多様性とは何か?

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どこもかしこも多様性多様性と言っている。

多様性は大切な考え方だと思う。

何事においても、多様性を大切にする土着があるに越したことはないと思う。

ただ、多様性という言葉を方便にして、ただ単に自分の希望を押し付けるケースってわりと多いように思う。

本来、多様性というのは自分は嫌いなそれすらも認めていくこと、が前提にあると思うが、よく話を聞くと、自分の主張とは異なるものは潰そうとしているだけの人が多様性を主張しているケースというのは、よくあると思う。

例えば、赤いランドセルがあるとする。

僕が子どもの頃は、男の子は黒いランドセルを使うもので、女の子は赤いランドセルを使うものが「普通」なのだという価値観の中で過ごしていた。

子どもの自分としても、それが「普通」だと思っていたから気に求めていなかったが、よく考えたら男の子が赤いランドセルを背負ってもいいし、女の子が黒いランドセルを背負ってもいいわけだ。

なんとなく「これはこう」と決めていたものって「別に、違ってもよくない?」ということがいくつもあったわけだ。

なので、赤いランドセルを背負いたい男の子がいるのだとしたら、そういう考えも尊重しましょうね、黒いランドセルを背負いたい女の子がいるのだとしたら、そういう考えも尊重しましょうね、という価値観がどんどん頭角を表してきた。

そして、僕はこういう色んな考えや価値観の人を認めていくことを、多様性だと思っていたのだった。

でも、多様性を主張する人が必ずしもそういう考えをしているのかというと、そうではないことが多いように感じるのだ。

上記のケースでいえば、黒や赤という色のランドセルという存在が差別を助長することになるから、ランドセルは茶色にして、みんなでその茶色のランドセルを背負いましょうね、みたいな主張を言う人が出てきたわけだ。

もちろん、ケースによってはそういう案もありえるのかもしれないが、こういう主張をする人は「僕は男だから黒いランドセルを背負いたい」という価値観も否定することになるし、赤いランドセルを背負いたい男の子も、黒いランドセルを背負いたい女の子も、赤いランドセルを背負いたい女の子も否定している考えのような気がして、ならないのである。

どんな色のランドセルを選んだとしても、それは個人の自由だから認めてあげましょうね、が多様性だと思っていた自分とすれば、複数の色が存在するから差別を生むので、色は選べないようにしましょうねという意見は逆に多様性の否定ではないか、と思ってしまうのである。

でも、わりと世の中の多様性を大切にすると言っている人は、自分が差別だと思う要素を排除する考えで、押し通すキライがあるように思うのである。

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音楽の場における多様性とは?

このブログは音楽ブログなので、話を少し音楽の方に戻したいと思う。

自分は、色んな立場の人の意見を認めることが、多様性だと書いた。

では、ライブに置き換えて、多様性を考えると、どうなるだろうか。

演者のパフォーマンスひとつとっても、言えることっていくつかあると思う。

例えば、今ってSNSの時代なので、演者がMCで言ったことは、時に正確に、時におひれを付けて、ネットの海に拡散されることがある。

その拡散のされ方によっては、大きな賞賛を浴びることもあるし、時に否定されたり炎上されることもある。

このひとつひとつのアクションは基本悪意ってないだろうけれど、MCで何を言うかによって、今後の活動に大きな影響を与えるケースがある、という意識のもと、ライブに立っているアーティストってわりといるのかなーと、自分はついつい思ってしまうのである。

そのため、ライブのMCではあえて”当たり障りないこと”だけを言うようにしていたり、”過剰なまでにお行儀よくするバンド”も出てきているように思うのだ。

もちろん、客商売なのだから、他人からみれてどう映るのか?はどっちにしろ考えているだろうし、考えるべきだとは思うけれど、目の前にいるお客さんではなく、きっとファンではないまったくの部外者のネットにいる人たちのことを過剰に考えた結果、「余計なことをしない」という選択をしているのだとしたら、それってすごくなんか微妙だよなーと思う自分がいる。

少なくとも、多様性というのが、本当の意味で色んな立場に寛容であるのであれば、きっと懸念しなくてよかった要素というのはいくつもあるのかなーと思うのだ。

もちろん、極端な犯罪自慢をMCでしたりしたら、それは叩かれて然るべきだと思うが、そういうレベルじゃない話で火が出てくるケースをいくつか見てきたからこそ、なんだかむむむむむ、と思うことがあったりするのである。

あるいは、作り出す音楽においても、色んな制約の中で言葉を選んで楽曲を生み出しているアーティストっているのかなーと思う。

これはアーティストというよりも、芸人とかで聞く苦労かもしれないが、行きすぎたコンプラが、自由な表現を阻害するというケースはあると思うのだ。

もちろん、認めるべきではない自由や価値観も当然あるとは思うが、きっと多様性が育まれていたら尊重されていたであろう価値観が、多様性という名のワードをもって踏み潰されているケースってあるのかなーというふうに思うのだ。

まとめに替えて

正解はこれだ、という話がしたいわけではない。

ただ、気がつくと、多様性を大切にしているのかそうではないのか、よくわからん価値観が氾濫しがちな世の中になっているなーとは思うので、そういう空気の中で自分は何を大切にしたいのかを考えることって、大事なのではないかなーとふと思ったそんな次第。そんな話。

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