前説

スポンサーリンク

バンドの場合、ボーカルが曲を書くことが多い。

とくに歌詞の部分に限定すれば、すごくボーカルが書く率が高いと思う。

でも、世にはボーカルは(あまり)曲を書かないバンドもいる。

この記事では、そういうバンドをいくつか紹介してみたい。

ネクライトーキー

本日、リリースされた「ZOO!!」がすこぶる良いアルバムだったネクライトーキー。

ネクライトーキーはこの作品をもって、メジャーデビューを飾った。

そんなネクライトーキーは、ボーカルのもっさが曲を書くことはほとんどない。

曲を書くのは、ギターの朝日である。

たぶん、今後もネクライトーキーは朝日が曲の大部分を手掛けるのだろう。

朝日が書くマニアックな歌を、もっさというボーカルが通して表現するところ。

ここがネクライトーキーの大きな良さだと思う。

マニアックなものがポップでキャッチーになる感じに痺れるのだ。

よくあるアゲアゲ系のバンドっぽい装いもあるんだけど、他のバンドとはまた違うクセを持つバンド。

その最たる理由は、朝日が曲を書いて、それをもっさが歌うという構図にあると思う。

そして、ボーカルの声は可愛い感じなのに、バンドサウンドはゴリゴリというギャップも大きなポイントなのである。

 

関連記事:ネクライトーキーはライブバンドなのだ

 

フレデリック

フレデリックは面白いバンドだ。

ボーカルは三原 健司である。

そして、曲を書くのは、三原 健司の弟である三原 康司。

そう、この二人は双子なのである。

こういう構成のバンドは他にあまりないから面白い。

そして、兄弟で個性というか強みみたいなものが見事に違っていて、そのコントラストがフレデリックの大きな持ち味になっているように思う。

歌詞に対して、ボーカルのテンションが微妙な温度感を感じることもある。

聴き手によっていかようにも解釈できる、独特のふわふわ感みたいなものがフレデリックの歌には宿っていることが多い気がするのだ。

で、なぜそういうことが起こるのかといえば、弟が曲を書き、兄がそれを歌という構図があるからこそなのかなーと思ったりして。

つくづくフレデリックは面白いバンドである。

 

関連記事:フレデリック「VISION」で見えたビジョンについて

 

King Gnu

常田もボーカルじゃねえか、と言われたらそこで話が終わるんだけど、ここ最近のタイアップ曲のほとんどは井口がサビを歌うことが多いので、King Gnuもこのラインナップに加えさせてもらった。

おそらく常田の場合は、曲を書く段階から、どちらがどこを歌うのかも想定して曲を書いているんだろうなーと思うし、性質の違うふたつの声を楽曲に忍ばせることができるからこそ、それを踏まえた言葉選びをしているように感じる。

まあ、普段は井口がメインの楽曲が多いからこそ、たまに完全に常田のメインの「壇上」みたいな歌を投げ込まれると、思いっきりその歌に引きずり込まれるんだけどね。

つくづく、常田と井口というツインボーカル体制は最強だよなーと思う。

 

関連記事:King Gnuの「CEREMONY」の出来には満点が付けられない

 

スポンサーリンク

UNISON SQUARE GARDEN

田淵の曲って、かなりクセが強いと思う。

誰が歌っていても、聴けば、「あ、田淵曲だな」と感じる個性がにじみ出ている。

メロディーもそうだし、言葉選びも含めて、それを感じる。

でも、ユニゾンの場合、その曲の個性に飲み込まれることがない。

というか、メンバーそれぞれがそれ以上の個性を放っているのだ。

だから、曲の個性に対して、さらに大きな風呂敷でその個性を別の個性で包んでいる、みたいなところがある。

シンプルなスリーピースなのに、どこを切り取っても、どの歌もユニゾンらしさしか感じないのは、クセの強い楽曲×メンバー全員のクセが強いからなんだよなーと思う。

 

関連記事:優しい天の邪鬼なバンド・UNISON SQUARE GARDENについて

 

SUPER BEAVER

ビーバーは言葉が強いバンドのイメージだし、ライブもボーカルが主導権をにぎって進めていくから、てっきりボーカルが曲を書いていると思われがちだ。

けれど、基本的には、ギターの柳沢亮太が曲を書いている。

これは勝手なイメージだけど、先ほどまで名前を挙げていたバンドたちは曲を作っている人に明確な作家性があって、この人ならでの楽曲の個性が見えがちで、その個性をより伸ばすようにして、他のボーカルにその歌を託している、みたいなところがある、気がする。

でも。

ビーバーは必ずしも作り手がゴリゴリに作家性を出しているわけではないような気がするのだ。

シンプルなロックサウンドであり、シンプルな言葉だから、そう思うのかもしれない。

でもm,やっぱりネクライトーキーなんかだと、どの曲を聴いても朝日の作家性がバリバリに出ているよなーと感じるし、フレデリックとかユニゾンも曲の作り手の作家性があったうえで、そのバトンをボーカルが引き継いでいる感じがするのだ。

そういうものと比べると、ビーバーはなんかちょっと違う気がするのだ。

うまくは言えないけれど、作り手と歌い手のバランスが他のバンドとは、ちょっと違うとでも言えばいいだろうか。

きっと、ビーバーはボーカルである渋谷もかなり強いメッセージを放つ人間であり、そこに曲が寄せられていく部分もあるのかなーと勝手に思っている。

もちろん、柳沢亮太は他のアーティストの提供曲も良い歌が多いし、純粋にソングライターとして才能があることは間違いないんだけどね。

あくまでも、バンドとして捉えたときの聞こえ方として、必ずしもわかりやすい作家性が見えるわけではない、と思ってもらえたら幸いである。

というよりも、ボーカルが歌うことで、作品が持つ作家性が完成するとでも言えばいいだろうか。

まあ、なんというか、そんな感じ。

 

関連記事:SUPER BEAVERの神戸ワールド記念ホールのライブに行ってきた件

 

PENGUIN RESEARCH

最後に紹介したいのが、PENGUIN RESEARCHである。

PENGUIN RESEARCHも曲の書き手の個性が強いバンドだと思う。

堀江晶太が数々の名曲を作ってきたことは、彼の活動を追ってきたものならほとんどが同意することだろう。

PENGUIN RESEARCHは「演奏が速い」とか「まくしたてるようなロック」が持ち味のバンドだと思っているんだけど、なぜこのバンドがそういう方向に進みがちかといえば、限りなく堀江晶太に原因があると思う。

堀江晶太がそういうアレンジを必要とする曲を作ってくるからにほかならないし、堀江晶太の作家性がそういう要素を呼んでいる部分もあると思う。

つくづく、ボーカルよりもメインのソングライターの方が目立っている、稀有なバンドだよなーと思う。(あくまでも場外からの意見として)

もちろん、メンバーの技術が高いからこそ、できる芸当であり、つまるところはPENGUIN RESEARCHというバンドの完成度ってとても高いんだよ、って話になるんだけどね。

 

関連記事:PENGUIN RESEARCHが痺れる理由について

 

まとめ

というわけで、ボーカル以外が曲を書くバンドをいくつか取り上げてみました。

やっぱりボカロと親和性のあるバンドの登場が多いし、それは実際にボカロPだったかに関係なく、曲をつくるうえでのメソッドとしても参照できることなのではないかなーと思う。

人に自分の言葉を歌ってもらう、というところにボカロと似たところがあるからなのかも、なんて勝手なことを思ったりする。

では、今回はこのへんで。

ではではでは。

スポンサーリンク

LINEで送る
Pocket