変態的サウンドに魅了されがちな須田景凪の話

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ボカロ出自に持ちながら、今はボカロ以外の活動を精力的に行っているアーティストって、多い。

もっとも有名なところでいえば、米津玄師の名前をあげることができるだろう。

一時期は米津玄師の名前が強すぎて、ハチと米津玄師を<別物>として考えてしまっている人もいたが、逆に今は落ち着いてきてハチと米津玄師の距離感は一時よりも近くなっている印象。

ボカロ出自のアーティストの躍進は他にも散見される。

最近だとYOASOBIのAyaseやAdoに提供した「うっせぇわ」が大きな話題となったsyudouなどが有名だ。

この二組はボカロの文脈を超えて、老若男女に名前が轟いている印象だ。(片方の活動しか知らない人もいるかもだが)

さて。

今回取り上げようと思っている須田景凪もまた、ボカロを出自に持つアーティストである。

須田景凪は、バルーンという名義で活動しているボカロPであり、最近もバルーンとして楽曲を投稿したり、バルーン名義で投稿した楽曲を須田景凪として歌い直すケースもある。

ボカロPとしての活動と、それ以外の活動は明確に重ならないようにしているアーティストもいる一方で、須田景凪とバルーンは比較的近しい距離で活動している印象を受ける。

いや、厳密にはそれぞれのアウトプットにおけるこだわりは別々であると思うんだけど、完全に<別物>にはしていないというか。

きちんと並べるべきところで並べたうえで、それぞれの異なりを自覚しながらアウトプットしているからこそ、須田景凪の生み出す音楽の無二性が光っている。

勝手ながらに、そんなことを思っていたりする自分。

須田景凪のサウンドの面白さ

須田景凪の音楽って、ざっくり言うと、サウンドにこだわっているものが多い。

自身で編曲も行えるし、ボカロPとして独学で自分のこだわりをサウンドに投影してきたアーティストだからこその、独特の面白さが常に宿っている。

シャルルの楽曲を聴き、須田景凪の楽曲に触れると、よりそのことを感じる。

確かに枠組みとしてはバンドサウンド + シンセという構造になっているケースが多い。

んだけど、仮に構造自体は<鉄板>だとしても、その鳴り方が普通じゃないことが多いというか。

たとえば、異常な趣向性をもった音圧になっていたり、ふいに飛び道具的なサウンドがぶちこまれたりと、良い意味で安パイの方程式をぶっ壊している感じがするのだ。

一般的な美学はわきにおいたうえで、感覚重視で「良い」と思ったアウトプットを貫いて行っている感じがして、それにぐっとくるのだ。

また、メジャーデビュー後の須田景凪の楽曲においても、それを感じる。

確かに洗練される部分は洗練されているけども、音圧へのこだわりが強くて独、特の聴き心地になっている歌をいくつもみてとれる。

「Vanilla」はそんな楽曲のひとつだと思う。

ローへのあくなきこだわりを持ち、他のアーティストにはないこだわりをサウンドに投影する。

楽曲によっては、打ち込みのサウンドなのに、ビートの揺らぎをつくって、あえて人力っぽいサウンドにしていることもあったりして、その果てしないこだわりにゾクゾクさせられる。

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フレデリックとのコラボでも感じた個性

また、フレデリックとタッグを組んだ「ANSWER」でも、おお・・・!と感じさせる場面がいくつもあった。

この歌って、わりとフレデリック的なイズムを強く感じさせる歌である。

フレデリックは容赦なくフレデリックらしさを炸裂させるアレンジになっている、とでも言えばいいだろうか。

なんだけど、シンセの装いをはじめ音像のひとつひとつに明確に須田景凪の色合いも感じさせてくるのだ。

サウンドに個性が宿りまくっているフレデリックとのコラボでありながら、いや、サウンドに個性が際立ちまくりなフレデリックだからこそ、須田景凪も圧倒的な個性も爆発させることになり、この二組だからこそのバランス感でサウンドが成立している、そんな心地を覚えるのだ。

何が言いたいかというと、須田景凪は常に音にこだわっているからこそ、コラボしてもサウンドの色合いに<らしさ>が滲み出ているよなーという話。

良い意味でライブの再現度なんて無視して、自分の美学を優先している感じに惚れ惚れしてしまう。

「猫被り」も最初はシンプルなサウンドで始まるので、「あ、この歌はシンプルな歌なんだ」と思って聴き進めていると、どんどん個性のカタマリのようなサウンドに触れることになるし、ね。

そこでそんな音を挟むのか・・・!!!!って自由さが常にあって、音ひとつひとつを聴くだけでもワクワクしちゃうアレンジが広がっていることを実感する。

まとめ

一曲を丁寧に聞き込めば聴き込むほど、サウンドひとつひとつへの飽くなきこだわりを知ることになる須田景凪の音楽。

マジで、須田景凪の楽曲は沼って聴くとヤバイことになる変態性が宿っているよなあと思うのである。

ボカロと肉声の楽曲の違いも自覚的な須田景凪だからこそ、とも言えそうだし、だからこそ、色んなボカロ出自のアーティストがいる中でも無二性の存在感を放っているのだと思う。

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