6年ぶりにリリースされた「834.194」というニューアルバム

スポンサーリンク

サカナクションが6年ぶりのニューアルバム「834.194」をリリースした。

2枚組のこのアルバム。

既に各所で話題になっているとおり、実に良いアルバムである。

一曲一曲のクオリティーはとても高いし、音圧の部分やサウンドメイクも一般的なバンドよりもこだわりまくっているし、コンセプトアルバムとしても素晴らしい出来だなーと思う。

それが、このアルバムに対する率直な感想である。

というわけで「何がどう素晴らしいのか?」を掘り下げながら、このアルバムの考察をしたいなーと思う。

いきなりパンチを食らわす「忘れられないの」

聴いた人の半数以上は異論がないと思うんだけど、アルバムのトップを飾る「忘れられないの」がとにかく良い。

しかも、この「良い」は、今までのサカナクションの楽曲の「良い」と少し性質が違う。

サカナクション的なベタからは真っ向から対峙したサウンド。

AORサウンドを取り入れたこの歌。

メロディーは歌謡曲モードの山口一郎感があるんだけど、サウンド自体はこのバンドでは今まであまり試みなかったもので、メロディーとサウンドを絶妙なバランスで構築している。

だから、とにかく「良い」のだ。

リズムテンポや音圧のサウンドメイクも絶妙で、ぐおおおおおおーって感じのテンション的な盛り上がりとは別のベクトルで、曲に盛り上がることができる、そういう不思議な温度感がある。

まあ、ノスタルジーな匂いのするサウンドに、歌謡曲的な強さのあるメロディーを載せるというのは、今のサカナクションのお家芸なのかもしれないが、それを踏まえても、この歌にはサカナクション的な新境地感がある。(「多分、風。」も「新宝島」も「モス」も構造だけで言えば、そうなのである。もちろん、曲ごとに借りてきているノスタルジーなサウンドの種類は違うけども)

結果、そのサウンドをこういうふうに取り入れて自分のものにするか、という気持ち良さがあるわけだ。

MVもそういう作りを踏襲しており、懐かしいものを現代風にアップデートさせ、かつ、そのアップデートのレベルを研ぎ澄ませ、ある種アートなレベルにまで拵える手腕は、流石の一言。

ほんと、山口一郎のソングライティングが、どこまでも光った一曲である。

ちなみにDISC1では、新曲としては「マッチとピーナッツ」「モス」「セプテンバー」が収録されている。(「セプテンバー」は厳密に言えば、サカナクションの前身バンドであるダッチマン時代の作品だが)

で、基本的にどの歌がシングルになってもおかしくなさそうなキャッチーさと、サビの訴求力を持っている。(少なくとも、僕はそう感じる)

ところで、今回のアルバムは2枚組であり、2枚の中でも違ったコンセプトで構成されている。

サカナクションは北海道で生まれたバンドなんだけど、DISC1では東京のサカナクション=作為性を持って曲を作る自分たちというテーマがある。

DISC2では札幌のサカナクション=作為性のなかった頃の自分たち、というテーマがある。

そして、この図式をベースにしながら、それぞれの楽曲を配置している。

アルバムのタイトルとなっている「834.194」もそのテーマがベースにあり、タイトルの数字は、彼らの地元である北海道と東京の距離を示した数字に「も」なっている。(「も」と表現したのは、このタイトルには複数の意味が込められているからだ。それについては後述する)

スポンサーリンク

DISK2の話

個人的にグッときたのは、DISC2の「グッドバイ」始まりである。

この曲をリリースしたサカナクションは死ぬほど病んでいた。

サカナクションとしてはセールス的な成功を収めていて、その気になればどんどんバンドを大きくなれたタームだった。

んだけど、その流れにストップをかけて、ある種ドロップアウトの意志を表明したのが、この曲のリリースだった。

探してた答えはない

此処には多分ないな

だけど僕は敢えて歌うんだ

わかるだろう?

