前説

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自分は本職が別になって、その傍らでしこしことブログを更新したり、メディアに寄稿したり、時にはイベントを開催したりとしている人間である。

なので、自分も多少は「傍ら」で何かをやる大変さみたいなものを知っているつもりではある。

けども。

いや、逆にいえば、その大変さを知っているからこそ、その凄さを身を以て感じてしまうバンドがいる。

ナードマグネットである。

ナードマグネットはメンバー全員が音楽以外で別に仕事をして活動しているバンドである。

しかも、単に「傍ら」で音楽活動をしているというレベルではなく、相当数のライブをこなし、質の高い音源をリリースして、精力的に活動しているのだから、その凄さが際立つというわけだ。

ただ、そのバックグランドなんかはどうでもよくて、自分は単純にナードマグネットの音楽が好きなのである。

なぜ、彼らの好きなのか。

この記事ではそのことを書いていきたい。

本編

洋楽のかっこよさをストレートに受け継いでいる感じ

洋楽と邦楽で分けることがナンセンスといえば、ナンセンスなのかもしれない。

とはいえ、少なくともバンドから派生するジャンルはほぼ全て海外から発したものであり、洋楽の参照の仕方がバンドのサウンドに大きな影響を与えることは確かなわけで。

そう考えた時、ナードマグネットは特定のジャンルにおいて、群を抜いて洋楽のかっこよさに受け継ぎ方が秀逸なのである。

Weezerをはじめとするパワー・ポップバンドが、ナードマグネットを語るうえで重要だったりするんだけど、とりあえず言いたいのは、サウンドのこの感じ、このかっこよさどうよ!ということである。

日本の今のバンドって、洋楽に影響を受けた日本のバンドに受けたバンドが多い、っていう印象なんだけど、ナードマグネットの場合、ダイレクトに洋楽から影響を受けていて、その洋楽のバンドのかっこよさや面白さをダイレクトに自分のサウンドに落とし込んでいる感じがして、それがとても良いのだ。

また、ナードマグネットがシーンにおいて存在感をもった当初、和製Weezerというコピーで取り上げられて、パワーポップバンドとしての文脈で語られることも多かったが、今ではポップ・パンクの要素も強くしている。

「バッド・レピュテイション」は特に、そんなナードのポップ・パンクの系譜の愛がサウンドにもMVにも詰まっている作品だ。

Sum 41とかBLINK-18とかNEW FOUND GLORYとか、様々な海外のポップ・パンクバンドのエッセンスを、ナードらしいアプローチで再構築した一曲という印象である。

それがたまらなく痛快で、かっこいいのだ。

まあ、ぐだぐだと色々と書いてみたが、端的に言いたいのは、この音の分厚さとゴリゴリに攻めてくる感じがたまらなくかっこいいということ。

ナードマグネットが持つ音のかっこよさって、なかなか他のバンドではお目にかかれない。

で、なぜナードのかっこよさはナードにしか出せないのかといえば、きっと自分たちが好きな音楽に対する目配せが、本当の「好き」で包まれているからだと思う。

バンドをやっている人は、目立つための方法論として音楽を採択したタイプと、音楽が好きで好きで仕方なくてそれがこぼれてしまった結果、バンドをやるに至ったバンドがいると思っているんだけど、ナードマグネットは(自分が音を聴いている感じ)圧倒的に後者な感じがして、そのリスナー感みたいなものがすごく良いのである。

いやまあ、この辺は勝手な見立てなんだけど。

バンドをやっている理由は、もっと別のところにあるのかもしれないんだけどね。

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カルチャーへの愛と奥深さ

ナードマグネットの作品って音楽面でも映像面でも必ず”元ネタ”が出てくる。

それがWeezerになることもあれば、他の海外バンドの名前が出てくることもあるんだけど、わかる人が聴けば「ニヤリ」とするオマージュを捧げていることが多いわけだ。

映像面においても映画が元ネタになっていることが多くて、「Mixtape」だったら映画「ウォールフラワー」が元ネタになっているらしい。

ここで言いたいのは、ナードマグネットの作品は様々なカルチャーへの愛で構築されているということ。

自分はクエンティン・タランティーノ監督の映画がめちゃくちゃに好きで、なぜタランティーノの作品が好きなのかといえば、要素のひとつとして自分が敬愛する作品のオマージュをまぶしまくって作品を構成しているからだったりする。

