星野源の「Same Thing」とちょこロックフェスから見えたもの

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先日、ちょこロックフェスというフェスに遊びにいった。

主催者のバンドにもインタビューさせてもらったフェスである。

関連記事:ちょこはちとガールズロックバンド革命が主催するちょこロックフェスの話

で、参加者としてフェスに行った感想を端的に述べるならば、面白いフェスだなあ〜と思ったのである。

どういうことか具体的に話をしていこう。

このフェスって、アイドルが出演している一方、こてこてのロックバンドも出演しているし、「かわいい」をウリにしているバンドもいれば「おもろい」をウリにしているバンドもいて、かなり雑多なバンドやグループが集結している。

僕が当日ライブを観たのは82回目の終身刑、犬も食わねぇよ。メタボリックシンジゲート、バンドごっこ、びわ湖くん、ガールズロックバンド革命、chocol8 syndromeなんだけど、これだけでもジャンルの幅が広さが伺える。

で、思ったのだ。

ひとつのフェスでこんなにも雑多なジャンルを観たのって、久しぶりだなーと。

なんというか、今のロックフェスってジャンルを固めた方がお客さんが入るし、実際、多くのフェスがお客さんのニーズにコミットするためにわざとジャンルを固めている。

一方、サマソニのようにジャンルレスなイベントを開催すると、文化の違う者同士が衝突し、ネット上では価値観の違う者同士が叩きあうことになり、満足度も低下する結果となる。

バンド主催フェスが人気なのだって、本質的には「ジャンルを固める」「複数の価値観を混在させない」という部分が大きな要素になっていると思うのだ(もちろん、アーティストの物語性が際立つのもあるけれど)。

そう考えた時、ちょこロックフェスは、明らかにごった煮感があった。

もちろん、フェス全体の客層でみると、自分よりも年上の男性が多かった気がするのだ(自分も物販に立って、たくさんのお客さんの顔を見たので、この認識自体は間違いないと思う)。

とはいえ、いわゆるライブキッズのお客さんもいたし、若い女性のお客さんもたくさんいたし、ジャンルがごちゃまぜのフェスだからこその幅広い客層が出来上がっていたことも確かだった。

演者に関しては言うまでもないけれど、客層もカオスだったわけだ。

そして、個人的にこの<複数の価値観が混在している>感じがすごく良いなーと思ったのだ。

本来ならさ、ちょこロックフェスに限っていっても、コンセプトをひとつに絞ってメンツを整えた方が、きっと集客に繋がると思うのだ。

某ビバラロックが日割りごとに色を変えてコンセプトを打ち出しているがごとく、ちょこロックフェスも、このイベントはこういう色のイベントなんです!こういうお客さんだけ来てもらったらいいです!間違いないですから!というメッセージを打ち出した方が、きっと集客しやすいと思うのだ。

けれど。

フェスのトレンドに抗うかのように、ちょこロックフェスは混沌した、複数の価値観を混在させたフェスになっていた。

ロックフェスの話

しかも、だ。

今のフェスシーン、特に<ロック>という名前をフェスの冠にしているフェスって、びっくりするほど出演者の男性率が高い。

昔に比べたら、ガールズバンドも躍進を続けるようになったけれど、まだまだフェスって男社会だなーと思うことも多い。

まあ、メンツの性別を気にするなんてナンセンスなのかもしれないが、とはいえ、<ロック>という冠に付いているフェスでありながら、ここまで女性が躍進しているなんて考えたら凄いことだよなーと思うのだ。(まあ、ちょこフェスの<ロック>はガールズロックバンド革命のバンド名から来ているものではあるんだけども)

なにより、ガールズバンドが一番お客さんを集客している事実。

バンドに性別なんて関係ないことを改めて実感したし、その景色をみて感動にも似た何かを覚えたのだった。

人のニーズだけを汲み取ったら、フェスは一本のコンセプトに絞った方がいいし、ニーズとだけにらめっこすればするほど、メンツの選定は(不思議と)男性中心になってしまう。

