今注目しているBialystocksについて

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2022年になって、自分的に新しいムーブがやってきつつある。

端的に言えば、洗練されたサウンドメイクと心地よいグルーヴが印象的なバンドにハマっている。

例えば、Penthouseや新東京やtonunなど・・・名前を挙げたらたくさんバンドが出てくる現状。

そんな中、この記事ではその中でも特に気になっている、Bialystocksというバンドを取り上げてみたい。

なぜ、Bialystocksが気になっているのかといえば、理由はいくつかある。

例えば、自分はOfficial髭男dismやOmoinotakeのようなバンドが好きなんだけど、これらのバンドの魅力を平たくいえば、先鋭さと普遍さが音楽性に宿っている、ということが挙げられる。

少なくとも自分はそう思っているんだけど、Bialystocksもまた、そういう音楽性を宿したバンドだと感じていて、ぐっときているのだ。

<個性的>とか<尖鋭的>という枠組みで捉えることができる音楽性を持ちつつも、<ポップネス>かつ<聴きやすい>印象も合わせ持つバンドなのである。

ファーストepである​​『Tide Pool』が2022年1月にリリースされたところで、それを聴くたびにそんなことを感じてしまうのである。

そこでこの記事では​​『Tide Pool』を通しながら、Bialystocksの魅力について、勝手に語ってみたいと思う。

本編

成熟した音楽性

先ほどの項目でBialystocksの音楽は<先鋭>と<普遍>の両方を感じると書いた。

つまりは、それだけサウンドが練られていて、テクニカルなこともプレイするんだけど、技術だけに走らない編集力も持っている=音楽性が成熟しているという図式。

Bialystocksをみてみるとバンドのメンバーは二人。

ボーカル/ギターの甫木元空と、キーボードの菊池剛という構成。

バンドとしてはミニマムな構成なんだけど、それ故楽曲ごとに的確かつ柔軟なアンサンブルを披露している。

当然ながら、バンドメンバーの数が増えれば増えるほどジャンルとしては固定されがちなんだけど、Bialystocksにおいてはそこから抜け出すことで柔軟なアプローチをしている印象。

『Tide Pool』の一曲目は「Over Now」という楽曲なんだけど、この楽曲だけが前述した音楽要素をビシバシを感じることになる。

キーボードとしっとりしたギターの音色を軸としながら、淡々とビートを重ねていく感じに聴き惚れてしまうのだ。

きっともっとド派手かつアグレッシブなプレイもできる中、あえて軸となるアプローチは穏やかにしている感じ通い。

だからこそ、メロディーの部分が際立つし、歌が持っているグルーヴの透明性が印象に残るし、間奏でぐっと演奏に熱を入れるギャップにもぐっと惹き込まれることになる。

グルーヴの話でいえば、菊池剛がジャズプレイヤーとして実績を積んでいることが多い印象。

だからこそ、楽曲の中で紡ぐリズムが間違いなくて、常に楽曲の中に色気が内在することになる。

この辺りもまた、成熟した音楽性が為せる技といえよう。

ハイトーンなボーカル

洒脱なサウンドが印象的なBialystocks。

ただ、そのサウンドが映えるのは、甫木元空のボーカルがあるからこそでもある。

バンドの楽曲を<世界観>として捉えるとき、その<世界観>が明確になるのは、ボーカルとサウンドのバランス感にあると思う。

Bialystocksの場合、ここが絶妙なのだ。

このサウンドに対して、こういう声だったらいいな・・・がズバリ織りなされているというか。

「All Too Soon」はそんなBialystocksらしさの真骨頂的な一曲ではないだろうか。

心地よいグルーヴを紡ぐサウンドが印象的に鳴り響くわけだけど、その上で甫木元のボーカルが鮮やかに炸裂する。

ソウルフルなんだけど、透明感の歌声で魅了するのだ。

これにより、スタイリッシュさと立体感の両方が際立ち、Bialystocksの楽曲世界が明確な輪郭を帯びていく。

映画監督だからこその眼差し

Bialystocksって音楽性が際立ったバンドである。

前述の項目でも、そのことについて触れてみた。

・・・ということもあって、Bialystocksって音楽部分が先行的に注目されると思うんだけど、一方で歌詞の部分も注目ポイントだよなーと思っていて。

こういうジャンルを志向するバンドって、言葉を<音>として捉えていて、メロディーを優先した言葉のはめ込み方をするバンドも多いと思うのだ。

でも、Bialystocksって日本語歌詞であることを大事にしていて、言葉が持つ美しさも大事にしている印象を受けるのだ。

これは甫木元空が映像監督しても活躍していることが起因しているのかなあと勝手に思っている。

例えば、「フーテン」は全編日本語歌詞のミディアムなナンバーである。

この歌は、女性が主人公で、あなたに男性がいて、その関係性が歌のひとつのテーマになっている。

揺らぎのある景色の中、微妙な関係性を描いていくわけだが、最後の「あなたは夢の中」というセンテンスによって、この歌の揺らぎの原因がなんとなくわかるような仕様になっている。

映像作品って何かをはっきりと言葉にするというよりも、映像に映っているモノや構図で想像を喚起させながら、ひとつのショットで強烈なメッセージを解き放つ・・・ということがあると思うんだけど、「フーテン」はそういう美学と似た何かを感じるのだ。

映像監督として活躍している甫木元の言葉だからこそ、言葉の余白だったりワンセンテンスが持つ侘び寂びで、作品世界を豊かなものにしているように感じるのだ。

あるいは「光のあと」は、波打ち際でのやり取りを丁寧に描写することで、映画のワンシーンのような響きを歌に内在させている。

いずれの歌も歌詞の<視点>が明確で、どこかしらカメラが映像作品を撮るかのような心地で、それこそ歌詞においても映像監督的な視座で構築しているかのような響きを覚え、それが歌の魅力のひとつになっているように思うのである。

まとめ

といった感じでBialystocksって魅力に満ちたバンドで、今注目しているんだよね、というのがこの記事の総意となる。

あえて名前を挙げてみるが、初期のOfficial髭男dismやOmoinotakeのような音楽性に惹かれるリスナーはきっと気に入るんじゃないかと思っている。

聴いたことがなければ、この記事で聴いてみてほしいなーと思う限り。

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