GEMNの「ファタール」、聴けるタイプの中毒である件

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おいおいおいおいおいおいおいおい、こりゃあまたぁとんでもぉねぇ楽曲が世に出てきたな〜。

初めて聴いたとき、そんなことを思った。

なぜか?

そのことについて、該当記事で分析できたらと思う。

なお、きっとこの記事に目を通している人は既にGEMNってどういうアーティストで、「ファタール」はどういうタイアップソングの楽曲かはもう知っていると思うので、そういう外堀の情報はすっ飛ばして、このことだけを語りたい。

にしても・・・。

この歌、中毒性、やばくないか?

マジでマジで。

いやね、確かにキタニタツヤのソングライティングのセンスはこれまでの楽曲で重々承知してきたつもりだ。特に近年の楽曲は、熊さえも睡魔に誘うような凄腕天才マッサージくらい、的確かつ明確に興奮の”ツボ”を押してくる楽曲を生み出している印象だ。

結果、クイズ番組におけるカズレーザーの正答率くらい、絶対的な信頼感が宿った。

知る人ぞ知る名曲製造機感があったキタニタツヤも、今や老若男女で様々な根強いファンを持つ、国民を代表するアーティストに進化したと言える。

ということを考慮すれば、「ファタール」も必然的にクオリティが担保された楽曲になることは予想されていた。

が。話は少し違う局面を迎えることになる。

ちゃんとフルで聴き続けていると気がついたことなのだが、どうやら楽曲の中にある中毒性の水準が、予想されていた基準値を大幅に超えていた。

どれくらい超えていたのか、順を追って説明したい。

まず、一般的な飲料ジュースに砂糖がどれくらい入っているか、ご存知だろうか?

インターネットのとある記事によると、某スポーツドリンクには35gほどの砂糖が入っているらしい。これは、大人の男性が必要な一日の接収量を超える量の大幅に超えた糖分になる。とてもやばい量なのだ。スポーツドリンクでこれなのに、これが炭酸飲料水になると、入っている砂糖の量は50gほどに跳ね上がる。

これを中毒性に置き換えて考えてみる。

こと一般的な中毒性のある音楽って、きっと砂糖で言うと35gに相当するくらいの中毒性が入っていると思うのだ。ジュースが「甘い」と感じるのに35gの砂糖が必要なのであれば、音楽において、「中毒的だ」と感じるのに、35g相当の混入が必要となるという理屈だ。

という構図を考えた時、「ファタール」の中毒性を数値化するとどうなることか・・・。

驚くことなかれ。

「ファタール」においては、ロッキン・ライフ調べによると、中毒性が100グラム相当も混入されていたのだ・・・!通常の中毒性のある楽曲のおそよ3倍。通常の人間であれば、禁断症状が出るレベルだし、耐性がない人が摂取しすぎると、この沼から抜け出せないことになる。

そういう意味において、キタニタツヤは今作において、”やっている”と言える。

ロッキン・ライフ的には、そう判断している。

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中毒性の原因は?

このままだと、「ファタール」の中毒性に翻弄されてしまう人も出てくるかもしれないので、100g相当の中毒性の内訳について考えてみたい。

まず、100g相当の中毒性の半分は、リズムアプローチという成分に集約されていることがわかる。

この歌、1番のメロディーだと下記のような流れになっている。

メロ1 → メロ2 → メロ3 → サビ1 → サビ2

キタニタツヤと中島健人が歌い分けてメロディーを紡いでいるということもあって、キメのサビに入るまでにいくつかのメロディー展開を繰り広げているわけだが、サビに至る前のメロディーにおいても、かなり印象に残るメロディーを展開している。

メロ1の強さが、マリオのボスであるクッパくらいの感じだとしたら、メロ2の強さは『ストリートファイター』に登場する相撲のキャラクターであるエドモンド本田くらいだ。

テンポを落としたメロ3では、強弱である言えば、弱の要素を出してくるのかと思えば、そんなこともなくて、現在のポケモンの対戦環境におけるオーロンゲくらいの秀逸な”強さ”を発揮して、クライマックスではそれまでに積み上げてきた強さの峠を簡単に超えている。

特にサビに入ってからのリズムの切れ味が鋭い。

ボーカルをとりのぞいてトラックだけを浴びたとしても、ベロベロになってしまうような中毒性が発揮されている。

致命的・運命的・必然的の”強烈だんご三兄弟”でも、リズムを通じて放たれる強烈な中毒性はナリを潜めることなく、体感時間を秒にしてしまう音楽的快楽の世界へ誘ってくれる。

これが、100g相当の中毒性の半分の内訳だ。

では、残りの半分は何なのか?残りはいくつかの内容物に分けることができるが、その中でもボーカルの割合は大きい。

今作のポイントは、キタニタツヤと中島健人がそれぞれボーカルを取っているということだろう。

かつ、それぞれのボーカルがそれぞれの個性の発揮をしているため、ただでさえ中毒性の高い楽曲に対して、より油断もスキも与えない構成になっている。

キタニタツヤの歌声がビターチョコレートに、ナッツ盛り盛りな感じなのだとしたら、中島健人の歌声はふわふわで甘くて、でも中にあるフルーツにはちょっぴり酸味も効かせたクリームブリュレ。

まあ、喩えの是非は置いといて、個性の違う二人の歌声が交互に登場するので、スリリングな綱引きを楽しんでいるような感覚で、色んな角度から色んな類の刺激を浴びることになるのは確かだ。

まとめに代えて

結論。

GEMNの「ファタール」、聴けるタイプの中毒であるという、そういう話。

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