前説

スポンサーリンク

自分はいわゆる「ヴィジュアル系」でくくられるバンドはあんまり聴いてこなかったクチなんだけど、GLAYだけはとにかくよく聴いていた。

まあ、あれだけのセールスを打ち立てているんだから、当然といえば当然かもしれないし、90年代の音楽を嗜んでいる人なら、ほとんどの人がGLAYの曲を聴いてきていた気がする。

まあ、この記事では、そんなGLAYの良さについて語ってみたいなーと思う。

本編

曲がキャッチー

GLAYの曲が良い理由を端的に言えば、メロディーがキャッチーだからだと思っている。

TAKUROが生み出すメロディーの安心感はすごい。

90年代に確立した王道的ポップスに、先人のロックバンドの文脈も抑えた上で成り立つバンドサウンド。

このバランス感覚がどこまでも優れていたからこそ、GLAYの音楽はヴィジュアル系を通っていない人たちにも刺さったのだろうし、20年ほどの月日が経っても今なお愛されているのだと思う。

だって、往年の名曲がYouTubeにアップされたのはリリースされてから10年以上経ってからなのだ。

にも関わらず、代表曲は軒並み1000万再生を超えている。

これだけでも、GLAYの楽曲はそのときのブームに乗って売れたのではなく、今なお人々の記憶に宿っていることがよくわかる。

そんなGLAYは他のバンドにはない独特な歴史を辿ったバンドでもある。

まず、メジャーデビューはあのYOSHIKIプロデュースだった。

どちらかといえば、TERUのボーカルはBOØWY的なイズムを継承していたように感じるし、メンバーの演奏も当時V系にくくられていたそれとは少しテイストが違う気もする。

んだけど、メジャーとしての幕開けは、日本のヴィジュアル系を語るうえで一番重要になるバンド・X JAPANのYOSHIKIプロデュースなのだからおもしろい。

まあ、その後にすぐプロデューサーは変わり、BOØWYのプロデューサーも担当していた佐久間正英が担当することになるんだけども。

で、GLAYのプロデュースを担当したのが佐久間だったことは、とても大きかったのだろうなあと思うわけだ。

極端な話だけど、サザンやミスチルのプロデューサーを務めた小林武史だったり、安室奈美恵やTRFなどのプロヂューサーを務めた小室哲哉が担当したら、GLAYはGLAYにはなっていなかったと思う。(当たり前な話だが)

というのも、小林や小室は良くも悪くも「作家性」がにじみやすいアレンジをするのだ。

簡単に言えば、「あ、この人がアレンジをしたんだな」というのが、わりと見え透いてしまうというか。

けれど、佐久間の場合、多数のヒット曲を持つアーティストをプロデュースしているが、あまり佐久間色は見えてこない。

佐久間はバンドの意向を踏まえたうえで、どうアレンジするのかを考えるタイプだったし、このやり方がGLAYのスタイルとガッチリハマったからこそ、こういう佇まいのバンドとしては例に見ないセールスを叩き出したのだろうと思う。

というか、楽曲ごとに「然るべきアレンジ」をしている秘訣は、こういった佐久間の方針と、TAKUROをはじめとするGLAYの思惑がどこまでもガッチリはまっていたからだと思うわけだ。

メンバーの仲が良い

さて、GLAYの凄さって色々あるわけれど、一番注目すべきはミリオンセラーを連発し、野外のワンマンライブで一日に20万以上を動員したモンスターバンドでありながら、一度も活動休止せずに(なってないよね?)、ここまできたということだと思うのだ。

例えば、ラルクもミスチルもイエモンもサザンも、漏れなく活動休止のタームを経験している。

けれど、GLAYはあれだけのセールスをあげたにも関わらず、ずーっとコンスタントに活動しているのだ。

ここがすごいよなーと思うのだ。

もちろん、事務所の移動があったり、レコ大受賞のタイミングで解散話が出ていたり、JIROが脱退しようとしていたとしていたというエピソードもあるにはある。

当然ながら苦難だってたくさんあっただろうし、どれもこれも「メガヒットしたが故の」悩みだったはずだ。

けれど、そういうものを乗り越えてバンドを続けてきた。

そして、常にバンドを続けるという選択肢を取った理由の根底にあるのは、GLAYがGLAYを好きだったからというところに行き着いている。

これがすごいよなーと思うのだ。

というのも、GLAYはレコ大受賞のとき、本気で解散を考えていたらしく、メンバーで話し合って、そう決めていたらしい。

なぜ解散しようとしたのかについての理由は色々とあるんだろうけれど、自分たちの人気がすごすぎて、その期待を超えるためにどうすればいいのかわからなくなったうえでの決断だったように思うのである。

けれど、レコ大が終わった年始すぐに、メンバー全員でお酒を飲んでいるときに、ふと思ったらしい。

メンバー全員が仲良くて、みんなで一緒に音楽をやるのが好きなのに、なぜ辞めなければいけないんだろう、と。

そんなふうに、ふと我に返ったらしい。

周りの評判とかを気にしすぎた結果、レコ大を有終の美として解散を考えたらしいが、このメンバーで音楽をやりたいんだから辞めるなんて止めよう。

このまま続けようぜという結論になり、解散は撤回となったらしい。

こんなバンド、普通いるか?と思うのだ。

メンバー、仲良すぎでしょ、と思うわけだ。

JIROが脱退を考えていたのもバンドが売れすぎたゆえの悩みであり、自分のやりたい音楽との折り合いやアイドル的な見方をされることによる反発などから生まれたものだったらしい。

