夏フェスの多くが無事に開催されたことについて

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9月もまもなく終わろうとしている。

今年は台風などの事例をのぞけば、数年ぶりにおおむねのフェスが開始された年になった。

その分、フェスにおけるルールについて、あれこれ議論が交わされるケースもあった。

あるいは、新しい世代がフェスに参加することになって、違った文脈でルールの再考をするというケースもあった。

ただ、こうやってフェスが開催され、フェスに足を運んだ人の多くが、ライブの素晴らしさだったり、生で音楽を聴く喜びを実感したのではないか、と勝手なことを思うのである。

自分は、毎年なんやんかんやでライブを観る機会はあったが、今年はどのライブもそれまでの年よりも柔らかさと活気が生まれているように感じて、ライブに血が通っているように感じたのだった。

ぶっちゃけて言えば、コロナ前まではライブだったり、フェスって飽和だったように思う。

どんどん数が増えていくので、こんなに増えてどうするんだよ・・・というケースも出てきたりした。

しかし、一度それがリセットになり、それまで当たり前だったものが当たり前じゃなくなることを目の当たりにした。

また、それでもとても大切にしていたものがなくなってしまうかもしれないという恐怖と、それがいつかは改善されるはずという希望が少しずつすり減ってしまうようなフェーズも続いていたように思う。

そうした中で今年のライブやフェスのまわりの状況は、その恐怖が少し解けていき、希望に少しずつ色がついていった、そんな年だったように思うのだ。

もちろん、まだ余談が許さない状況も続いている。

そもそも、まだまだま自分は状況的にライブやフェスにはいけないという人もたくさんいると思う。

でも、今年はそういう人たちがいつか行けるようになるまで、この文化は継続できていけるはず・・・という未来を描くうえで、とても大きな一年だったように思うのだ。

当たり前だったものが、当たり前じゃなくなる状況に直面したのち、今まで当たり前だったものを少しずつ当たり前のものに戻していった一年だったように思うのだ。

そしてその当たり前のかけがさのなさに触れる喜びを感じた一年だったように思う。

どんな当たり前のことでも、失ったときにその尊さに気づくことになる。

ものによってはその当たり前を取り戻すことができないケースもある。

しかし、ライブやフェスにおいては少しずつ修繕しながら、次のつながるための夏フェスシーズンになったのではないか、そんなことを思うのである。

だからこそ、それまでは話題にすら上がることができなかったルールやマナーの話が、SNSを中心に話題になることも増えたわけで、それはひとつ前進した証であるようにも思うのだ。

少しずつ肌寒くなってきた9月の終わりに、改めてそんなことを感じるのである。

そして、今年はいわゆる冬フェスも、自分たちが定めたルールに従いながら、無事に開催できたらいいなと、切に願っているのである。

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