歌声に表現力のあるアーティスト、他のバロメーターもエグい件

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アーティストに魅了されるポイントっていくつもある。

一点に集約されて「これ」が好きだからハマるという話ではない。

話せば話すほどに色んなトピックを出すことができる。

ただ、その上でも、ひとつ大きなポイントになるなーと思うものがあって。

それは<表現力>だ。

当然ながら、どんなアーティストだって表現したいものがある。

そして、楽曲を通してその表現したいものを形に落とし込んでいると思うのだ。

その表現したいものが楽曲を通して克明に見える中で宿っているものは<表現力>である。

そのように思う。

表現力って何だ、という話があると思う。

例えば、<表現力のある歌声>という言葉を使うときがあるけれど、これってどういうものを指すのだろうか。

色んな観点から考えることができるけれど、これって単純に<歌がうまい>を指しているわけではない、ということだ。

下手をすれば、カラオケ的に歌の上手さであれば、<表現力はない>とハンコを押す可能性だってある。

じゃあ<表現力のある歌声>って何だ、という話になるけれど、言葉にするならば<歌声の中に表情があるかないか>という言い方にするかもしれない。

どんどんまどろっこしい言い方になってしまうが、確かにこれって正解がない。

はっきりと歌声の中に感情が宿って見えたら、それは表現力のある歌声、と言えるのかもしれない。

一方で、歌声的には淡々としていても、はっきりと声の中に表現力をみてとるケースもある。

フジファブリックの志村の歌声は、必ずしも歌声の中に感情をにじませるタイプではないけれど、自分は歌声の中に<表現の強さ>を感じるので、歌声の中に表現力があると感じていた。

まあ、この辺りは人によって感じ方が違うので、どういう歌声であれば表現力があるのか、という回答は難しいけれども、自分はどういう歌声に<表現力>を感じるのかを突き進めて考えてみると、自分の中の音楽の見方が整理できて面白いかもしれないのではないかと思っている。

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表現力がある人は、音楽分野以外の表現も凄いことが多い

最近、藤井風がコント番組に出演した。

シソンヌとヒコロヒーと共演した実験色のあるコントバラエティー番組だったが、これが面白かった。

そして、藤井風のチャーミングさは、こういう場面でも発揮させることを感じたのだった。

思えば、藤井風は歌声の素晴らしさ、それこそ歌を通じての表現力の高さにも定評がある一方で、それ以外の表現力も素晴らしいアーティストである。

その真骨頂は、NHKの紅白歌合戦出演時だったのではないかと、個人的に思っている。

あの場面は、藤井風があたかも本当に<自宅からの中継で出演している>と思わせる表現力があったからこそ、冴え渡る魅せ方だったように思うわけだ。

人によっては、<作り物>の風景が見えてしまってあの演出が台無しになる。

ただ、表現力のある藤井風が行ったからこそ、ドラマチックにあの瞬間が映えたんだなあーと思うし、藤井風の歌以外の表現力の高さを実感する瞬間でもあったわけだ。

思えば、音楽での表現力が優れている人は、音楽以外の表現も素晴らしいと感じることが多い。

例えば、星野源。

星野源はアーティストとしてはもちろん、役者としても大きな存在感を放っている表現者だ。

それどころか、文才などでも大きな存在感を示している。

あるいは、米津玄師も歌以外の表現がずば抜けている。

画集を出すほどの画力、ダンスを踊らせてもその表現力がすば抜けていることは、数々のアウトプットから明らかになっている。

・・・また、こんなビックアーティストの名前を出さずとも、<歌声>しか表現力がない、という人を探す方が意外と困難なくらい、往々にして歌声の表現力が素晴らしいアーティストは、他の分野の表現力も素晴らしいことが多いのである。

伝えたいことが明確に創造化されているからこそ、表現力がずば抜けているのか、表現力がずば抜けているからこそ、作品における伝えたいことがどれも明確になりやすいのか、ということはわからないけれど、そういう背景はやっぱりあるよなーと思うのだ。

まとめに替えて

良くも悪くも、天は二物を与えず、って嘘だよなーなんて思いながら、三浦大知のSONGS(再放送の録画)を観ている、そんな夜。

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