グッドバイ 世界から知ることもできない
不確かな未来へ舵を切る

1番のサビ途中までのセンテンスだが、ここだけでも、当時のサカナクションの想いが全て込められていると言っても過言ではない。

ワンマンライブは即完、出演するフェスでは軒並みトリを任され、リリースしたアルバムは20万枚以上のセールスを達成、紅白歌合戦にも出場して、これからはどんどんファンを増やしていき、より日本の大衆音楽を引き受けていく、という流れの渦中にあったサカナクションのドロップアウト宣言だった。

表舞台には『探してた答えがない』と言って捨て、「グッドバイ」を宣言して『不確かな未来に舵を切る』のだ。

以降、DISC2には「新宝島」をリリースするまでの病んでいたサカナクションのシングル曲が全て収録されている。(ちなみに、DISC2に収録されているシングルは全て、昨年リリースされたベストアルバムの「魚図鑑」に収録されていない)

東京=表舞台からグッドバイしたサカナクションのモードを反映した歌が、連続して収録されているのだ。

『ここは東京』と歌う「ユリイカ」がDISC2に入ってるのは、この歌が心の奥底で北海道のことに想いを馳せているからだ。

「ナイロンの糸」も「茶柱」も、「ユリイカ」と本質としては同じで、過去のこと=北海道時代の自分たちに想いを馳せた歌になっている。

この心模様が意味するのは、東京で不感症になっていく自分たちの中にわずかに残る、感情的な想いなのであろう。

センチメンタルなノスタルジーである。

その気持ちを音で表現するかのように、緩いテンポ感でミニマムな音(「茶柱」はキーボードだけしか楽器の音が鳴ってない)」でサウンドを構築する。

しかし、アルバムの流れは途中で変わる。

「ワンダーランド」で、その流れが断ち切るのだ。

海の奥深くに潜るように、センチメンタルなノスタルジー浸っていた自分たちは、この歌をきっかけにして、決別するように感じるのだ。

それを示すかのごとく、「ワンダーランド」では楽曲のムードも少し明るくなるし、音数も増えていく。

なにより、『悲しい声で泣いてみたんだ 夢から覚めた 蜃気楼』というセンテンスが、そのことを示しているように感じる。

蜃気楼というのは、北海道に対するノスタルジーのように思えるのだ。

そして、今いる「東京」を、ワンダーランドと定義し直し、東京を受け入れ直そうとしているように思えるのだ。

だから、この歌はサカナクションお得意のバンドメンバー全員で行う合唱パートが大サビに配置されていてムードを盛り上げていくし、次のバトンが受け渡される曲は同じく合唱の大サビがあって『ずっと深い霧の 霧の向こうへ行く』ことを決心する「さよならはエモーション」なのだ。

合唱パートである「ヨルヲヌケ アスヲシル ヒカリヲヒカリヲヌケ」だけは、カタカナになっているこの歌。

このフレーズを合唱で歌ってみせるのも、北海道を想う感傷的な気持ちは捨てて、東京に目を向けて、ある意味また不感症になって進む決意を示すためなのではないか?

そんなことを思うのだ。

だから、次の歌はアルバムタイトルになっている「834.194」なのである。

冒頭、このアルバムタイトルの数字の意味は、東京と北海道の距離であると指摘した。

が、この数字の意味は、それだけではない。

この数字の読み方は「やみよいくよ (闇夜行くよ)」なのである。

そうなのだ。

「ワンダーランド」で北海道の景色を蜃気楼と言い切ってみせ、「さよならはエモーション」で進むことを決心した「闇夜」をここではっきりと意識させるのだ。

サカナクションが進む先が「闇夜」であることを、ここではっきりと告発してしまうのである。

「834.194」のインストで表現されているのは、サカナクションがここから向かうことになる「闇夜」なのだ。

その「闇夜」を言葉ではなく、音だけで表現したのは、まだ不確かな未来だからかもしれないし、文学的嗅覚が強い一郎だからこその表現だったのかもしれない。

ただ、「闇夜」自体は不明瞭だとしても、闇夜の未来の先にあるものだけは決まっている。

それは、人生の終わりである。(誰にだって人生の終わりはあるわけだ)

