King Gnuが描くコンセプトとは?

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今年1月、King Gnuはソニーミュージックからメジャーデビューを果たし、メジャー1stアルバムとして「Sympa」をリリースした。

インディーズ時代から何かと話題になっていたこともあり、音楽番組に取り上げられると一気にその名は日本全体に広まった。

そして、坂口健太郎主演のドラマのタイアップ「白日」を配信すると、その人気は確実なものとなった。

また、先月16日に公開された「The hole」のMVも多くの反響を呼んでいる。

この記事では、メジャーデビュー後の楽曲である、「Sympa」と「白日」の歌詞に共通して使われている頻出ワードに注目して、作詞作曲を手がける常田が楽曲のコンセプトとして大切にしているものは何かを考察したい。

「Sympa」に収録された4つインスト

まずこのアルバムで無視できないのが、アルバムのストーリーを形作っているとも言える「SympaⅠ~Ⅳ」のインタールードたちである。

これについて、すべての曲の作詞作曲を手掛けるGt.Vo.の常田大希は、インタビューでこう語っている。

「実をいうと今回のアルバムにはコンセプトを意識しながら書いた曲ってそんなにないんですよ。どちらかというとシングルをひとつにパッケージしていくようなイメージだったんですけど、曲がそろっていく中でアルバムとしての方向性が定まってきたので、これは曲と曲をつなぐ何かを用意したほうがいいなと。それで最後に『SympaⅠ』から『SympaⅣ』まで4つのインストを作ったんです。」(音楽ナタリー)

長くなってしまうので割愛するが、常田は同じインタビュー内で「Ⅰ」は<救助を求めている>ことを表していると語っている。

該当記事:ナタリーのKing Gnuインタビュー記事

確かに、映画音楽のBGMのようなインストに合わせて忙しなく鳴るモールス信号や、「We need help!」というセリフからもその緊迫した状況が伝わる。

最後の「Ⅳ」では「Ⅰ」と同じモールス信号を用いて、同じストリングスのフレーズが再現されているが、男性の声は「Ⅰ」に比べ穏やかである。

そして次第に音楽はフェードアウトし、サイレンが近づいて車が止まる音とともにアルバムは終わる。

「最後に救出される」と語っているのはこれのことだろう。

途中の「Ⅱ」「Ⅲ」も含め4曲のインストがあることで、アルバムがひとつのストーリーを持つ。

では、このアルバムが示すストーリーの意味とは何だろうか?

Sympaが描くストーリー

私は、2曲目の「Slumberland」で歌い上げられている「愛と人生」であると考えた。

また、この「愛と人生」というコンセプトは、後にリリースされた「白日」にも続いているものだと考えた。

まず、アルバムに収録されているインストの4曲を除いた曲を、順に追っていきながら考えてみたい。

M02「Slumberland」

この曲は主に常田が拡声器を使ってボーカルをしており、曲調もMVの雰囲気も過去作の「Tokyo Rendez-Vous」に近いものがある。

歌詞は世間への皮肉に溢れたものとなっていて、King Gnuらしさが全面に出た曲と言える。

また、その皮肉は見事なまでに韻を踏んでいる。

これは、彼の作詞家としての才能が遺憾なく発揮されたものであるといえる。

そしてここで注目したいのがサビで歌われている「所詮ロックンローラーは愛と人生しか歌えないんだ」という一文である。

常田が歌っているのはこれを英語にしたものだが、わざわざ翻訳文を歌詞カードに載せている(ほかの歌に英語詞がでてきても翻訳文は載っていないのに、この歌の歌詞だけ翻訳された歌詞が載っている)ということは、かなり重要なキーワードとなっているのではないか。

M03「Flash!!!」

この曲はアルバムが発表される前から一足早く配信されていた曲であり、ライブでも多く演奏されていたものである。

アップチューンでありながらも歌詞の内容は重いもので、「間違いだらけの人生が光を見失わせる」とあることから、「人生」を歌ったと言えるだろう。

またこの曲のテーマであり、詞中にもたびたび登場する「光」という言葉は、のちの曲にも関連している。

この言葉は覚えておいてほしい。

M04「Sorrows」

前曲の「Flash!!!」に続いてアグレッシブなサウンドが特徴なこの曲は、アルコール飲料のCM曲として使用されたので、耳に残っている人が多いと思う。

しかし、曲調に反して歌詞の内容は重い。

そして、「Slumberland」以降、アルバムの中で初めて愛する人の表現が出てくるのもこの歌である。

「ささやかな人生を愛せるのならば信じていたもの全てを手放したっていいんだ」という歌詞の表現は、曲調も相まって悲痛な叫びのようにも聞こえる。

また、「痛み」「喜び」「悲しみ」という表現は後半の「Hitman」「Prayer X」にも共通してでてくる表現でもある。

M06「Hitman」

前の曲たちとは雰囲気が変わり、ゆったりとしたテンポと井口の透明感溢れる歌声と少し神秘的で不気味なコーラスが特徴のこの曲。

曲中に出てくる「東京航海(トーキョークルージング)」「東京交差点(トーキョークロッシング)」は、トーキョーカオティックやトーキョーランデヴーを踏まえたものであろう。

