前説

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自分もそうだと思うけれど、今、菅田将暉にお熱になっている人間は多いと思う。

今お熱になったというより、その熱がより高温になったという言い方の方が正しいのかもしれない。

菅田将暉の凄さは、アーティスティックなところといかにも芸能人的なキラキラしたものを同居しているところにあると思う。

そして、全てのアウトプットが一般的な水準を大きく超えてくるところも凄い。

普通、演技の仕事をメインにしている人が片手間で歌なんかをやると、ちょっと微妙ということも多い。

あの新垣結衣ですら、正直歌の面では評価をされていないように思うし、少なくとも歌を生業としている俳優の人が超えてくる、ってことはほとんどないと思う。

星野源のように、役者としてもアーティストとしてもしのぎを削っている人はまったく別であるが、明らかに役者で貯金を作ってきた人によるアーティスト活動は、そこまで尖ったものにならないことが多いとは思うのだ。

が。

そんな常識を打ち破る人間がいる。

それが菅田将暉である。

この記事では、そんな菅田将暉に焦点を当てて書いてみたい。

本編

音楽への世界への入り込みがすごい

演技力がすば抜けている。

それが、菅田将暉の魅力のひとつである。

菅田将暉が出演している評判の高い作品をみれば、その演技力をたくさんを目撃することになると思う。

表情ひとつで、言葉では尽くせない複雑な感情を表現してみせる。

そういう凄さが、菅田将暉にはある・

要はこれって、深いレベルで役柄に入り込んでいるから成立する技だと思うんだけど、菅田将暉って、こういう複雑な所業を音楽面でも行っているように思う。

なんというか、人が書いた歌であっても自分のクリエイティブであるかのように、自分を溶け込ませてしまうのである。

そして、作品が持つ感情に憑依してしまい、それを表現に落とし込んでみせるのだ。

菅田将暉の歌が他のアーティストにはない奥行きを感じるのは、菅田将暉のアーティストとして表現力がずば抜けているからにほかならないし、「やらされている感じ」を一切消して表現に徹するからこそ、楽曲が持つ魅力を高いレベルで昇華させているのだと思う。

つくづく、菅田将暉だからこそ成立させることできる偉業だよなーと思う。

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圧倒的主人公感

先程の話とも通ずるんだけど、菅田将暉って基本的に華がある人間である。

そのため、他の人ではそこまで魅力的ではないような作品であっても、10倍増しで輝かせてしまうことが往々にしてある。

なんというか、他の人がやったら「ダサい」という烙印を落としかねない役柄であっても、そこを最大の見せ場にしてしまってかっこいいに落とし込んでしまうことがよくあるし、手垢がついた音楽ジャンルであっても、菅田将暉にしかない輝きを歌の中に見出してしまうこともよくある。

「日曜日の使者」であったり、「茜色の夕日」であったり名曲をカバーした実績もある菅田将暉。

これらの曲って名曲すぎるがゆえに、普通にカバーすると曲の魅力にのまれてしまうか、そもそ原曲の足元にも及ばない結果になりかねない楽曲である。

が、菅田将暉はそういう不穏なものを蹴散らすようなカバーを披露する。

これって、やっぱり菅田将暉が圧倒的な主人公感があるからこそ、成り立つんだろうなーと思ったりするのである。

ロック成分が強め

菅田将暉はルーツロックが好きなのだと思う。

ロックが好きなんだと思うんだけど、その中でも特に古き良きブルースのニオイを感じさせるロックが好きなのかなーという印象を受けるのである。

そういう、こういう音楽が好きなんだぜ感というのも、アウトプットからにじみ出ているのである。

片手間でアーティストをやっている感がないのは、こういう姿勢にも現れているのだと思う。

要は、根本的に音楽が好きであり、自分が表現している音楽が心の底から好きであるということ。

好きだからこそきっとその世界に入り込んだようなアウトプットが行えるのだろうし、「やらされている感」が出ることなんて当然なく、自分の表現を高いレベルに昇華させていくのだと思う。

そりゃあ、安易なんてスキなんて生まれるわけがないんだよなーと感嘆するばかりである。

まとめ

一言で表すなら、菅田将暉はチートだということ。

アーティストとしても、惹きつけられる魅力が盛りだくさんだもんなあ。

改めて、これからどんな作品を生み出すのか、楽しみで仕方がない。

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