が、この時もJIROはメンバーが好きであることや、GLAYが大好きであることには変わりがなかったことを述べているし、TAKUROなんかは病んでいるJIROを常に労り、コミュニケーションをしっかり取りながら、どうすればいいのかを考えていたらしい。(また、仮にJIROが抜けることがあれば、GLAYを解散させるつもりでいたということも述べられている)

要は、だ。

このメンバー感の絆が素晴らしいよなーという話である。

単純に音楽が好きで、メンバーで音楽をやることが好きだからこそ、シンプルにバンドを続けてきたのだろうなーと思うのだ。

そして、そういうピュアさがベースにあるからこそ、GLAYはあれだけのブレイクを果たしたんだろうなーと思うわけだ。

少し逆説的かもしれないけれど、音楽に対してピュアだからこそ、売れることに対しても抵抗なくやってこれたのだろうし、常にメンバーが納得しながら活動してきたからこそ、活動休止になることなく、コンスタントに活動してきたんだろうなーと思うわけだ。

スポンサーリンク

GLAYってピュアなバンド

で、ここでいう“ピュア”って色んな意味があると思っていて。

例えば、音楽性。

ミスチルであれスピッツであれラルクであれ、90年代にミリオンセラーを複数枚出したバンドは、あるタイミングでダークな方向に進んだり、マイナーな方向に舵を切ったりしている。

メガヒットを連発したことによるプレッシャーとか、周りへの期待へのある種の反発とか理由は色々あるわけだけど、いずれにせよ「方向転換」がつきものである。

しかし、GLAYは比較的実直に自分たちに望まれている音楽をリリースし続けたような気がするのだ。

もちろん、アルバムごとのテーマは変わるし、JIROが脱退を考えていたときのツアーでは、意図的に脱アイドル的な路線から脱すべく、ツアーコンセプトをライブハウスバンドっぽいものにしていたなんて話もある。

けれど、少なくとも、TAKUROが作る音楽と、TAKUROが作る音楽に対するGLAY側のアプローチは、いつだって大衆的なものに対して、シンプルな回答をしていたような気がするのだ。

ヴィジュアル系と呼ばれるバンドの中で、生粋の安心感のある歌詞も、そういう要素のひとつだ。

老若男女に聞かせても問題がない、美しきラブソングを綴ることがほとんどだったのも、GLAYのピュア性がなせる技だと思う。

なにより、人気の絶頂期にリリースしたアルバムのタイトルが「pure soul」だったこと。

これも、GLAYのピュア性が為せる技だと思う。

なんせ、ミスチルが絶頂期にリリースしたアルバムが「深海」なことを考えると、GLAYのこのピュアさには頭が上がらないよなーなんて思うのである。

で。

GLaYはピュアだからこそ、自分たちのピークが過ぎたら過ぎたで、じゃあここからは自分たちのやりたい音楽をやってしまうぜ、みたいな「余裕」がある。

これもまた、GLAYの凄さである。

というか、本当の意味で、GLAYはメンバーで音楽を作るのが単純に楽しくて、メンバー全員でライブをするのがただただ好きなんだろうなーと思うのだ。

だからこそ、売れることにコミットすることにも抵抗がなかったし、ピークが過ぎたら過ぎたでマイペースに活動することもできるのだろうなーなんて思うのだ。

逆にいえば、もしメンバーが金のために音楽をやっていたとしたら、どこかのタイミングで絶対にバンドは活動休止していただろうし、ピークが過ぎるとバランスが崩れて解散していた可能性だって大いにある。

でも、GLAYは「メンバーで音楽をやる」ということに対して、いつの時代もピュアだった。

そしてその本質が、今のGLAYに現れているような気がするのだ。

まとめ

人によっては、GLAYって「まだいたの?」って感じのバンドになっていると思う。

けれど、GLAYは今でもコンスタントに活動している。

リリースも多いし、ライブもけっこうコンスタントにやっている。

今の「マイペースにやりたいことをやっている」感じこそが、ある意味でGLAYの本質のような気もするのだ。

最近の動向をみても、元々ロック志向が強かったJIROは、そういう色を色濃く反映した作品を作っているし、サブカル好きのHISASHIは、GLAYがそういう方面に進出する道を作り、ニコニコ超会議への出演も果たしたりしている。

そして、そうやってやりたいことをやっているGLAYがただただ楽しそうなのである。

おそらく音楽史的には、GLAYが再びあそこまでガッツリと脚光を浴びることはもうないように思うのだ。

けれど、その代わり、生涯現役という感じで、メンバーの誰かが欠けるまでは、コンスタントにバンドを続けていくような気がするのだ。

“ピュアソウル“なGLAYならではの生き様を、これからも末永く見せ続けていく。

そんな気がするのである。

スポンサーリンク

LINEで送る
Pocket