IN THE MIDDLE feat.三浦大知について

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最近ぐっときた新曲について、言葉をしたためていきたい。

そのうちのひとつが、AIの新曲である「IN THE MIDDLE feat.三浦大知」である。

AIと三浦大知の二人にしか生み出せない音の鮮やかさ。

いかにこの二人がボーカリストとして優れているのかを実感する一曲である。

まずは、AIの歌声が始まるこの歌。

そのあと、すぐに三浦大知がそのバトンを受け継ぐ。

やがて二人の歌声が混じり合い、歌の世界が広がっていく。

何が凄いって、この歌、サウンドとしてはどこまでもミニマムで余計な音を楽曲の中に忍ばせることをしない。

どこまでもシンプルなのだ。

なのに「劇的」で「ドラマチック」という言葉が似合う聴き心地になっている。

ここが、この歌の凄さだと思う。

なぜ、この歌がこういう聴き心地になるのかといえば、AIと三浦大知の歌声がどこまでも素晴らしいから。

時にひとつのボーカルで、時にその歌声が多重になってメロディーを育んでいく。

男性と女性のデュエットとなると、音域が大きく異るから<性質の違うボーカル>感が際立つことも多い。

しかし、AIと三浦大知のハーモニーにそういう差異を感じることがほとんどない。

言葉として表現するのが難しいんだけど、同じテンションと同じ力強さで言葉が際立っている印象を受けるのだ。

だからこそ、紡がれていくメロディーラインがどこまでも美しく響く。

甘さと力強さと、包容力を併せ持つ、二人ならではのボーカルがどこまでも展開されていくわけだ。

確かに<ポップス>という枠組みの歌なんだけど、既存の<ポップス>を越えた響きを実感させるのである。

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「IN THE MIDDLE」の歌詞について

SNSの一部で「IN THE MIDDLE」の歌詞が波紋を呼ぶことになった。

「MIDDLE」=真ん中、という言葉が差別を助長する(というよりも弱者を透明化させてしまう)言葉になってしまうのではないか、という指摘である。

もちろん、このワードチョイスではそういう捉え方もできてしまう、という指摘はあり得ると思うし、その言葉に引っかかりを覚えてこの歌のメッセージがすーっと入ってこないという指摘もありえると思う。

ただし、ここから理論が跳躍して「IN THE MIDDLE」は差別的な歌だ(あるいは強者に寄り添うような歌になっている)、と言わんばかりの論調にまで展開させるとしたら、その論調は極端であると言わざるを得ない。

こういう時に、鋭く大きな声をあげる人は<違和感を覚えたら力強く声をあげるべき>だと述べがちだし、他人の口を封じてしまうことに強く敏感であることが多い。

当然ながら、人種差別の歴史の中で、弱者の声を無効化したり、差別されている人を透明化してきた文脈があるのだから、そこに慎重になるべきなのは当然である。

ブラックミュージック(あるいは日本で今ポピュラーになっている音楽ジャンル)において黒人の差別の歴史は切っても切り離さすことができないトピックである。

だからこそ、そのトピックへの眼差しや態度を作品にどう反映させるのかは、とても重要だと思う。

しかし。

ただし、「IN THE MIDDLE」が危険な思想を持つ歌である、そういう思想を周りに加速させる危険な歌である、という論調になるのだとしたら、その論調のほうが(少なくともあの段階で言葉にする内容としては)あまりにも危険だと思う。

例えば、某メンタリストの某動画のように明らかにコンテンツの中に差別意識が内在しており、その言葉に間違った影響を受けると(ほぼ間違いなく)差別意識を助長させることがわかるコンテンツに対して、そういう言葉を提示することは、とても重要なことである。

しかし、この作品に影響を受けることで、差別的な影響を受けてしまったり、弱者を透明化してしまう眼差しを与えることになる結果を生み出すだろうか、という自問は必要だと思う。

そこまでは言い過ぎなのだとしたら、作品に対する指摘だってそれ相応の振る舞いがあるように思ってならないわけだ。

なんせ、少なくとも、この歌としっかり向き合うリスナーの多くが、差別をしたり弱者を無効化するような立場の人と逆の人が多いと個人的には思うから。

もちろん、作品を受け止める過程で、ここの言い回しはこういうふうに感じる可能性もあるから良くないと思うな・・・という指摘はあり得ると思う。

でも、結論ありきで作品に触れて「これはこういう作品である(しかも、それが事実と相違する可能性のある言葉で)」と結論付けてしまうのだとしたら、その言葉を加速させるファンダムの方がある種の危険な熱を帯びているように思うわけだ。

人はいつだって自分が正しいと思いがちだし、自分が正義側でいると思いこんでいるときほど、その言葉・意識が加速していく。

そして、そういう状態になっているときほど、仮に<弱者を透明化している>と主張しているその人が、そもそも自分の視界から誰かを<透明化>してしまっていることが往々にあるわけだ。

主張するな、という話ではない。

意義を唱えるな、という話ではない。

むしろ、その逆だと思うからこそ、自分が一連の流れで感じた違和感をこうして言葉にしているし、政治的なトピックにまつわる問題性を提示していくことはすごく大切なことだとも思う。

ただし。

自分の振る舞いだって、同じように危険な側にいったり、透明化する側によってしまう可能性があるし、だからこそ指摘をする際の言葉選びも慎重になるべきだという話(言葉に対する違和感を主張するならなおのこと)

問題から目をそむけてないないにするのとは違う。

お互いの危険性や<透明化>していることに対して、きちんと指摘し合うことだ大切なのではないか、ということ。

アーティストは政治的なトピックを話すべきだと主張する人ほど、結果的にアーティストの口を塞ぐ方向に追い込んでいることがよくあると思うからこそ、余計にそう思うのだ。

この歌で歌われる<IN THE MIDDLE>には、きっとそういうことも含めた多様な気づきが楽曲の中に内在されているように思う。

そんなふうに、自分は思うのである。

まとめ

とりあえず「IN THE MIDDLE」は、色んな意味で豊かさを与えてくれる一曲だと思う。

AIと三浦大知だからこそ育むことができる、音楽と言葉と眼差しの豊かさを含んだ、一曲だと思うのだ。

良い作品の定義、というものがあるのだとしたら、色んなことを考えさせてくれるようなものだと思うからこそ。

聴いていない人は、「IN THE MIDDLE」の世界を、ぜひ体感してほしいと思う。

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