OKOJOの「猫舌」によって、自分の中にある犬VS猫の価値観が破壊された件

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いや、この歌、別に猫の歌ではないんだけどね。

ただまあ、ジャケットが猫のアー写ということもあって、どことなく猫推しな予感を覚えていた自分。

話は変わるが、自分は物心が付いたときは、自由気ままに行動をする猫の方が好きだったんだけど、最近は犬の愛嬌に触れてしまう機会があって、犬派寄りになっている。

グレート・ピレニーズのようなでっかくてもふもふしている犬をみると、わりと癒される昨今。

しかし。

残念ながら、バンドの多くは猫の歌を歌っている印象だ。

BUMP OF CHICKENも、ヤバイTシャツ屋さんも、キュウソネコカミも、打首獄門同好会も「猫」を扱った代表曲が存在している。

Official髭男dismは本質的に犬派閥のように思えそうだが、”君”が圧倒的に猫推しのため、ずっと犬とキャットで喧嘩している印象を受ける。

バンド名で考えたら絶対犬派閥のはずのスピッツですら、油断した隙に「猫になりたい」と歌っているし、最近は「猫ちぐら」なんて歌をリリースしてしまって、完全に猫派閥に寝返ってしまったようである。

何が言いたいかというと、バンド界隈においては、年々楽曲登場頻度においては、”犬”より”猫”が大きな力を持っているよなーという話。

で。

そんな中で、ついにOKOJOの楽曲も、猫色に染められてしまった・・・。

「猫舌」というタイトルを聴いたとき、そんなことを思ってしまっている自分がいた。

いや、まあオコジョという動物はもともとネコ型亜目の動物なので、どちらかというと、イヌよりはネコの方がシンパシーがあるのかもしれないが・・・。

本編

OKOJOの「猫舌」の歌詞が描くもの

・・・というどうでもいい前置きはさておき。

OKOJOの「猫舌」って、”猫”の歌というよりは個人的には”生活”の歌だと捉えている。

この歌では、僕と君が楽曲中に出てくるんだけど、この二人の関係性の描き方が良いなあーと思うのだ。

どういうことか。

もう少し説明してみよう。

仮に「猫舌」を恋愛ソングとして捉えて聴いてみよう。

で、恋愛ソングって色んな描写の仕方があるわかえだけど、心理描写が9割以上を占める歌も多い。

ずっと視点が歌の主人公の内面に当たっていて、結局、歌に出てくる僕と君って何者で、二人はどういう関係性か見えてこない歌というのもわりと多い気がするのだ。

でも、「猫舌」って二人の生活が見えてくる感じがして、それが好きなのである。

別にめちゃくちゃ丁寧に描写のフレーズを入れているわけではない。

でも、ここぞの時にここぞのフレーズがあるからこそ、詳細な描写をしていないにも関わらず、不思議と、僕と君の生活感が見えてくるのだ。

自分的に良いなあと思ったのは、サビのこのフレーズ。

熱いものが食べられないなら僕が冷ますよ
あと寒いところが苦手ならずっとそばにいるよ

このフレーズがサビで登場することで、僕と君の関係性だったり、僕と君の人となりが見える感じがして、すごく良い。

しかもこの歌って「君」とか「あなた」という単語が出ておらず、実は”君”の描写はされていない。

にも関わらず、二人の生活を解像度高く描いているところが、個人的な好きポイントであるし、そのポイントになっているのが、歌詞本文には出てこず、タイトルにだけ出てくる<猫舌>になっているのが良い。

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OKOJOの「猫舌」の楽曲的魅力

魅力的なのは、歌詞だけではない。

OKOJOらしい、優しくて素朴なメロディーも大きな魅了である。

このメロディーだからこそ、前述した歌詞が光っているとも言えるだろう。

ちなみにメロディーの話でいえば、個人的に好きなのはサビの後半で出てくる「さあ」という部分。

ライブとかだったら、この部分に合わせて、手をかかげたくなるようなリズムフックを感じる。

そう。

この歌って、単にメロディーが良いんじゃなくて、リズムも冴え渡っている。

イントロからAメロに切り替わる流れでリズムがハネていき、メロディー的にはわりとしっとりしているはずなのに、軽快感をもって楽曲が展開していく。

そして、Aメロが軽快だからこそ、Bメロで一旦リズムが緩急をつける部分で、ぐっと言葉とメロディーが際立つ流れも良い。

そこからサビで再びリズムがハネていくのも良い。

この辺り、トータルでみると、ヤマトの細かなリズムアプローチが冴え渡っていると個人的に思う。

演奏に触れたので、そのまま流れで触れるけれど、でんでんのギターも良い。

個人的に特に良いなあと思ったのが、2番のメロパートが終わった時。

普通ならここで1番と同じ流れでサビに突入するはずなのに、この歌は2番ではサビに入らない。

じゃあどういう展開になるのかというと、でんでんの痛快なギターソロに入るのだ。

メロディーが際立っている歌だし、歌詞の物語性が強い歌だと思うので、もっと歌を聴かせる構成にしてもいいはずなのに、2番の盛り上がる部分では、きっちりでんでんのかっこいい演奏を聴かせるのだ。

この流れと構成が良いなあと思う。

というよりも、そもそも2番のサビって、でんでんのギターなのだ、と捉えてもいいのかもしれない。

OKOJOの一番の良さは、まつしたの歌とメロディーにあると思っている。

それくらいに口馴染みの良い歌が多いからだ。

でも、OKOJOの魅力が「単に歌が良い」で終わらず、ひとつの楽曲がより刺さるものになっているのは、スリーピースバンドとしての演奏の安定感にあると思う。

「猫舌」って、その両方が冴え渡っているからこそ、自分的にとても刺さるのである。

まとめに替えて

「猫舌」って弾き語りでも成立するくらいに歌が良い。

んだけど、それだけではなくて、バンドとしてのOKOJOの魅力も際立っている。

マジで、犬の歌がどうとか、猫の歌がどうとか言うのがどうでもよくなるくらい、「猫舌」に価値観を塗り替えられている自分がいる(いや、別に「猫舌」は猫ソングではないんだけどね)。

「猫舌」って聴かせる歌でありながら、単に聴かせる歌に留まらない魅力がそこにあるように思うし、だからこそ、2023年の中でじっくりとじわじわと広がっていくんじゃないかと勝手に思っている自分がいる。

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