前説

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あくまでも個人的な意見ではあるが、僕はMy Hair is Badのことをback numberのフリしたサンボマスターだと思っている。

どういうことか?

そのことを今から掘り下げてみたい。

本編

back numberみたいだ

曲によってはそんなことないよというツッコミはあるだろうし、最近のマイヘアはそうでもないよという指摘があることも承知の上で言えば、マイヘアの歌詞は女々しいと思うのだ。

少なくとも、上記の歌はそれなりに女々しい。

これは、いちいち掘り下げるまでもなく、明らかなことだと思う。

恋愛歌でも色んなタイプの歌があるけれど、ボーカルである椎木が歌にしているのは基本「元カノ」であることが多い。

もう別れたんならほっといてやれよ、悪いのはお前の方だったんだろう?と思えるような恋のことを、いつまでも愚直に振り返る。

しかも、そこで生じた思いをわりと包み隠さず歌詞にしちゃうものだから、聴く人が聴けば、そこに漂う未練の重い想いに女々しさを感じてしまうのだ。

おまけに、それを歌うのが、か細いイケメンなもんだから、余計になんとも言えない気持ちになる。

そして、思ってしまうのだ。

こいつはボーカルがイケメンになっただけのback numberなんだろう?って。

実は男らしいバンドみたいだ

身体の線が細めのイケメンボーカルといえば、妙に高いKEYで、か細く甘い声で歌う、というのが相場になりつつある。

それこそ、いかにも「女ウケ」を狙いましたって感じの声で、お前は原液のカルピスかよって言いたくなるくらいに甘ったるい声で、潔癖と汚れのハザマのような、大して面白くもない退屈でありきたりな恋を歌いがちである。

が、マイヘアの椎木は違う。

ボーカルの声に強さがあるし、声にも太さがある。

言ってしまえば、男らしいボーカルなのだ。

しかも、自分が書いた女々しい歌詞を歌う椎木は、決して単に女ウケを狙っただけの、安いカッコつけみたいなものがない。

少なくとも、歌っている最中は、全身全霊で表現者としてあり続けているように見える。

なんというか、目の前のことにマジで本気なのだ。

まるで自分の言葉とともにこのまま心中してしまうのではないかと疑うような、切迫した何かをパフォーマンスから感じるのだ。

とても刹那的で、とても衝動的なものを、そこに感じてしまうのだ。

ライブを見たとき、改めてそれを実感した。

だから、マイヘアのライブをみてると、このバンドは別に女々しいバンドなんかじゃないんだ、むしろ男臭い、汗くさいバンドなんだって思った。

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from now on

普通、ライブでど定番曲って、速攻で全国流通版でパッケージ化するじゃないですか?

ましてや、メジャーデビューするって決まったら、なおのことそういう流れになるじゃないですか?

でも、マイヘアはそれをしない。

高速のアルペジオに合わせて、椎木がアドリブで歌う「from now on」は、全国流通版としては音源化されていない、マイヘアのライブ定番曲である。

まだ彼がド・インディーズだった頃にCD化されたこの作品は、ライブで披露されるたびに姿形を変えて、もはや原曲をとどめない形に改変されたと言われている。

しかし、マイヘアにとって、この歌は特別に大切なようで、たびたびライブで披露されている。

そして本当の意味で大切な曲だからこそ、安易にパッケージ化はされないままなのだ。

こういう所に、マイヘアのカッコよさというか、美学みたいなものを感じる。

だってさ、売れたらそれでいいやって思ってるバンドならさ、定番曲なんて速攻で音源化すると思うのだ。

でも、マイヘアはそういうことをしない。

何よりも、曲に込められた「気持ち」を大事にする。

歌詞と同じくらい、音楽やライブや作品に対しても繊細だからこそ、こういう判断を下しているのだろうと思う。

実際、この一曲だけに関わらず、マイヘアはライブ中、一曲一曲をすごく大切に歌う。

売れやすいから恋愛歌を歌うんだぜ俺は!みたいな、安いマーケティング精神はそこには見えない。

自分が歌えるのはこれしかなかったからそれを言葉にしてしまっただけなのだろうなーと感じるし、言葉とか心の動きに対する向き合い方がどこまでも繊細で純朴だからこそ、違うテーマで歌われた歌であっても、同じ熱量を持って、胸に響く歌を紡ぐのだ。

