前置き

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めちゃくちゃに期待していた。

テレビでパフォーマンスを見る限り、非の付けどころがなかった。そんな完璧のパフォーマンスをしている三浦大知を生で観れることが楽しみだった。

とはいえ、期待値を上げすぎている自分もいた。

いざ生を体感したら「あーこんなものね」と思ってしまうのではないか?凄いっちゃすごいけれど、まあ、言うほどではなかったわ。テレビで観るだけで十分満足だったわ。

そんなことを思ってしまうのではないか。

一周回って、そんな余計な不安を感じてしまう自分がいた。自分で言うのもなんだが、自分勝手な話ではある。

が、思ってしまうのだから仕方ない。

そんな僕が、実際にライブを観てどう思ったか、どう感じたか。この記事ではそれを綴ろうと思う。

まずは、冒頭の結論を言おう。

そんな不安、杞憂だけしかありませんでした。

本編

三浦大知の良さ

踊ることがメインのアーティストは、時に口パクを採用する。

人によって理由は様々だろうが、踊りながら歌うことは、ましてやCD音源と遜色のないレベルの歌を披露するのは、人が想像するよりも難しいことであることは間違いない。

だから、ダンスがパフォーマンスにおいて重要な人は、口パクを採用することが多いし、そのことを過剰なまでに糾弾することは少ない。

逆に、初期のももクロのように、ヘタクソでもいいから体当たりで踊りながら歌うことに徹することそのものが、パフォーマンスになってしまうこともある。

そうなのだ。

「踊りながら歌う」と言うのは、難易度の高い技であるため、歌うのクオリティに関わらず、それがきちんとできていれば、それそのものがひとつの強みとなり、パフォーマンスになってしまうのである。

そう考えたとき、三浦大知の凄さが際立ってくる。

ご存知の通り、三浦大知は踊りながら歌うアーティストだ。

彼が恐ろしいのは、激しく踊っているはずなのに、一切歌が乱れないところ。

ダンスだってかなりレベルの高いものを披露しているはずのに、なぜか歌は乱れない。

いや、乱れないどころか、生の歌の方が表現力も迫力も増し増しになっているのだ。

「踊りながら歌うこと」そのものでもパフォーマンスになるし、クオリティの高いダンスを披露するだけでも、歌だけに集中して表現力豊かに歌い上げるだけでも、十分なパフォーマンスになる。

なのに、三浦大知はそれを同時にやり遂げてしまう。

しかも、単にマルチタスクをこなすわけではない。

どちらのパフォーマンスも、その水準が最高レベルなのだ。

生でそれを体感してきてしまった。テレビでも凄いのに、生はそれ以上に凄かったのだ。マジで震えてしまったもん。あまりにも凄すぎて。

ダンスが凄い

というわけで、まずはダンスの話からしよう。

個人的な三浦大知のダンスの面白さって、このリズム、この歌でダンスできるの?しちゃうの?っていうところだと思っている。

本当に三浦大知って、ダンスにおけるアイデアが半端なくて、独創的な感性と表現力を持ってして、どんな歌も鮮やかにダンスナンバーに仕立て上げてしまう。

そして、あまりにも動きが華麗だからこそ、指先ひとつ、足先ひとつ目が離せなくなる。

特に今回のライブでゾクっとしたのは、音を一切鳴らさず、三浦大知を含めたダンサーたちが、自身の足音だけでビートとリズムを刻む、タップダンスを披露した時だった。

あの瞬間、三浦大知は無音すらもダンスナンバーに変えてしまったんだということに気づいて、僕は脱帽した。

しかも、あのタップダンスを10人ほど(人数はちゃんと覚えてないが)のダンサーで、見事に表現してしまうところが、鳥肌ものだった。

ほんと、観ているだけしかできなかったもん。

だから、大勢のダンサーたちと披露したタップダンサーが終わった後、僕は不思議と拍手をしてしまっていたもん。

すげえ・・・としか言葉が出なかったもん。

歌が凄い

今回のライブでは、三浦大知は踊ることをやめて、歌うことに専念するバラードタイムが存在する。

で、この時に披露される歌が凄いのだ。

ほとんど休憩なしで踊りまくっていたはずの三浦大知は、一切息が乱れることなく、爽やかな顔のまま何事もなくバラードタイムに突入する。

バラードタイムはライブの中盤にあったんだけど、バラードを歌おうとする三浦大知は、今からライブ始めますよ!くらいの余裕綽綽な態度だった。体力がやばい。

で、肝心のバラードなんだけど、これがまためっためたに良いのだ。

三浦大知って、踊る人ってイメージの人も多いかもしれないけれど、ボーカリストとしてもめちゃくちゃに良いのだ。

語彙力がないので、上手に表現できないんだけど、三浦大知のボーカルには独特の快感を感じる。

あまりにも声が素敵だから、身体に染み込むような気持ちになるのだ。

いっそこのままバラードだけのライブやってくれよ、いつまでもずっとこの美声を聴かせておくれよみたいな、そんな気持ちになるのだ。

ファルセットもめっちゃ綺麗に出すし、音を伸ばし方にも一切の妥協がないのだ(ライブだと息が切れて全然声が伸ばせない人とかいるけれど、三浦大知の肺活量が無限すぎて、ライブの方が声が伸びているのだ)

そういや、どのタイミングかは忘れてしまったけれど、マイクを使わず、肉声でホールに声を響かせるパフォーマンスもしていて(しかも、それは疲労が溜まりまくっているはずのライブの後半でのことだった)、ボーカルだけでも圧倒的すぎるパフォーマンスに、終始打ちひしがれたのだった。

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他にも素敵要素たくさん

個人的にはバンドサウンドにもワクワクした。

今回の三浦大知のライブはバンド編成だったんだけど、複雑な音構成で作られた歌をバンドメンバーがきちん再現していく。

そんなスリリングな音の上を、三浦大知の声が乗っかっていく。その音が広い空間を埋めていくだけで、鼓膜の幸福指数がエグいことになるのだ。

そして、その音が耳の穴を通じて自分の身体に入り込む。その体験が、途方もないエクスタシィになるのだ。

そりゃあ、三浦大知の沼にハマったら抜け出せないわって思うもん、マジで。

ライブ空間が素敵

今回、僕が足を運んだのは大阪城ホールだったんだけど、普通、数千人のお客さんが入るホールで、みんなが手拍子をすると「ズレ」が生じることが多い。

けれど、三浦大知のライブでは、それがないように感じた。

信じられないくらいに、手拍子が揃っているのだ。

これによって、本当の意味で、お客さんと一緒にライブを作っているという体感ができたし、これは三浦大知のファンたちだからこそ作れる空間なんだろうなーとすごく感じたのだった。

何というか、圧のない一体感をそこに感じたというか。

みんなで一緒に素敵なライブを作ろうね!という無言のメッセージが伝わってきたというか。

だからこそ、その空間に身を置いていることが、異常なほどに心地よかったのだ。

ライブを観たのが仕事終わりということもあって、わりと不機嫌かつ体調の悪い状態でライブを観ていたはずなのに、終わった後には、信じられないほど清々しい気持ちになっていたもん。

三浦大知のパフォーマンスが凄かったからというのは言うまでもないことだけど、三浦大知のファンに素敵な方が多くて、会場全体が多幸感のある空気を作っていたからこそ、感じられたことだと思うのだ。

まとめ

わざわざ、まとめることは特になし。

最高だった。

言いたいことは、ただそれだけです。

また、近いうちにライブに行きます。

関連記事:三浦大知のアルバム「球体」の感想と個人的解釈!

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