苦労したアーティストが、その先に夢を叶えることの感動は半端ない件

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好きなアーティストを応援していると、時に悔しいこと、悲しいことに直面することもある。

別のアーティストと比較して、このアーティストはこんなにも優遇されているので、なぜ自分の好きなアーティストはこんな立ち位置になっているんだ・・・。

そんな気持ちを覚えるケースだって、あるのかもしれない。

“裏側”ではどんな応酬が行われているのかは、わからない。

そのアーティストの”本音”がどうあるのかは、本当のところでわからない。

でも、そのアーティストが好きであればあるほど、もし不遇と思われるような立場におかれているのだとしたら、悔しさや悲しさを覚えるケースだってあるのだと思う。

このアーティストは、もっと凄いことができるし、もっと評価されるべきなのに、と。

でも、もしそのアーティストが直向きに努力をして、己のパフォーマンスを磨いているのだとしたら、きっと然るべきタイミングで、然るべき形で、然るべき夢を叶える瞬間がくるように思うのだ。

いや、もちろん、絶対とは到底言えないわけだけど、でも、どうしようもない苦労の連続の先に、そのアーティストが夢を叶える瞬間を目撃することができたとしたら、その喜びはきっと変え難いものだと思うし、辛いときもずっと直向きに応援してきたからこそ、感じることができる喜びであり、興奮だと思うのだ。

売れているアーティストを、売れたタイミングで目撃するライトな音楽ファンでは、なかなかに感じることができない、貴重な音楽体験。

それは長さと密度によって醸成される、尊いものであるように思うわけだ。

そして、そのときになって、悔しいや悲しいが違う表情になる。

オセロのコマが反転するように、その感情はまったく違う輝きを解き放つことになる。

もちろん、どんな夢だって叶うはず、なんて安易はことは言えない。

夢を叶えることができず、そのステージを立ち去るケースだって、いくつも見てきたからこそ、安易な言葉をかけることができない。

でも、その一方で、諦めずに続けてきたからこそ、然るべきタイミングで、然るべき夢を叶えてきたアーティストだって、いくつも見てきた。

そして、夢を叶えるアーティストの多くは、いつだって夢を叶えるべき実力と尊敬を勝ち取っていたように感じるのだ。

だからこそ、ひたむきに夢を目指している切磋琢磨しているアーティストに惹かれてしまうし、儚いけれど、尊いその姿にぐっとくる。

そんなことを思うのである。

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