前説

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来年、フェスはどんな空気になるんだろう、とふと思ったりする。

この記事では、来年のフェスの様相を考えてみたい。

本編

フェスの話をすると、その当時の音楽の盛り上がりが見えてきたりするんだけど、10年代の後半は“フェスのトレンド“というものは見えづらかったように感じる。

というよりは、ある程度、○○系と括られていたバンドたちがその括りから抜け出して、各々の個性に磨きをかけるようになった、というのが個人的な見た目である。

また、メガフェスでメインステージに立つアーティストも5年くらいのサイクルをかけて、概ね世代交代をした、という部分もあるのかなーと思う。

シーンの流れが早いのはバンド側からしたら大変な話かもしれないが、常にシーンに新陳代謝が起こっているということは、そのジャンルが盛り上がっていることの現れだと思うので、それ自体は喜ばしいことだと思うのだ。

さて、シーンが盛り上がるにつれて、フェスの数は膨大になった。

きっとどこかのタイミングで、数はシュリンクしていき、消えるフェス、残るフェスが出てくることも容易に想像される。

きっと、その流れこそがフェスの様相と大きく繋がるのだと思う。

ブランドや物語性は重要

本音の本音では、フェスに出ているメンツなんてわりと一緒だし、セトリだって毎回抜本的に変えてくるバンドの方が少ない。

これだけの数のフェスが乱立していても、ソールドアウトしているフェスが多いのは、特定のバンドが出ると遠征をする、という人が相当いるからだと思っている。

ロッキンなんかだと、年にフェスはこれしか参加しない!って人も多いだろうけれど、他のフェスの場合、そういう人は少ないのかなーと思う。

つまり、フェスそのものに魅力を感じているというよりは、アーティスト信仰の延長線上でフェスに参加している人が一定数いる感じがするのだ。

実際、フェスにいっても、そのフェスのTシャツは買わずに、好きなバンドのTシャツだけ買う人は多いと思う。

逆にいえば、そのフェスTが買いたい!と思われているフェスは強いという話になる。

ロッキンなんかだと、○○のアーティストが見たくて遠征したぜ!というような人よりも、夏祭りと同じノリで季節の風物詩とか、ある種のレジャー的な感覚で参加している人も多いと思う。

こういう人だと、フェスそのものに参加している感、というのが強いのでフェスのTシャツを買うような気がするし、フェスのブランドに魅力を感じて足を運んでいると捉えることもできる。

また、京都大作戦も、本質としては10-FEETが好きで、その10-FEETが主催しているから行く、という人が多いだろうけれど、それ以上に京都大作戦の作り出す空気が好き、というノリでフェスに足を運んでいる人が多いし、実際、関西のフェスでは随一と言っても過言ではないくらい、様々なフェスで京都大作戦のフェスTシャツを見かける。

なぜ京都大作戦がそこまで人気なのか、という部分までは踏み込まないけれど、フェスの物語性が強固になっており、ある種のブランド化ができているという見立て自体は間違いないと思うのだ。

このフェーズにまで持っていくことができたフェスは、仮にブームが終わったとしても残っていくのだろうなーと実感する。

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存在感を示すアーティストたち

フェスとも親和性があるアーティストで、多様な世代に人気といえば、ヒゲダンやヌー、あいみょんなどの紅白出演実績組の名前が挙げられるだろう。

彼ら彼女らが来年も一定数のフェスに出演するのかは定かではないけれど、フェスを通じてさらに自分たちの音楽を広め、ますます人気を博していったという事実は確かとしてある。

昔はやれ害悪ライブキッズがどうたら〜と言っていたこともあるが(そして、そういう界隈がいることも間違いないわけだが)、その一方でワチャワチャ盛り上がる、という楽しみ方とは違う楽しみ方を提示するアーティストやバンドが、フェスにおいても圧倒的な存在感を放っているというのは、フェスの空気を考えるうえでも重要である。

ここの部分をどう捉えるのかを言葉にするのは難しいが、フェスといえばサークルを作ってワチャワチャするもんでしょ、みたいな価値観はもしかしたら少しずつマイノリティーになるのかなーという気がする。

いや、なくならないと言えば語弊はあるし、ヌーなのにダイブがあるなんて信じられん!みたいな物言いが発生することもあるだろうからアレなんだけど、やっぱりフェスの空気(特にメガフェス)は変わるのかなーという気がする。

暴れる人はそもそもサタニックみたいなフェスにいくだろうし、「ロックフェス」と言っても、色んなタイプに細分化していくことで、“フェス系バンド”みたいな言葉ではくくることができないほど、フェスそのものが細分化するんだろうなーと思うのである。

というよりも、ブッキングするアーティストの傾向で、自ずとそういうメッセージが出てしまうのだろうし、昔のぴあフェスにみたいに、文脈的にまったく意味がわからんラインナップをしようものなら、「カオス」という言葉に集約されて、それはそれでそのフェスの空気を作り上げるのかなーと思うのである。

まあ、それだけバンド側もフェス側も多様化したという話として捉えてもらえたら幸いである。

つまり・・・

フェスがどうなのか・・・・は何とも言えん!ということ。

だって、フェスを語るって、CrossfaithとKANA-BOONを一緒のテーブルに載せて語ろうとする試みなわけですよ。

そんな無理やん、という話である。

とはいえ、90年代のポップス的感性を持ったアーティストが今後もバズる傾向にあることは間違いないと思うので、よりメロディー重視の流れは続くのかなーと思っている。

あと、CDJが信じられないほどの人気でも明らかなように、まだまだフェスのブームは続くんだろうなーと思う。

若手がシーンを引っ張る今の音楽シーン、個人的には素敵だと思いますです。

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