そういうところが、良いなーっていつも思う。

サンボマスターみたいだ

で、この話が行き着く先は、ライブのカッコよさの話である。

さっきの売れ線の話とも通ずるが、マイヘアの音って、シンプルなギターロックで、それこそまったく売れ線のサウンドではない。

結果的に売れたから何も言われないけれど、普通ならもっと「今のフェスのムードに合わせた歌を作ろうぜ」って、周りの大人が囁いたっておかしくないはずだ。

けれど、マイヘアはそういう選択をしなかった。

きっとこういう普遍的なギターロックだったからこそ、椎木の紡ぐ言葉はどこまでも輝いたんだろうなーって思う。

言葉が重要な要素としてあるマイヘアだからこそ、あのサウンドがとても見合うし、あの音だからこそ、椎木の歌詞がどこまでも鮮やかになるんだろうなーって思うのだ。

少なくとも、シンセや打ち込みで着飾るようなバンドサウンドはあり得ないし、想像がつかない。

歌詞も音も剥き出しだから、マイヘアってめっちゃ良いのだ。

そして、このバンドが持つ「剥き出しのサウンド」と「全力でパフォーマンスする姿」を見ると、いつも思う。

このバンドって、サンボマスターみたいだよなーって。

これはマイヘアがサンボマスターに似ているという話ではなく、彼らのライブをみていると、サンボマスターのライブを観ているときと同じような、胸にこみ上げる感動を覚える、という話である。

いつのことかはもう忘れてしまったけれど、彼らを初めてライブでみたとき、サンボマスターを見た時と似たような衝撃を受けたことを今でも思い出す。

語ることすらも歌に組み込んでしまい、それをパフォーマンスにしてしまい、圧倒的説得力を持ってして全力でそれをライブで表現する。

マイヘアのライブには、そういう魅力があるのだ。

まあ、マイヘア以後、「このようなタイプのバンド」が増えてきたような気はするが、似ているバンドが増えるからこそ、マイヘアは別格なんだよなー、全然やっている質が違うんだよなー、と痛感することが増えた。

まとめに替えて、マイヘアから離れた古参ファンへ

「次回予告」や「いつか結婚しても」のように、少しずつホールで鳴らすことが似合いそうな歌をうようになってきている今のマイヘア。

ファン層もすっかり入れ替わり、昔はマイヘアのライブによく行ってたけど、今は……って人もそれなりにいるかと思う。

でも、マイヘアを見るたびに思うのだ。

変わった部分もあるけれど、根っこにあるのはライブハウスバンドとしての魂なんだろうなーって。

確かに初期の頃から、マイヘアをみている人からすれば、思うところはあるのかもしれない。

その人が今のマイヘアの現状にモヤモヤを抱えているとして、それ自体はどうすることもできないし、仕方がない話だよなーと思う。

でも。

何年も同じように、クソほどたくさんライブをしてきたバンドは、どうやらあの頃と同じ熱量で、本質的には何も変わらずに、不器用ながら魂を込めて、音を鳴らしているんだろうなーって思うのだ。

もちろん、長い年月の中で変わってしまった部分はあるだろう。音にしても、振る舞いにしても。外側の部分では。

そして、バンドや音楽は恋愛と一緒で、一度変わってしまったら、もう元に戻ることはない。

けれど、音楽やバンドと、恋人では大きく違うところが幾つかある。

もし、恋人であれば、一度別れを選んでしまったら、それまでは一番近い距離にいたその人は、一番遠い距離の人になってしまう。

そして、ほとんどの場合、その恋人に二度と「近づく」ことはできなくなる。

けれど、音楽やバンドは、たとえ一度気持ちが離れたとしても、後から簡単に「復縁」することができる。

音楽や大好きなバンドはどこかに逃げやしない。捕まえたいときに、捕まえたらいいのだ。

恋愛と違って、音楽やバンドは浮気しても誰にも咎められないのだから。

今はマイヘアがちょっと……という人にあえて言葉を捧げたい。

きっとどこかで大好きだったはずのライブバンドは、きっと縁があれば、また人生のどこかで、ふとしたタイミングで、自分の人生に交わるはずだからって。

だって、外側は変わっている部分もあるけれど、本質的には「あの頃」から、マイヘアはちっとも変わっていないのだから。

なーんて。

よくわからん決め台詞を書いてしまったけれど、せっかくなので、深夜に書いたこの痛いセリフを結びの言葉にしまして、この記事を締めくくろうと思います。

ご静聴(?)ありがとうございました。

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