RADWIMPSについて
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僕がRADWIMPSを知ったのは2008年、中学2年生のころだろうか。クラスのちょっとイケてて音楽に詳しい女子(ちょっと気になってた)にRADWIMPS(以下RAD)を教えてもらい、アルバムを借りた。RADの4枚目のアルバム「RADWIMPS 4 ~おかずのごはん~」である。
当時中学2年の僕からすれば衝撃だった。いわゆるJ-POPしか知らなかった自分からすれば、もはや拒絶反応を起こしかねない音楽であった。君と書いて「恋」と読んで僕と書いて「愛」と読む?誰も隅っこで泣かないように君は地球を丸くした?なんだその歌詞は?
しかしそんな遺伝子レベルから宇宙規模までの多種多様な表現に僕はハマっていった。いつの間にか他のアルバムもTSUTAYAで借りて聴いていた。
そしてRADにハマっていたのは僕だけではなかった。僕がRADを知ってから1ヶ月後、実にクラスの7~8割はRADを知っていた。RADを知らなければ人権はないも同然だった。
そしてRADのすごさを思い知ったのは高校入学時だった。
いろんな中学からはじめましての人ばかり集まってきていたが、みんな揃ってRADを知っていた。
つまり、他の中学校でもRADが流行っていたのである。僕が中学生の頃はちょうど初代iPhoneが発表された頃。誰もスマホなんて持っていなかったしそもそもスマホという概念を知らなかった頃である。さらに当時のRADはテレビへの露出は一切なし。つまりRADは口コミだけでここまで当時の中高生に人気が出たのである。
映画のタイアップ
時は経って2016年、僕も大学3年生になった。
そんなとき、「君の名は。」という映画をやることを知る。監督は新海誠。そして、なんとあのRADWIMPSがその映画のために曲を作ったらしい。そのときは久しくRADを聴いていなかったが、新曲聴きたさに僕は映画館に足を運んだ。
結果、ここでは雑な感想になるが、まあ素晴らしい映画であった。
この頃、Mステなどのテレビへの露出が急に増えていたことや、劇中挿入歌「前前前世」の大ヒットなどで話題となった。
そして2019年、同じく深海誠の最新作「天気の子」が話題となる。ここでもRADWIMPSがこの映画のために新曲を作り、劇中で流れる。もちろん僕も映画館で実際に見た。映画の内容についてはここでは深く触れないが、新海誠作品特有の映像美、そして劇中の壮大な世界観とRADの曲が見事にマッチしていたと思う。僕も映画を見た直後思わずiTunesから劇中で使われていた曲(「愛にできることはまだあるかい」を含め数曲)をダウンロードしたものだ。
どの曲も映画のタイアップ関係なくクオリティが高い曲となっている。
例えば、「愛にできることはまだあるかい」はRADWIMPSらしいメッセージ性の詰まった至高のバラードとなっている。
しかし、映画を見てから聴いてみるとまた良さが倍増する。「グランドエスケープ」を聴けば映画のあのクライマックスのシーンを思い出すし、「愛にできることはまだあるかい」の歌詞なんて劇中の主人公やヒロインの心情をモロに表しているように感じる。
今回の「天気の子」にてボーカル野田洋次郎は、前回作品以上に製作に携わっていたようだし、本当に映画を踏まえての楽曲なのだと思う。
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現在の日本の音楽事情
話は変わって、現在日本を含め、世界中でサブスクリプションサービスが普及し,定着してきている。
最近でも、星野源、スピッツ、Perfume、嵐など著名なアーティストが「サブスク解禁」し話題となっている。
では、RADWIMPSはどうなのか。
RADは現在、「RADWIMPSのはじまりはじまりのまとめ」および「青とメメメと君と」、そしてシングル「PAPARAZZI」のEnglish ver.をサブスクで聞くことができる。
「RADWIMPSのはじまりはじまりのまとめ」と「青とメメメと君と」というアルバムは、以前のワンマンライブのセトリから厳選してできたライブアルバムのようだ。
これらのアルバムを聴けばRADWIMPSの代表曲はまあだいたいカバーできるように思う。
しかし、「君の名は。」および「天気の子」の曲はサブスクでは聴くことができない。
これはサブスクユーザーとしては非常に不便な話である。
新しい音楽の届け方
でも実際には、RADWIMPSのこれらの曲(アルバム)はこんな億劫さも跳ね除け、オリコンランキングでの首位入りなど、しっかりと結果を出している。
これは映画の効果が出ているのは言うまでもないだろう。
そして僕は、RADWIMPSの今回のような音楽を届け方が今までにない形態だと思い、勝手に注目している。つまり、映画の中で曲を聴かせ、その曲をもっと聴きたいとお客さんに思わせる手法である。
もちろん、「君の名は。」や「天気の子」に限らず他の映画もタイアップとしてOPやEDでアーティストの曲を起用するのは今でも主流である。
しかし、それらの曲は、映画を盛り上げるためにその映画にマッチした曲を使うのみで、あくまでその曲は「映画をより盛り上げるための曲」でしかないように思う。
しかし、「君の名は。」や「天気の子」は異質だ。RADWIMPSの曲も「映画を盛り上げるための曲」であるが、実は「君の名は。」、「天気の子」は「曲を盛り上げるための映画」となっているように感じるのだ。言い方を変えれば、これらの映画はRADWIMPSのMV(ミュージックビデオ)であると捉えることもできる。
映画を見ないとそれらの曲の本当の良さがわからないということも面白い。
ある曲を好きになるとき、それを聴いていたときの思い出が乗っかって好きになるというパターンはないだろうか。失恋したときにあの曲を聴いて感動したとか。
今回のケースは、映画でそんな思い出を強制的に作り出している風に思う。
そして、映画を見た人だけがわかるという、特別感もリスナーを良い気にさせてくれるのではないか。優越感のような。そういう意味で、最初からサブスク解禁で安易にたくさんの人に聴かせることをしないのも効果があるように思える。「閉じている」ことにも意味があるのだ。
まあそんなことが重なって、ただ曲をサブスクでダウンロードして聴くのではできない、全く異質な体験ができるようになっている。
まとめ
実は、今回の記事は、RADWIMPSを褒め称えるつもりで書いたわけではない。どちらかというと、今サブスク化が進んでいる流れに対して、本当にこれから「サブスク完全正義」となるのか、問いを投げかけようとしていた。
もちろん僕はサブスクは大変便利だと思うし、Apple Musicでバンバンいろんなアーティスト見つけては聴いている。一般人よりサブスクを使い倒している自信がある。
しかし、サブスクが音楽を聴く上での「最終形態」なのか。全世界のアーティストがサブスク解禁したから、それで完了なのか。僕はそうは思わない。サブスクが良いか悪いかの話ではなく、なんとなく「新しい音楽の楽しみ方」を僕はぼんやり期待していただけだ。
そんなとき、RADWIMPSに目がいった。
決して、RADWIMPS自身が上記のようなことを狙ってやったとまでは言いがたい。けど、RADWIMPSの音楽の届け方ってやはり特殊であるのは間違いない。冒頭でも、数年前は口コミだけで多くの若者を巻き込んだことを述べたし、RADと新海誠のタッグもユニークだ。
僕は、そんなRADWIMPSの音楽の届け方に「未来」を感じた。
RADWIMPSに限らず、他のアーティストに関してもこういう「新しい音楽の届け方」が増えれば、リスナーも音楽を通してより特別な体験ができるのではないか、なんて思う。
というか、そんな体験ができることを期待したい。
筆者紹介
横浜の大学に通う大学に通う大学院生。好きなバンドはSuchmos、King Gnuなど。
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