ぶっちゃけてしまおう。

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やりたいやつはやったらいいし、やりたくないやつはやらなかったらいい。

それでいいと思うのだ。個人的には。

別にアンコールでスマホライトが点けようが、点けながろうが、個人的にはどうでもいいし、少なくとも、僕はそこにストレスを感じることはない。

まあ、アンコールでスマホライトを点ける人の気持ちも、アンコールでスマホライトを点けることを忌避する人の気持ちも、理解はできる。

己の哲学の話をするならば、人の数だけ答えのあることだと思う。

本当の意味で、こういうことに正解はないと思うのだ。

価値観の違い以上の言葉が僕には見当たらない。

それに、どっち側のついても、それなりに説得力をもった言葉をもってして、スマホライトの是非に対する論理を振りかざすこともできると思う。

ただ、公式がアンコールでのスマホライトはオッケーだと意見を述べたとなると、様相が少し変わる。

というのも、オッケーを出すということは、そこに明確なメッセージがあると僕には思えるから。

なぜ公式は暗黙の了解を破って、わざわざオッケーという意見を表明したのか、ということはもう少し深く考えてみるべきだと思うのだ。

果たして時代に流されたから、公式はオッケーの意見を表明したのだろうか?

単に、新参に媚を売るために、こういう処置をしたのだろうか?

古参のことなんてどうでもいいと思ったから、こういう結論に至ったのだろうか?

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いやね、本音の本音の部分ではわからないよ?

けれどさ、きっと運営側だって色々と考え、話しあったと思うのだ。結論を表明するまでの間に。

その結果として、こういう答えを出したわけだ。

そこには、お客さん以上に明確な哲学が反映されているように思うのだ。

では、運営やアーティストサイドが一番望むことって何だろうか?

それは、きっと一つだと思う。

会場に来た人全員が笑顔になれるような空間を作りたい。

ぶっちゃけ、これだけだと思うのだ。

だから、ルールを適用することで根本的に悲しむ人が出てきてしまう図が見えるなら、公式からオッケーを出すことはしなかっただろう。

色々なシュミレートを重ねた結果、最終的に「全員が笑顔になれる空間」を作る上で、アンコールにおけるスマホライトの点灯はオッケーにするべき、という結論に至ったから、公式はオッケーを表明したと思うのだ。

だから、アンコールのスマホライトはオッケーですよ、ということ以上のメッセージがそこにはあるように思うのだ。

言ってしまえば、公式としての見解はこれだから、みんなこれからは仲良くしてほしい。

願わくば、あまりライブや作品の本質じゃないところで、ファン同士が諍いを起こしたり、ケンカをするのは、見ていて悲しい気持ちになるから、やめてほしい。

ルールという傘で言い争いになるならば、泥はこちら側で塗るから、ルールはこうときちんと線引きをするから、どうかみんなライブを全力で楽しんでほしい。

ライブに来たことで、素直に笑顔になってほしい。

そんなメッセージが込められているように思うのだ。

公式の拙くも儚い願いが、そこに込められているように思うのだ。

それでもなお、公式が出した意見に対して「苦言を呈す」のは、このようなメッセージに対して、そういう態度を示してしまう、ということになるのかなーと個人的には思ってしまう。

もちろん人の数だけ価値観があるし、本質的に正解があることだと思わない。

だから、やっぱりアンコールでのスマホライトは嫌!という意見があっても良いと思うし、そう思うこと自体が悪いことだとは思わない。

けれど、それでもなお公式のメッセージに対して苦言を呈すのは、単純に悲しいことだよなーとは思う。

きっと、アーティストサイドだって悲しい気持ちになるんじゃないかなーと思うのだ。

これはライブマナーという正義の話をしているんじゃない。

公式側が出したメッセージに対してどう応えるのか?そういう話だと、僕は受け取っている。

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