the quiet roomの「知らない」「知りたい」で生じた感情

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シングル曲って、ひとつの楽曲として独立していると考える人が多いと思う。

なので、複数のシングル曲を聴く際も、ひとつひとつの異なる世界観の楽曲として聴くことが一般的だと思うのだ。

それどころか、近年はショート動画時代である。

シングル曲という単位すらも大きなまとまりとして認識されがちである。

なので、シングル曲のサビ部分だけとか、ボーカルの部分だけを楽しむ、みたいな形もわりと一般的になりつつある。

音楽の触れ合い方が、どんどんミニマルになっているのだ。

作り手側も、それを想定して音楽を作ることが増えている。

イントロはなしにするとか、サビの部分をとにかく強めにするとか、色んな手を打っている印象。

仮にアルバム単位のリリースであったとしても、楽曲を「分けて」聴くことを想定した作り方にしていることも多い。

そんな印象である。

それが時代のトレンドだからだ。

でも、そういう時代のトレンドとは違う方向に進むバンドもいる。

ひとつひとつの楽曲を大切にして、それぞれの楽曲を聴くことで感じる魅力を丁寧に作品単位に結びつける、そんなバンドもいるように思うのだ。

the quiet roomもまた、そんなバンドのひとつだと思っている。

というのも、the quiet roomが発表した「知りたい」と「知らない」が、まさに、ひとつの楽曲でもきちんと成立しているけれど、二つの楽曲を聴くことで歌のメッセージがより深まる、そんな類の歌であるように感じたからだ。

the quiet roomの「知らない」

「知らない」はドラマチックな装いのする、洗練されたバラード曲である。

菊池遼の真っ直ぐのボーカルと、ゲストコーラスの日向文のハーモニーが美しい。

そして、美しい歌声に載せながら、誠実に届けるメッセージが尊いのだ。

おそらくコロナ禍というフェーズを経て、今の状況だからこそ歌える言葉を丁寧に歌詞にしている印象を受ける。

歌を聴いていくなかで、「知らない」というタイトルの輪郭がはっきりしてくるし、その言葉に宿るポジティブ性が際立っている。

聴けば聴くほどに、不思議と優しい気持ちになる、そんな歌だ。

the quiet roomの「知りたい」

「知りたい」は、「知らない」と異なり、ギターサウンドが際立つアップテンポな楽曲になっている。

爽やかさと疾走感の混じり合いが絶妙で、気持ち良い。

これは、the quiet roomのアグレシッブなサウンドが為せるものだと思うし、斉藤弦と前田翔平が積み上げるサウンドのかっこよさが実感できるアレンジにもなっている。

あと、高浦”suzzy”充孝のドラムとthe quiet roomのサウンドの息の合い方も良い。

サウンドが軽快なので、楽曲が持つポジティブ性が、より心地よく響く印象なのだ。

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「知らない」と「知りたい」

楽曲のテイスト的にも、歌詞的にも対になっている2曲。

どちらの楽曲の方が好みなのかは人によると思うけど、自分は両方の楽曲を聴くことで、もう片方の楽曲もより好きになった。

これは片方の楽曲が、もう片方の楽曲のメッセージをより深掘りしてくれるからだと思っている。

そして、2曲を通して、the quiet roomの様々な魅力を感じることができるからだとも思うのだ。

「知らない」はどちらかというと、主人公の見ている景色が軸になっている歌という印象である。

というのも、知らない世界を想像する主人公がいて、その想像する世界の描き方が歌の軸になっている感じがするのだ。

二人称、という言い方とはまたちょっと違うんだけど、主人公の五感を通して言葉が積み上げられている感じがするからそそ、知らない世界を想像する尊さを感じることができる気がするのだ。

一方、「知りたい」はタイトルの通り、知りたいと願っている主人公が軸になっている歌、という印象である。

なので、歌全体が能動的になっているし、だからこそ楽曲の疾走感とよりシンクロしている。

あと、「知らない」は”世界”を観る対象、向かう対象として描いていた印象だけど、「知りたい」の”世界”は今主人公がいる場所、という感じもするのだ。

なんというか、「知らない」は、主人公が世界のout側で言葉を紡いでいた印象だけど、「知りたい」は主人公が世界の中にinした感覚があるというか。

まあ、この辺は僕の主観的な感覚でしかないんだけど、とにかくふたつの楽曲を聴くことで、より歌の景色が鮮やかに見えてくるのである。

ただ「知らない」と「知りたい」って異なる歌でもある一方、となりあったふたつの景色を歌った歌という印象もあるし、歌が到達するメッセージは重なる部分も多いと思っている。

今を地点にして、温かい眼差しを持ちながら、未来に向かって進んでいく、という意味では、どちらの歌も共通しているものを感じるからだ。

なので、この2曲は対になっている、とも言えるし、重なり合っているとも言えるのではないか、勝手に思っている。

まとめに替えて

まあ、主観強めの、楽曲の受け止め方は、置いといて。

「知らない」と「知りたい」の2曲に触れることで、自分はとてもthe quiet roomというバンドのことが、the quiet roomというバンドが紡ぐ音楽のことが、とても好きになった。

この歌は配信リリースされる前に、コロナ禍でも音楽を鳴らす環境を守ってきたリスナーたちに向けて、先に会場限定シングルという形式でリリースしているというスタンスも含めて、良いなあと思ったのだった。

最初の話に戻るけれど、マーケティング的に考えるなら、楽曲はより短い単位で独立している状態の方が、バズりやすくて良いという価値観になりやすい。

さらに言えば、盤とか形に残るものとかはコストがかかるし限定的になるので、もっと手広くたくさんの人に届く形で楽曲を発信した方がいいという価値観にもなりやすい。

でも、それがもっとも大切にしないといけない価値観なのかといえば、そんなことはないと思う。

というか、そういうこと以外を大切にしているバンドの音楽って、自分的に刺さるなーというのが、あるのだ。

歌で紡ぐメッセージと、行動で示す内容のひとつひとつがシンクロしているかどうかが、言葉の説得力に大きな影響を与えると思うからだ。

そう考えたとき、こういう言葉で綴られた楽曲を、こういうアレンジとサウンドで楽曲にしながら、こういう形でリスナーに届けていくthe quiet roomというバンドがとても良いなあと思ったのである。

良い楽曲が、良い形で世の中に放たれているからこそ、より良い形で自分の心に届いた心地がするのだ(まあ、配信で楽曲を聴いている自分が、何をえらそうにという話ではあるのだが)

なんにせよ。

決して自分はthe quiet roomというバンドについて詳しいわけではないけれど。

自分にとって、the quiet roomが<知らない>から<知りたい>に移行したような、そんな心地にさせてくれる作品になったということを最後に記しながら、この記事を締めくくろうと思う、そんな次第。

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