銀杏BOYZが8月30日に大阪・泉大津フェニックスで開催された「RUSH BALL 2015 feat. GREENS 25th Anniv.」にて、約4年2カ月ぶりのバンド編成でのライブを実施した。

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ビバラやライジングサンなどのフェスに出演していた銀杏であるが、それまでは峯田ひとりの出演であり、弾き語りとカラオケを織り交ぜた苦し紛れのライブでの出演であった。

もちろん、それだけでもすごくライブステージはかっこよかったが、本当に見たいのはバンドでの銀杏だった。

銀杏BOYZがバンド編成でステージに立つのは、2011年7月7日に岩手・盛岡CLUB CHANGE WAVEで行われたツアー「銀杏BOYZ 2011『スメルズ・ライク・ア・ヴァージン・ツアー』」の最終公演以来。

そりゃあ、気合いも並々ならぬわけで、ドロスが大トリをしている間、ずーっと音作りをしていた。

なかなか音作りが終わらないため、ただでさえ30分以上時間が押していたのに、ドロスがアンコールで2曲歌うという、まさかのトリに「伸ばし」をさせる始末。

並々ならぬ気合いだった。

最初、ATMCステージに現れた峯田和伸はひとりだった。

アコギの音が気に食わないのか、なかなか演奏が始まらない。

どうなってしまうのかと不安になったとき、「どんぐらいの気持ちで東京からライブしに来たか……。俺を呼ぶ声がして、だからここに来たって話です」と言葉にして「生きたい」を披露し始める。

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10分ある歌だ。

長い。でも、そこに神々しさが宿るのだ。

演奏中、ゆっくりとサポートメンバーが入ると、会場の空気は大きく変わった。

「生きたい」が初めてバンドとサウンドとして鳴らされて、会場からはどよめきが走る。

サポートメンバーは最強だった。

ベースは元アンディモリの藤原寛、ドラムスは元アンディモリの後藤大樹、ギターは元さよなら、また今度ねの菊地椋介。

生きたいの演奏が終わり、即座にBABY BABYが始まり
、会場のボルテージは頂点に達した。

シャブ中で問題となったサポートメンバーを引っさげておきながら、シャブはやってもいいんだよと言う峯田。

生きていればいいんだ。

そう力強く言う言葉には説得力があった。

ゾンビのようにして生き続けて銀杏BOYZ。

1日目、ブラフマンのトシロウがMCで7年前に自分たちがトリをやったときの話をしていたが、そのときのセミトリは、この銀杏である。

生きていれば、音は鳴らせる。

あまりにも美しいそのライブは、言葉にはできないものがあった。

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