でも、ちょこロックフェスは、そういう一般的な価値観を超越していた。

そこが凄いなーと僕は思ったのだ。

なんというか、フェスってこういうものなんでしょ?みたいな、一般的な価値観を超越していて、ジャンルや性別すらも、フラットであることを実現しているフェスに思えたのだ。

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星野源とSuperorganismの話

そんなことを思っていたある日、たまたま星野源とSuperorganismがコラボした「Same Thing」という歌を聴いた。

<同じこと>という意味のタイトルの歌。

恋愛や家族というテーマであってもマジョリティもマイノリティーも関係なく、全てを肯定する歌を歌ってきた星野源と、年齢も性別も国籍もフラットであるSuperorganismというバンドだからこそ作り上げることができた歌である。

星野源はソロデビュー初期から「みんなで一緒に繋がること」を否定し、バラバラでありながらも個々を認めるべきであるという価値観を歌ってきたシンガーだ。

「Same Thing」には、こんなフレーズがある。

みんなに言いたいんだ
Fuck youって
ずっと思ってたんだよ
心から愛を込めて

この歌がすごいのは「Fuck you」と「心から愛を込めて」をフラットにして歌っていることである。

他にも、「楽しそう」と「最悪だ」という価値観も“同じもの”として歌っている。

それぞれを個々として見つめつつも、その上でそれぞれを認めて肯定する。

結果、それはフラットになり、<同じこと>になる。

そんな歌なのだと思った。

フェスやロックが支配しがちな一体感と、この歌が歌う<同じこと>は、似ているようでまったく違う。

アーティスト主催フェスって一体感があるし、その一体感が楽しかったりする。

けれど、固定化された価値観からはみ出た人にとっては、その世界は何とも言えない気持ちになるし、今の時代のムード的にマイノリティーを排斥するっていうのは違うよなーと思うのだ。

そもそも、ロックって本来はマイノリティーのためのものだった。

クラスに馴染めず、学校の隅にいるような人たちが聴いている音楽だった。

まさしく、固定化された価値からはみ出してしまった人たちのものだった。

NUMBER GIRLなんかは、まさしくそういう類の音楽だったように思う。

でも、いつしかロックの役割は変わってしまった。

ロックは一体感を要請するものになったし、フェスの空気はマイノリティーをはじいて<みんなで繋がる>ことを求めるようになった。

ライブマナーと称して、はみ出た人を過剰に叩くのはその悪癖だと思うし、そういうことが生まれてしまうのは、一体感を求めるフェスの空気による部分もあると思うのだ。

音楽の場は必要以上に<同じであること>を求める。

でも、だ。

フェスの空気も、ロック周りの空気も、音楽が持つ役割も、どこかでまた大きく変わるんじゃないかなーと思っている。

星野源やSuperorganismが歌ってみせたように、バラバラであることをそれぞれが認めて肯定したうえでの<同じこと>、そういう<フラットであること>が重要になる流れが改めて生まれるし、そういう価値観を歌える人がより輝く世界になるのではないかなーと思ったりするのである。

まとめ

で。

ちょこロックフェスにおいても、そういう文脈を(本人たちは意図していないとしても)踏んでいるんじゃないかなーと僕は勝手に思っているのだ。

バラバラであることを認め、アイドルだからどうとか、お笑い枠だからどうとか、男だからとか女だからとか、そんなことはまったく関係なくて、どうでもよくて、どんなジャンルやパフォーマンスであろうと、フラットに脚光を浴びることができる。

何者であっても良くて、何者であっても肯定される空間がそこにある。

だから、僕たちお客さんも本当の意味で<自由に>音楽を楽しむことができる。

それぞれが違うことそのものが、肯定されるような空気がそこにあったのだ。

だから、僕はちょこロックフェスに不思議な魅力を感じたのかなーなんて、フェスが終わって一週間が経つ今、ぼんやりと考えたりする。

きっとこれも、chocol8 syndromeとガールズロックバンド革命という、個性のまったく違う二組のバンドが主催をしたからこそ生まれた空気なのだと思うのだ。

ちょこロックフェスが、今回作っていた景色は、未来の音楽フェスが作り出す景色なんじゃないかなーなんて思ったりしている。

ん〜まあ、知らんっちゃ、知らんけどね。

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