この曲は少し気になるところがある。

サビの「今なら僕ら目を瞑っていたって 未来へ駆けてゆけるの」という歌詞が、「Slumberland」の「Open your eyes, open eyes wide.(目を覚ませ、目を凝らせ)」という歌詞と矛盾するのだ。

「Hitman」の方を、クエスチョンマークがついていないだけで疑問文であると考えることもできなくはないが、ほかの部分では使われているクエスチョンマークがここだけ抜けているというのは不思議な気がする。

この曲には直接、愛や人生という語は出てこないが、歌詞の内容から「人生」を歌ったものと解釈できる。

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M07 「Don’t Stop the Clocks」

こちらの曲も、井口の声がよく活かされているバラードだ。

「泣かないで愛しい人よ」という歌詞から、愛を歌ったものと解釈できる。

また、「あなたとなら季節が巡り始める」とある通り、この曲以降、アルバムの中に季節を表す語が登場し始める。

「夢を見ていたいんだよ」という歌詞は、やはりSlumberlandと矛盾していると思うのだが…

M08「It’s a small world」

「Don’t Stop~」の「一緒に踊らないかい?」からこのダンスナンバーに繋げる常田は天才だと思う。

この曲にも「人生は止まらないし」という歌詞があり、また、先ほど述べたように「夏の終わりの熱帯夜に二人」と、季節を表す文が登場する。

この曲のサビの「君の世界に僕も生きられるならそれは素敵なことでしょう」という歌詞は、「Sorrows」の「You always stay in my mind. I want you stay in your mind.」の部分と共通するものである。

M10「Prayer X」

BANANA FISHのEDテーマとしてリリースされたこの曲は、それまでKing Gnuを知らなかった多くのリスナーの耳に届き、その名を世間に知らしめるようになったきっかけとも言えるだろう。

「Slumberland」と「Flash!!!」を除けば、アルバムの中では恐らく初期にできた曲と考えている。

その証拠に、この歌もほかの歌と共通する部分は多い。

「飛沫を上げて」という表現は「The hole」にもあるし、「一体全体何を信じればいい?」という表現は「Hitman」にも見受けられる。

また、「Hitman」で「笑顔の仮面を取れ」と言っていたのに対し、こちらには「屈託のない笑顔の裏隠していた」とある。

「この人生に意味があるのなら教えてよ」という悲痛な叫びは誰に向けてのものなのか。

この曲は、絵に描いたようなバッドエンドという印象である。

M11「Bedtown」

ここで、重苦しい空気は一変する。

まるで車のCMにでも使われていそうな軽快なサウンドと、相反するような寂しさを感じさせる歌詞が特徴だ。

「吹き抜けた未来」という歌詞は、「Hitman」の「吹き抜けてるはずの未来は?」を踏まえてのものだろう。

「Hitman」より少し時間が経過した後の曲であると考えることもできる。

また、「群れからはぐれたって」という歌詞は、「Don’t Stop~」の「この街が僕らを孤独にするのなら」と共通する表現である。

「それさえ愛おしく思うんだ」という表現には、お互いに依存しあう、危うい関係の二人が描かれているように感じられる。

M12「The hole」

アルバム中にタイアップの曲などある中で、強烈な存在感を残すのがこの曲だ。

「愛を守らなくちゃ」という歌詞から、単純に、愛を歌った歌であると言うこともできるが、この歌に登場する「僕」と「あなた」の関係性は、「脆く不確かで」「些細な拍子に踏み外してしまう」ものなのだろう。

MVでも、男性の恋人と女性の恋人との間で揺れる男性という、「脆く不確か」な愛の姿が描かれていた。

この曲で注目したいのが、Cメロの「世界の片隅に灯るかすかな光を掻き集めて」という部分である。

「Flash!!!」のときに「光」というワードを覚えておいてほしいと言ったのは、このためである。

「Hitman」の「Sunshine Sunshine」というコーラスや、「It’s a small world」の「夜は眩しいほどに煌めいて」、「Prayer X」の「一時の煌めく命ならば」のように、「人生の中で光輝く瞬間」を求めていると考えることができないだろうか。

そしてこのアルバム内での共通事項は、「白日」にも見受けられる。

白日への繋がりと、まとめ

まず、「人生一から始めようが」「それでも愛し愛され生きてゆくのが定めと知って」という歌詞。

季節に関する表現は、「雪が降りしきろうとも」「春風が吹くだろう」「光」に関するのは「煌めいて見えたとしても」。

また、「Sympa」の中で歌われていたのが「未来」だったのに対して、白日では主に「今」を歌っている。

そして極めつけは、サビの歌詞だ。

「真っ新に生まれ変わって人生一から始めようがへばりついて離れない地続きの今を歩いているんだ(行くんだ)」。

これは、「Slumberland」の「今夜、真っ新から始めよう」を受けてのものであると考えられないだろうか。

もし白日が、「Slumberland」を踏まえて「真っ新」を否定しているとするならば、「Sympa」のアルバムの中でいくつかあった曲間での矛盾にも納得がいく。

以上が、私なりの「Sympa」と「白日」に関する考察である。皆さんも、自分の中の「Sympa」のストーリーを考察してみてはいかがだろうか。

関連記事:なんでKing Gnuってバズったの?

筆者紹介

山葵(@sabiganaisushi)

都内の大学に通う普通の音楽好きな大学生。好きなバンドはUNISON SQUARE GARDEN、King Gnuその他たくさん。

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