスピエは新たな武器を身につけた、それが打ち込みだ。

それまで生身の音だけを鳴らしてきたパスピエだがドラマーの脱退を経て、その拘りを捨てて新しい武器を手に入れた。

配信シングルとして出された”あかつき”のイントロのサイレンのような音は打ち込みで構成されている。

そして完成されたのが”OTONARIさん”というミニアルバム。

“(dis)communication”、”ポオトレイト”など打ち込みをふんだんに使っている曲が盛り込まれている。

また、ラストの”正しいままではいられない”はこれからのパスピエの決意表明のようなメッセージが込められた名曲である。

最近のライブでは後半の”今を抜け出す”の部分を”君に届ける”と謳っているところも考えさせられる。

より今の自分たち、そしてこれからの自分たちを歌に表しているアルバムであると感じた。

その半年後に”ネオンと虎”というミニアルバムがリリースされた。このアルバムは個人的に”演出家出演”を匂わせるようなアルバムだな、と感じていて、でもただの原点回帰ではなく、進化を遂げて帰ってきた!というように感じた。

OTONARIさんは1色の中で様々な表情を魅せているように感じたが、ネオンと虎では1枚のアルバムにいろんな色の曲が交えてあるように感じた。

“ネオンと虎”のようにニューウェーブがふんだんに詰め込まれ、キラキラとした雰囲気がある曲もあれば、”マッカメッカ”のような激しい演奏の中になっちゃん独特の言葉が散りばめられ、s.sやフィーバーを沸騰させるような曲や”オレンジ”のようにフロアを自由に踊らせてくれる曲、爽やかで耳障りが良い”トビウオ”、人の裏側の気持ち、寂しさ、孤独感、そう言ったものが感じられる”かくれんぼ”、ラストは成田ハネダワールド全開のピアノ曲”恐るべき真実”、と言うように1つのアルバムとは思えないほど1曲1曲が鮮やかで綺麗な色を放っている。

成田さん自身このアルバムは”パスピエ”と題してもいいくらい自分達らしいアルバムだと、言っていたが自分も心からそう思う。

そしてこのアルバムを提げて開催された”カムフラージュ”ツアーで驚くほど進化を遂げたパスピエを目の当たりにした。

ただでさえ演奏がすごい!と言われているパスピエが、さらにそこに磨きがかかり、演奏力、表現力、パフォーマンス性、ライブアレンジ、全てにおいてレベルアップしていた。

1曲1曲が完全体になっているというか、定番曲の安定感はさらに上がり、アルバム曲も「え?今回が初めての披露?」と思うくらいに非の打ち所がない。僕の持っている言葉では表せないくらいライブパフォーマンスが高すぎるのだ。

矢尾さんの脱退を経て、武道館を演っていた頃の集客が無くなった今、今後どうするかというのをきっと毎日毎日考えて、練習して、合わせて、試行錯誤をし続けた結果、他のバンドの手が一切届かないような場所に辿り着いたのだと思う。

改めて、心からこんなに激ヤバなバンドがあるのに世間に知られていないという事実に非常に驚かされた。

これまでのライブは魅せつつも、ファンを躍らせ、声を出させ、モッシュも起こるくらい体で”楽しい!”を感じられるようなライブであったのが、それすらを表すことができないくらいの圧倒的な表現力で客に有無を言わせず魅せつけてくる、心の中で踊らせる、そんなライブの仕方に移り変わったように感じたのだ。

いつの日かライブのMCでなっちゃんが言っていた、”心の中で盛り上がる曲、ライブ”が具現化されていたのだ。

2019年、パスピエは2月で結成10周年㊗︎を迎え、5thフルアルバム”more humor”がリリース。

誰もが予想しなかった、10周年というレッテルを敢えて外した新しいパスピエがそこには織り込まれていた。

特に”ONE”はその中でも異彩を放っている。

初めて聴いた時は え?これパスピエ? という印象でしかなかった。

しかしライブで聴けば聴くほど耳に馴染み、ファイナルを迎える頃には 鳥肌が止まらなくなって涙するくらいパスピエらしい曲だ、と思えるようになった。

さらに”グラフィティー”はラジオ解禁の時点ではまたエグい新しい曲だな、、という印象であったが、なっちゃんによる手描きMVが公開されると、電波ジャックを沸騰するようなどこか懐かしい曲へと変わっていった。

この変化についても同じ曲なのに人間の心理は不思議なものだなーと感じる。

“more You more “初日を体験した際には、セトリに定番曲がほとんどなく、シングルはなんと”ハイパーリアリスト “だけ!という事態にメンバーの底知れぬ意思や意地が垣間見えた。

ひと昔のライブであれば「MATATABISTEP」や「チャイナタウン」が外されるとどこか盛り上がりにかけるなあ、という印象であったが、今のパスピエにその理屈は通用しない。

アルバム曲ですらもシングル曲のように感じる。

そしてもう1つ、昔と違うのが”ファンとの距離感”

これは武道館以降、人気が低迷してきたということも相まって、今ついてきてくれているファンを大切にしていこう、その様子が強く感じられるのだ。

そこについては賛否両論分かれる部分があると思うが、パスピエメンバーは心から優しい、ライブで飛び交う言葉にも反応してくれるし、メンバー1人1人が昔よりもお客さんと目を合わせているように感じる。

あまり自分のことを描かないなっちゃんがどの公演でも「今伝えたいことを描いたから聴いてほしい」と言って始まった”始まりはいつも”がその答えなのではないか、と、きっとも思っている人もいるだろう。

間奏で叫ぶ”これからもパスピエと繋がっていてくれ〜!!”は心に強く響くものがあった。

こうしてファイナルであるZepp東京を見て、ライブパフォーマンスが頂点に到達し、ファンとの距離感、10周年という節目、様々な要因を踏まえて日本武道館以降の”第2章”が幕を閉じた。ここからパスピエ”第3章”が始まる。

関連記事:パスピエ TOUR 2018 ”カムフラージュのライブレポと感想と雑感!

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筆者紹介

セナ(@pspesumikausg)

22歳 社会人1年目 ♂
生粋のベルガマス組☄︎

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