だからこそ、このアルバムのラストを飾るのは『僕たちは いつか墓となり 土に戻るだろう』というフレーズが印象的な「セプテンバー」なのである。

ここで言いたいのは、このアルバムは単に6年間を総括しただけではなく、次なるその未来すらも予感させる構成をしているということなのである。

DISK1の話

さて、DISK2でノスタルジーを捨てたサカナクションは再び、東京モード(DISK1の冒頭)に戻る。

なぜなら、闇夜=東京に進むことを決めたからだ。

だから、アルバムの頭は『新しい街の この淋しさ』について歌う「忘れられないの」から始まるのである。

しかも、「忘れられないの」のサウンドは、ノスタルジーと現代感をミックスさせたものだ。

これは、北海道のモードを引き連れつつも、闇夜を進むことを決心したサカナクションのモードを反映した曲であるとも言えるわけだ。

そして、どんどん不感症になっていくサマを「マッチとピーナッツ」や、東京という街で作為的に順応していくシングル曲(「陽炎」や「多分、風。」)で表現していく。

「マッチとピーナッツ」の歌詞に出てくる「心がこぼれた」も、ここまで踏まえて考えてみると、随分と意味が通りやすくなるのではないだろうか?

やがて、東京に順応していくサカナクションは「新宝島」で『このまま君を連れて行くよ』と歌ってみせる。

そのサカナクションが連れ出す世界は「マイノリティー」な「ダンスミュージック」なのだ。(「モス」「「聴きたかったダンスミュージック、リキッドルームに」と続くのは、連れ出す世界を示したいからだ)

だからこそ、郷愁がテーマだったはずの「ユリイカ」も、北海道時代に作った郷愁そのものであるはずの「セプテンバー」も、マイノリティーなダンスナンバーのサウンドに塗り替えられて、DISK1が終わるのである。

やがて、東京という闇夜に心が潰されたサカナクションは、北海道に想いを馳せて、「グッドバイ」の項に戻る……というところまで踏まえていくと、このアルバムは円環の構造で構成されている。

そうなのだ。

このアルバムには、無限ループ性があるのだ。

楽曲に中毒性があってループに陥るという意味とは別に、このアルバムが持つコンセプト性には、ループ的な物語構造がある。

僕はそのように解釈しており、そのループの根源にあるのがアルバムタイトルにある「闇夜行くよ」なのである。

まとめ

6年という長い歳月の楽曲で構成されていながら、ここまでコンセプト的にアルバムが構築されていることに素直に脱帽するし、このアルバムは間違いなく6年のサカナクションの自伝のような作品だと思う。

とはいえ、このアルバムはそもそも純粋に一曲一曲が素晴らしいから、このような解釈は蛇足なのかもしれないし、そもそもこの解釈は検討違いなのかもしれない。

それならそれで、それもまあいいさ。

けれど、ただひとつ、間違いなく言えることがひとつ、ある。

それは、このアルバムは素晴らしいという事実だ。

その理由を散々語ってきたつもりだが、もっと単純に言ってみせれば、こう言えると思う。

このアルバムは、色んな味わいができるから、と。

このアルバムが持つ「サカナクションの6年の物語」に想いを馳せるのもひとつの楽しみのひとつだし、好きな曲を浴びるように聴くのもまた一興だろう。

ただ願わくば、この記事が、このアルバムをより楽しむためのひとつのきっかけになれたら、幸いだなーと思う。

関連記事:サカナクションの人気が不動の理由とは?魚図鑑から考える山口一郎の制作スタイルについて!

スポンサーリンク

LINEで送る
Pocket