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世間的に歌詞をバカにされがちな西野カナだが、個人的には西野カナの歌詞は好きである。

一方、世間的にも嫌っている人が多く、歌詞もバカにされがちなmiwaだか、個人的にもmiwaの歌詞は嫌いである。

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なぜ西野カナの歌詞にはぐっときて、miwaの歌詞にはぐっとこないのか、それについて検証してみたい。

①例えがダサい

僕が秀逸だなーと思う歌詞のパターンとして、好きを「好き」という言葉を使わずに表現する、というのがある。

で、直接その言葉を使わずに「それ」を表現しようと思えば、手っ取り早い方法が比喩を使うことである。

なので、どんなアーティストの歌詞においても、たくさんの比喩が氾濫しているわけだが、西野カナの「比喩」はわりと秀逸なのである。

例えば、トリセツ。

これは自分のことを電化製品なんかの取り扱い説明書のように歌った歌である。

確かに歌詞の内容をみると、この女はわがままで自己中くさい。

故に、こういう女に耐性のないブヒヲタ共は「これだからビッチとDQNはやってらんね〜」みたいなことを言うわけだが、自分のことを取り扱い説明書のように述べていく、という歌詞の構造自体は少なくとも面白い。

比喩としても上手だし、言いたいこともすんなりと入ってくる。

対して、miwaはダメだ。

例えば「ヒカリへ」の歌詞をみてみると、この歌は私の思いを「光」に例えている(タイトルも「光」は比喩だということを強調するかのように、ご丁寧にもカタカナ表記されている)わけだが、これがダサい。

愛は光、と歌詞に書いてるが、こんな比喩をする歌詞なんて掃いて捨てるほど見てきたし、そんな「光」の描き方そのものがベタだしで、なんかもうセンスのカケラもないように思う。

どういう比喩で、どういう表現をするのかは、歌詞において、とても大事であり、ここにセンスが感じられないと、どうしても「ノレない
という話である。

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②歌詞に共感させるターゲット

西野カナの歌詞はターゲットは明確である。

同世代の女の子と、西野カナみたいな女の子が好きそうな男子にさえ共感してもらえたら、あとはどうでもいい感が強くてそこが良いのだ。

こういう層の共感は狙いまくる。

あざとすぎてもいいからとにかく狙う。

けど、あとは切り捨てる、理解なんてされなくてもいいし、バカにしてもらってもけっこうである、という潔さが滲み出て、評価できる。

この潔さ良さは深夜のバラエティー番組に通じるところもある。

だって、八方美人な歌詞を書こうとしたら「会いたくて会いたくて震える」なんて歌詞は書けないもん。バカにされるの目に見えてるから。

でも、西野カナはバカにする奴は放っておけ。

共感できる奴のみ全振りの歌詞書くぜ、ってやってるわけだから、こんな歌詞が書けるわけだ。

一方、miwaの歌詞はとても八方美人であり、「で?これ誰に共感させるために書いてるの?」と言いたくなるような歌詞が多い。

基本的に一人称は「私」、二人称は「あなた」を使うことが多いため、女性目線の恋愛歌を綴ることが多いわけだが、この女性像が凡庸ゆえ、いまいちターゲット性が薄い。

しかも、同年代の同性からの共感を狙おうとしているはずなのに、ご存知のとおり、miwaは同性からの嫌われっぷりが凄まじいわけで、透明性の強い主人公の歌詞で共感させるのは、正直難しいように感じる。

なにより、歌詞を丁寧に読んでも共感ポイントが薄い。

なぜなら、綺麗な言葉と綺麗な比喩を多用しており、歌詞から極力嫌悪感を排して、どんなタイアップでもどんとこい感がすごくて、それがすごく嫌な感じがするわけである。

だむて、どれだけ風景を比喩のネタにすんねんってくらい「空」とか「雨」とか「光」とか、そんな言葉がふんだんに出てくる。

物の見事に、無難無難な言葉しか出てこない。

絶対ケータイばっか見ているはずのに、一丁前に「空」なんて言葉を歌詞に登場させやがって。

どうせお前なんて青空を見てるわけないでしょ!と突っ込みたくなるわけだ。

歌詞から漂う八方美人感のせいで、誰をターゲットにした共感を誘っているのかが見えづらくなり、そんな閉塞した歌詞世界がつまらなさを加速しているわけだ。

西野カナが深夜のバラエティー番組なのだとしたら、miwaの歌詞は深夜のバラエティー番組がゴールデンに進出して、毒がなくなってしまった感じ、とでも評すれば良いだろうか。

③タイトルのセンス

西野カナの歌詞はタイトルだけみて、「ああ、この歌はこれについて歌ってる歌なんだな」というのが大体わかる。

構造として、すごくシンプルである。

これが良いのだ。

対して、miwaの歌はタイトルだけみても、何について歌われる歌なのか、ぴーんとこない。

そのくせ、歌詞の中身はベタなものである、というのが個人的にまたムカつくのだ。

タイトル同様、歌詞も難解な哲学路線でいくならいいんだけど、そうではない。

タイトルはわかりにくいのに、歌詞はベタというチグハグ感がいけ好かないのだ。

実際、名曲と呼ばれている曲はタイトルが効果的に機能している。

例えば、星野源の「恋」はタイトルこそベタだが、恋というものが歌詞を通して、色々と膨らんでいくことがわかるし、聴いてみたら確かにこの歌のタイトルは「恋」としか言いようがないなあ、と感じる。

また、RADWIMPSの「前前前世」は造語でありながら、どういうテーマについて歌われた歌なのかなんとなくわかるし、おまけに歌詞中でも、この言葉がキーマンとなって象徴的に使われていることがわかる。

つまり、タイトルをこの言葉にしてる、という必然性がすごく強いのだ。

そういう意味では、西野カナは歌詞がこういうテーマだから、そのテーマがわかるようなタイトルを付けるね、っていう狙いがわかるので、良い。

miwaは歌詞のテーマとタイトルがリンクしていないし、おまけにそのタイトルが歌詞に効果的に機能していないように見える事例が多いので、良くない。

要は、なんでこの歌詞にしたの?とツッコミたくなる歌が多いというわけだ。

以上のような理由から、西野カナの歌詞は評価するけど、miwaの歌詞は評価できない、というのが個人的な見解というわけである。

とはいえ、歌詞の捉え方なんて千差万別なのだから、他人がどう言おうが、自分の心を揺する歌詞に出会えたなら、それは良い歌詞だと認定していい、とも思うし、miwaの歌にぐっときたならそれもまたグッドだとも思うのである。

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