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10-FEET「ヒトリセカイ」の歌詞について書いてみたい。


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作詞:TAKUMA
作曲:TAKUMA

*歌詞については他サイトから確認してくださいな。

あまり事細かに説明はしないで、大きな言葉を使ったり抽象的な言葉を使っているような印象を与える今作。

けれど、それはメッセージがないのではなく、むしろしっかりしたメッセージがあったからこそ、伝えたい想いが明確だったからこそ、こうなったのだとTAKUMAはインタビューなどで語っている。

個人的にポイントに感じたのは、ひらがなのことを愛や優しさに例えるというところである。

つまり、ひらがな=暖かいもの、という考えがあるからこういう例えが出たのだと思う。

では、カタカナ=?は何が当てはまるだろうか。

この歌のタイトルはカタカナである。

漢字でも表記が可能だったのにも関わらず、あえてカタカナ表記にしたわけだ。

特に歌詞中にも出てくる「セカイ」という言葉は特に意味深である。

カタカナにどういうニュアンスを込めているのかはっきりとはわからないが、ひらがな的な愛や優しさの対極のイメージとして使われたのではないかと考えると、カタカナに対しては冷たいイメージを持っているのではないかと想像できる。

まあ、歌詞から意味を想像すると、セカイとは自分の内面とか、自分だけの空間という意味合いが強いのではないかと思う。

自分の心をまんま他人に晒せばたぶんそれは汚い。

自分だけの世界とは本質的に醜くく冷たいものだからこそ、カタカナ表記したのではないかと思う。

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さて、この歌は「アンテナラスト」と同じように、「言葉や思いのすれ違い」について歌われている。

この歌は、ここ2、3年で思っていることを歌にしたおTAKUMAはインタビューなどで述べているが、「アンテナラスト」はおばあちゃんとの死別がひとつのきっかけであり、そこから想いのすれ違いや、最後までちゃんと本当のことが言えなかったことの後悔について歌っているわけだが、この歌も同じように、誰かとのすれ違いが歌になっているように思う。

ただし、このすれ違いは必ずしもネガティヴに語られているものではない。

曰く、なにかを発信する側が事細かに説明したりせずに、あえて言葉を少なくすることによって、教えたいことや怒りだったりをより深く伝えることができるし、“自分もこういうところがあるのやから、これはここまでで留めておこう”とか、本当は相手に全部言いたいけど、そこをグッと我慢することによって、相手を尊重することができるし、それによって伝えられることがある。だかは、すれ違わせることも意味があるし、大事なことであるとTAKUMAは捉えているわけだ。

要は伝えないこと、あえて言わないことも大事だよ、というわけだ。

そして、象徴的なのが最後のフレーズ「嗚呼 言葉のない遥か大昔 それなら今より少しは分かり合えたかな」の部分である。

人が本当に本音を剥き出しにするとき、そこには言葉は要らないし、ないときこそ本音が出ているとTAKUMAは述べる。

わめくとか、叫ぶとかが人間の究極の感情表現なのではないか、ということだ。

本当にビビってるときは体が竦んで動けないし、本当に悲しいときは嗚咽とともに涙を流す。

そこには言葉はないけど、どの言葉で伝えるより感情が露わになっている。

だからある意味、言葉がない時代の方が想い自体はちゃんと伝えられたんじゃないか、というわけだ。

正直な感情表現というのはそうなんじゃないかなって思う。けれども、それをグッと我慢して耐えている人にこそ伝えたい2行なんだ、とTAKUMAはインタビューで語っている。

本音を我慢することでコミュニケーションに円滑にさせる人、本当は衝動のままに動きたいけど「大人」だから我慢して周りに空気に合わせて生きている人。

今、社会で一生懸命生きているほど「我慢」をしていることだと思う。

各々の持ってるヒトリセカイは言葉を媒介して、相手に伝える。

言葉でしか普段は伝えないからこそ、意図的にその言葉を操作するわけだ。

それはそれで大事だし良いことなんだけど、でも言葉のないときじゃないと伝わらないこともあるし、衝動を剥き出しにすることで変えられる明日もあるわけだ。

どのようにして自分と向き合い、どんな行動をしていくのか。

この歌にはそんなメッセージが宿っているのではないかと勝手に思っている。

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