この絶対無比な「オタク」な感にドキドキさせられるんだけど、ナードマグネットの作品にも近いものを覚えるのだ。

カルチャーへの愛を自分たちの作品に吸収して、その対象に対する愛をわかる形で表現に落とし込む。

だからこそ、ナードマグネットの作品は面白いし、ワクワクさせられるのだ。

こう書くと、ナードマグネットってつまり洋楽のパクリのバンドなのかな?と思う人もいるかもしれない。

でも、それは全然違う。

そもそも、どんな音楽作品だって先人たちが生み出した作品の要素を借りてきて、(わかるようにするかはどうかは別にして)コラージュするように重ね合わせていき、その営みの中で自分たちらしい個性を生み出す。

ナードマグネットの音楽は、その部分で自分たちにしかできないこだわりを発揮している感じがするのだ。

だからこそ、元ネタがわかっても個性的になるし、むしろそれが作品を立体的にしていき、奥深さを生み出していく。

それこそがナードマグネットの凄さのひとつと言ってもいいのかもしれない。

ポップ・カルチャーへの目配せ

きちんとポップ・カルチャーに目配せをしている人ほど、そこで何が描かれているのか、そこで描かれているものがどう変わっているのか、ということを鋭敏に察知する。

ナードマグネットの持つカルチャーへの愛は、そこにも通じている感じがする。

「FREAKS & GEEKS」は同調圧力への反抗みたいなものがテーマになっている歌だ。

でも、この歌って単なる教室の隅っこでいる人間が「リア充」に対して反抗する、みたいなノリの歌とはちょっと違う。

本当の隅っこにいる人は、本当のマイノリティーはそもそも、教室にいることすら気づかれずに生きている。

この歌は、そういうレベルのマイノリティーに対して目配せしている感じがするし、この歌がそこまでの視点に潜っているのはきっとポップカルチャーへの愛と造形が深いからこそだ。

海外の映画をたくさん見ている人だったらきっとこの感覚がわかると思う(例えば、昔の映画と今の映画で黒人がどう描かれているのか、どういう役を担当するようになっているのかを着目するだけでもわかるし、それはスター・ウォーズやスパイダーマンみたいな映画でもはっきりと体感できるところである)

ポップカルチャーへの造形が深くて、そこで何が描かれているのかに敏感で、アンテナがビンビンなナードマグネットだからこそ、同調圧力への反抗というテーマでも描いていく解像度みたいなものが大きく変わっていく。

そういえば、ボーカルの須田が今年になってトレードマークだったメガネを外して、コンタクトレンズを付けるようになったというエッセイを呼んで、そこで単純にメガネをいじることへの違和感とかを言葉にしていたんだけど、きっとそれだって海外のポップ・カルチャーへの造形が深いナードだからこその眼差し感があるなーなんて思ったんだけど、まあそれは置いておこう。

ややこしい言葉を重ねていったけれど、ナードの音楽って美学がはっきりしている感じがして、自分はそれがすごく好きだという話である。

やりたいことがむき出しになっている音楽が面白くないわけないじゃん、というか。

なにより、ポップカルチャーは意図せずして社会の鏡となることが多いんだけど、ナードマグネットの作品もそういう強度をもっているよなーと思うのだ。

それは今年リリースされた「爆発しそう」でも同じことで。

きっとバンドの形が変わってもナードマグネットは面白い音楽を生み出していく。

そんな予感がビンビンにするのである。

まとめ

端的にいえば、他の日本のバンドではあまりも持っていない感性、造形、眼差し、問題意識を持っているバンドだからこそ、ナードの音楽にゾクゾクするということ。

シンプルに言ってしまうと、そういう話。

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