藤井風の「grace」から感じる人間的魅力

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藤井風の「grace」を聴いたとき、シンプルにめっちゃ良い歌やんと思った。

この<シンプル>というのが自分の中ではポイントで。

藤井風って他のアーティストにはない魅力がたくさんあるアーティストだから、その独自性に注目されることが多いし、その独自性をもって<良いアーティストだ>と言及することが多い印象。

例えば、方言を多用する歌詞や、日本語歌詞をソウルフルなリズムに乗せるときの独特の語感とか。

パワフルかつしなやかな歌声とか、歌うときとMCをするときのギャップとか。

かっこよさの中にチャーミングさを内包させた立ち位置とか・・・。

挙げはじめたらキリがないんだけど、藤井風ならでは、の部分に注目した言及が多いのは確かだと思う。

なので、楽曲の良さを語るうえでも藤井風の独自性だったり、他のアーティストの楽曲にはない魅力に触れながら、言葉にすることが多い。

でも、「grace」ってそういうのとはちょっと違う魅力を持っている気がするのだ。

だから、「grace」がシンプルに良い、というのはすごく重要かつ大きなことだと個人的に思ってしまうのだ。

こうきくと、「grace」っていう歌が凡庸な歌だと述べているように聞こえるかもしれないが、そんなことはない。

後述するが、「grace」が単純な歌だとはまったく思わないし、この歌もたくさんの藤井風ならではが詰まった歌だと思うから。

ただ、藤井風という魅力を差し引きとしても、変わらない魅力を放つ歌だよなあと思うわけだ。

そういう変動のしなささを指して、自分は<シンプルにめっちゃ良い>と表現したくなるのである。

例えばであるが、「何なんw」は藤井風が歌うからこそ魅力に溢れる歌だと思うし、誰がカバーをしたとしても、藤井風の強いインパクトの上にのっかるカバーになってしまうと思う。

でも、「grace」って過剰に藤井風の像を頼らなくても、良い歌としてきっと成立してしまうと思う。

歌そのものから、素朴な魅力が溢れている歌だと思うから。

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歌詞の魅力

この歌は、シンプルに良い歌だと述べた。

けれど、当然ながら、藤井風だからこその魅力がいくつもあって、「grace」にしかない聴きどころもたくさんあるように思う。

個人的に一番実感するのは、歌詞の部分。

確かにこの歌は藤井風の代名詞のような方言は出てこない。

フレーズのひとつひとつだけでは、藤井風らしさを感じない人もいるかもしれない。

でも、自分は「grace」の歌詞って、惹かれる部分がいくつもあるよなーと思っているし、全体をとおして聴いたときの藤井風の眼差しにドキッとさせられてしまうのである。

特徴的だなあと感じたのは、一人称がたくさん出てくるところ。

この歌のベースの一人称は、「私」だ。

しかし、「私」の一人称だけとどまらず、「あたし」という一人称が登場する。

さらに、歌詞サイトで「grace」の歌詞をみているかぎり、「あたし」という一人称が登場してから(歌詞に即していうならば、<あたしに会えてから>は「私」ではなく、「わたし」という一人称が登場する。

仮に「私」と「わたし」を別のものとして考えるとき、この歌には「私」「あたし」「わたし」というみっつの一人称が登場するのである。

そして、私という一人称のときから、わたしの一人称になるにあたって、楽曲内での世界の見方や物事の捉え方が大きく変わるのである。

歌詞に即して言うならば、<涙も輝き始めた>状態になることで、歌の視点がぐっと変化する心地を覚えるのだ。

この言葉の繊細さだったり、物事の柔軟な見据え方を感じたとき、「grace」の歌詞が描くメッセージ性によりぐっときてしまったのだった。

痛みや弱さみたいなものを丁寧に描くからこそ、この歌の確信となるポジティブなメッセージの輝きが途方もないものになる。

そして、そのネガティブからポジティブに転換する歌のきっかけが<あたしに会えて良かった やっと自由になれた>というフレーズなのが良い。

そういう諸々にふれるとき、この歌こそがある種のgraceだよなあと強く感じてしまうのである。

まとめに替えて

藤井風って魅力的な人間である。

しかも、特出する個性をもった人間である。

ただ、キャラクターとして際立っているからこそ、どうしても藤井風ってわりと<ネタ>っぽくSNSで触れられるケースも多い印象であるし、褒める場合においても<人間離れ>したというような言種と合わせてしまう印象も多い気がする。

要は、どこか庶民とは違う視点にたった人、というような扱われ方が多い気がするのだ。

でも、藤井風ってどこまでも人間的だなあと思うし、そういう人間らしい視座が「grace」の中に宿っている気がした。

藤井風をライブで見る機会もあったが、MCでは飄々としている部分もあったが、感情が表現や仕草に表れているように感じる部分もあった。

藤井風の心情は想像するしかできないので、ここでは特に言及しないが、飄々としているふうに見せかけて、きっと色んな感情を背負いながら圧巻のパフォーマンスを行なっていることを実感した瞬間だったし、藤井風の<人間>を感じる瞬間でもあったのだった。

そういうことを踏まえながら、「grace」を聴いたとき、よりひとつひとつの歌詞が突き刺さったという、そういう話。

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