前説

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長いこと音楽を聴き続けると、そこまでわかりやすい形で歌詞に背中を押されることって少なくなる。

いや、もちろん、好きなフレーズとか言葉遣いは今でもたくさんあるんだけど、歌の歌詞すべてにぐっとくること減る、とでも言えばいいだろうか。

でも、僕は最近、ある曲の歌詞にずっとぐっときている。

それは、BUMP OF CHICKENの「HAPPY」という歌である。

なぜこの歌の歌詞にぐっときているのか。

この記事ではそのことをただただ書いてみたい。

本編

この歌の冒頭のフレーズはこうである。

健康な体があればいい
大人になって願う事
心は強くならないまま
耐えきれない夜が多くなった

奇しくも、今の世間は「健康な体」を求めることで暗い世相になっている。

だからこそ、「健康」であることの大切さを改めて実感している人も多いのではないだろうか。

その一方で、全員が“健康であること”を優先するために、健康とは違うベクトルで辛い境遇に立たされている人も多い。

少なくとも、「健康な体があればいい」とだけ言えるような事態ではない人もたくさんいるわけだ。

そう考えたとき、この何気ないセンテンスは痛切に今の社会を描いているように感じるし、ある種の批評的な意味合いを帯びてくるように感じてしまう。

ちなみに、この歌でも「健康な体さえあればいい」とは思っていないことが、以降のフレーズで明かされている。

この歌の争点となるのは、「体」に対比して「心」のことに触れているところ。

結局のところ、このフレーズは健康な体だけだと何の意味もなく、心が強くないと「今」を生きるには苦しいことが続くことを案じているわけだ。

この歌はまず、

体 と 心 

この2つの対にして語る。その後、もうひとつの軸として、

大人 と 今

あるいは、

過去=少年 or 少女

という図式が出てくる。

言ってしまえば、少年や少女時代に優先していたものが、大人になるにつれて変わってしまうということを示している。

だからこそ、サビの争点は「続くことそのもの」になるし、続くことを選ぶことそのものが変わることを示す、という不思議な逆説を歌うことになるのであり、続きを選ぶことを「変わった」と捉え、そこを指差して“HAPPY BIRTHDAY”と歌うのである。

普通、続けていたことをやめることが、変わることであると捉える歌が多いように思う。

けれど、この歌は変わらないことを変わることとして捉え、変わることを祝福する歌なのである。

話が脱線した。

ここで言いたいのは、そんな話ではない。

言いたいのは、この歌はあまりにも今の空気感と混じり合うようなフレーズが多いよなーということなのである。

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色々どうにか受けとめて
落書きの様な夢を見る

このフレーズは、辛い境遇に立たされて、自分たちが準備してきたものを断念せざるを得ない人にとって、ぐっとくるフレーズなのではないかと思うのだ。

夢をみることができなくなりつつある空気の中で、それでも夢を見てそれを叶えようとしている人たちの姿が、はっきりと頭に思い浮かぶのである。

音楽界隈に接していると、そういうイメージが頭についつい浮かんでしまうのだ。

闘う相手さえ解らない
だけど確かに痛みは増えていく

今の世相が厳しいものになっている張本人は、ウイルスである。

政治の良し悪しは語る必要があるにしても、困窮の本質的な原因は、拳で闘うことができる、わかりやすいものではない。

このフレーズこそ、コロナの蔓延とそこに疲弊してしまう人々の姿を巧みに表現したようなフレーズに感じてしまう。

終わらせる勇気があるなら
続きを選ぶ恐怖にも勝てる
無くした後に残された
愛しい空っぽを抱きしめて

そして、このフレーズにぐっときた人も多いのではないかと思うのだ。

だって、今は「終わらせる勇気」を持って、それまで必死に準備してきたものを終わらせている人がたくさんいるのだから。

そして、問題の収束が見えない今、その道に進もうとすることは、ある種の恐怖でもあるだろう。

でも、無くなってしまったその空っぽすらも愛おしさと感じてしまうからこそ、その道に邁進していくという人もきっとたくさんいると思うのだ。

この歌は、優しい雨が止んでしまうことを宣告している。

雨が止んだあとの虹は「他人事の様な」と冷たく吐き捨てる。

この言い回しも不思議と今後の現実とリンクするように感じるし、だからこそ「大切な人の手を取ることの大切さ」を高らかに歌うフレーズに、はっとさせられる。

決してHAPPYとは言えないこの歌の温度感。

でも、そういう歌に「HAPPY」というタイトルが名付けられている。

決してこの歌はサプリメントのような元気を与えるわけでもないし、よくよく歌詞を聴けば辛辣な部分もわりとある。

でも、そういうものすら肯定してしまう力強さがこの歌にはあるのだ。

勝ち負けの基準はわからないけれど、たしかに守るものがある。

結局、行き着くのは、そういう話なんだろうなあ、と思うのだ。

だからこそ、終わらせる勇気を持ちながらも、続きを選び恐怖に打ち勝ってしまうのである。

なんてことを想像しながらこの歌を聴いてしまうのだ。

噛みしめるように、何度も同じフレーズを反芻してしまう自分がそこにいるのである。

まとめ

BUMPのシングル曲においても決してメジャーとは言えない立ち位置のこの歌。

でも、シングル曲の歌詞だけで言えば、個人的にこの歌が一番好きなのである。

終わらせる勇気と続きを選ぶ恐怖を同時に歌ったこの歌だからこそ、汲み取れるものがあるのだ。

そんなことを思うのである。

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