星野源の「Cube」を聴いて困ったことを告発する文章

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単刀直入に言おう。

星野源の楽曲に、マジで困っている。

「Cube」を聴いて、改めてそんなことを思うのである。

いや、ほんと、こんな曲を聴かされたら、困ってしまう。

とにかく困るのである。

・・・・・・・・・・え?

何が、どう困るって?

この記事では、そのことについて書いていきたい。

本編

聴きどころが多すぎる問題

これは、自分の感覚も問題でもあるとは思うんだけど、普通、ひとつの楽曲の聴きどころとなる核は、一本に縛られている。

いや、もちろん、ひとつの楽曲にたくさんの魅力は溢れているとは思う。

んだけど、まずはその魅力の軸というか幹みたいなものは見えてくる。

そんなふうに思うのである。

例えば、リズムアプローチが心地よい、とか。

楽曲全体の熱さがたまらない・・・みたいな感じで。

ベースにある魅力がまずはあって、そこから深く聴き込むことで、この歌にはこんな魅力もあるのか!と気づくケースが多いはずなのだ。

少なくとも、自分が音楽に触れると、入り口となる魅力があって、そこからどんどん広がりに気づく、という聴き方をすることが多い。

でも、星野源の楽曲は違う。

入り口の時点で、全方位の攻撃力が高いのだ。

実際、星野源の歌って色んな切り口で語られることが多い。

サウンドの良さ。

リズムアプローチの潤沢さ。

楽曲構成の妙。

メロディーの美しさ。

引用とリスペクトの折り重ね。

あるいは、歌詞の内容と、その批評性。

しかも、どの要素もそれひとつで<濃い>と言われてしまうようなレベルに達していることが多い。

んで、全要素が濃いのだ。

だから、困ってしまうのである。

そして、「Cube」に関しても、そうなのである。

「Cube」の話

まず、冒頭。

自分は、イントロのリズムアプローチに引き込まれた。

ジャジーでアドリブ感のあるスリリングな打楽器のリズム。

このアプローチに引き込まれていくのだ。

だから最初はこう思う。

つまり、この歌はリズムの妙を楽しむ歌なのか・・・と。

そう思って、耳のチャンネルをそこにあわせていると、すぐにそれは誤りであることに気づく。

星野源の歌声が入ってくることで、どうやらそこだけを堪能する歌ではないことに気づくのだ。

なんせm星野源の歌が紡ぐメロディーがどこまでも良いのだ。

細かいところまで練られたメロディーラインに、一気に心が奪われてしまうのである。

しかも冒頭のフレーズが「未来 閉ざした」というキラーワード。

これにより、歌詞にも意識が引っ張られていくことになる。

しかも、歌詞を聴けば聴くほどに批評性のある鋭い言葉が踊っていることに気づき、頭の中はとんでもないことになるのだ。

おいおいおいおいおいおい。

リズムを堪能する歌かと思ったら、歌詞でもゴリゴリに勝負している歌じゃないか、と実感するわけである。

なにより、キャッチーなメロディーラインをウリにしている楽曲よりもメロディーがキャッチーという恐怖。

サウンドの面白みだけでもご飯3杯はいけちゃうのに、シンプルな歌モノとしてもご飯3杯いけちゃうというのは、聞いていない。

そんなことをされたら、困ってしまう。

なんなら歌詞カードを観ながら、歌を聴くだけでもご飯3杯はいけちゃうという恐怖。

おいおいおいおいおいおい。

おれに一体、ご飯、何杯食わせる気だよ、と。

コロナ禍でただでさえ体重が増えているのに、そんな容赦ないことしたらとんでもないことになってしまうではないか。

・・・しかも、恐怖なのがこれほどまでに全パラメータが高い歌にも関わらず、決してカロリー過多な歌になっていないということなのである。

まあ、この辺は自分のさじ加減の問題ではあるんだけど、自分は良い意味でこの歌に疲れを覚えないのだ。

ぱっとみの装いは軽妙なので、軽い感じで聞けちゃう凄さもあるわけだ。

なので、何回もリピートできちゃう。

よくよく考えたら、イントロのビートはスリリングなんだけど、サビではふわっと楽曲の空気が変わっていることに気づくので、賑やかなアプローチなんだけど、過多にはなっていないという不思議な印象を覚えるのである。

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強いのは、楽曲だけではなかった

そして、「Cube」のMusic Video DirectはMIKIKOなのである。

あの、MIKIKO、である。

つまり、映像作品としての仕上がりもまったくスキがないのである。

ただ、ダンスが魅力的とか、そういう次元ではない。

映像体験としてのスリリングさ、構成力が半端ないのである。

ひとつのミュージカルを観るような充実感がそこにある。

アーティストのコンテンツが限りなく無料化して、誰でも世界中の音楽に簡単にアクセスできる世の中になって、どんどんエンタメはお客の時間の奪い合いとなっている中で、星野源はその奪い合いに対して、どこまで貪欲な感じがして、ドキドキしてしまう。

俺のコンテンツに触れた人は、他のところに逃さないぜ。

とことん、自分のところに釘付けさせてやるぜ・・・・・・感が半端ないのだ。

少なくとも、自分は魅了されっぱなしだった。

魅力するポイントの数が異次元で、深さもあるのだから、当然である。

もし減点方式で音楽を聴く人がいるとしたら、好み以外の観点で減点させる気のないスキのなさを「Cube」から感じるのである。

まとめ

最初の話に戻る。

星野源の楽曲、マジで困ってしまう。

こんな曲を聴かされたら、沼の中にどんどん引きずり込まれるからだ。

星野源が日本の音楽シーンで圧倒的な存在感を放つようになってもう数年が経つ。

なのに、生み出す作品は色褪せることなく、濃度を増すばかり。

枯渇という言葉とも、マンネリという言葉とも無縁のままに、そのとんでもなさを拡張させるばかり。

つくづく末恐ろしい男だと思う。

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