前説

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2020年はいくつかビックニュースがあった。

その中でも、バンド界隈に激震を走らせたのが東京事変の復活だったと思う。

圧倒的な演奏力で魅了するこのバンドの活動を待ち望んでいたファンもたくさnいたと思うが、今年満を持して復活を遂げたのである。

ツアーに関しては、コロナによって水をさされた部分が大いにあるが、生み出す作品はやっぱり圧倒的であることを痛感させる。

この記事では、改めて東京事変って良いよなーということを書いていきたい。

本編

永遠の不在証明について

人気アニメである名探偵コナンの劇場版の主題歌であるこの歌。

コナンの主題歌といえば、B’zや倉木麻衣が印象的だけど、ここにきて東京事変というまさかの抜擢。

確かに鮮血のイメージがある両者。

足蹴りで何かを破壊するイメージといえば、椎名林檎と毛利蘭を思い出す人も多い気がする。

そういう意味で、まったく似ていないこともないんだけれど、そもそも東京事変が国民的アニメの主題歌というのはあまりイメージがない。

だって東京事変ひいては椎名林檎って、楽曲に使用する単語が難解である。

アニメのメイン層である義務教育の子どもたちはもちろん、大人でもまったく耳にしない熟語を平気で歌に取り入れる椎名林檎が、アニメ主題歌を歌うことがどうにも想像つかなかったわけだ。

かなり年齢層高めなコアな作品ならともかく、年々大人向けになっているとはいえ、一応は小学生が対象の漫画雑誌で連載しているアニメの劇場版主題歌なのだから、なおのこと、どうなるんだろうと気になる部分が大きかった。

まあ、蓋を開けたら、案の定、コナンの映画主題歌史上、もっとも官能的でしっとりとした仕上がりとなっていたわけだけどね。

でも、この感じがいかにも東京事変って感じで、ゾクゾクする。

マジで「アニソン」ってこうあるべきみたいな基本法則をまったく踏襲していない仕上がりに、痺れてしまうわけだ。

椎名林檎ならではの個性的なワードチョイス、ジャズっぽいテイストとロックバンドとしての肌触りを同時にぶち込み、それを研ぎ澄ませていくような攻撃的なサウンド。

今作のコナンの映画がどんな物語かはまったく把握していないけれど、楽曲の仕上がりがあまりにも「東京事変」な感触になって、思わずニヤリとしてしまうのである。

コナンのイメージってこういう歌だから、そういうノリに寄せていきましょうねという妥協は一切なく、東京事変としての美学がそこに刻み込んでいる感じ。

個人的に圧巻だなーと思ったのは、最後のサビが終わってからのアウトロ。

いくらでもアドリブ展開ができそうな広がりのあるキーボードとギターのソロパートが素晴らしく、この部分だけでもご飯のおかわりが何回もできちゃう感じ。

アニソンでは、ほとんど聴くことがないような楽器パートが複雑な展開を繰り出すパートに、ゾクゾクさせられるのである。

ほんと、こういうアウトロ部分で聴かせてしまうのだから、東京事変は凄い。

全バンドメンバーの芸術げ飛び抜けているからこそ、できる魅せ方だなーと改めて感じる。

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赤の同盟について

東京事変のボーカルは椎名林檎である。

椎名林檎って数々の名曲を生み出していることからもわかるとおり、ボーカルだけで世界観を確立させてしまうアーティストである。

逆に言えば、ボーカルだけですでに完成してしまっているから(ソングライティングのセンスも含めての話ではあるが)、別にバンドサウンドで世界観を再構築することが不要だったりする。

むしろ、椎名林檎の作る歌って、歌詞においてもメロディーにおいても、クレジットを明かさずとも「椎名林檎の歌」であることがわかるほどに個性的なわけで、下手をすればバンドサウンドがその個性の足を引っ張る恐れだってあるわけだ。

生半可なバンドの演奏だと、邪魔にしかならないわけである。

東京事変が凄いのは、そんな超人的な椎名林檎の足をバンドメンバーがまったく引っ張っていないこと。

むしろ、椎名林檎の持っている良さをさらに引っ張り出しているのだ。

孤高なカリスマ性だったり、ロックシンガーとしての一面だったり、艷やかな洗練さだったり、官能的な世界構築だったり。

そういう椎名林檎の持ち味を、バンドサウンドがより輝ける形に再構築しているのである。

1+1が3にも4にもなっている、とでも言えばいいだろうか。

2020年に発表された作品でも、その凄さは一切衰えていない。

なんなら磨きをかけている印象すらある。

「赤の同盟」においても、ジャジーな進行と、ロックバンド的なヒリヒリさを備えており、クールかつ情熱的な作品になっている。

椎名林檎のボーカルパートが素晴らしいのは言うまでもないことなのだが、突如楽曲の雰囲気を変える間奏パートでぐっと引き込むのが東京事変の凄さだと改めて感じる。

東京事変が休んでいた8年間に、色んな腕の立つバンドが現れた。

ポスト東京事変の名前を欲しいままにしているバンドだって、複数登場した。

だが、そういったバンドの凄さと、東京事変の凄さとでは、まったく次元が違うことが証明された。

どっちがいいとかそういう話ではなくて、東京事変の生み出す楽曲やバンドアンサンブルがあまりにも突き抜けていることを痛感させられたのだ。

東京事変って、そもそも比べる対象ではない。

だって、全パートが小細工抜きに「音の表現者」として個性的で、かつ全ての音が丁寧に混ざり合っているから。

個性的なはずの椎名林檎の個性ですら、個性のひとつの要素に落とし込んでしまうような凄いバンドが、他のバンドの個性と比較して曇るわけないわけで。

スポーツというくくりで同じだからといって、サッカーと野球を比較しても意味がないように、バンドというくくりが同じだからといって、東京事変と他のバンドを比べても意味がないのだ。

なぜなら、東京事変はあまりにもバンドとして、代替不可能なものとして確立しまっているから。

○○系なんて言葉では表現できないくらい、様々な方向で個性が炸裂してしまっているバンドだから。

「赤の同盟」一曲だけでも、そのことを強く感じるのである。

まとめ

もうまとめなんていらないレベルだけど、やっぱり東京事変は凄かった。

この一言に尽きるのではないかと思う。

つくづく、今年東京事変が復活をしてくれてよかったと、切にそのことを感じるのである。

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